2018年9月17日月曜日

涼しくなるとハゼが深場に落ちる

 朝晩の涼しさを迎えるようになると、足に靴下をはきたくなるほどの「冷たさ」を感じる。セミの鳴く声もろくに聞かず、蚊が飛んでいるのも見えなかった夏は、台風の被害を受けなくても、気候の変異として受け止めざるを得ない。これから先もこんな状態は昂進していくことだろう。

 「想定外」という言葉が、原発事故のときから盛んに使われだした。その言葉は、言い訳としておかれるべきことなのに、多用されてしまってあたかも、防ぎようなないこととの幻想を振りまく手伝いをしている。

 北海道の地震で、電力会社とそれを司る国の、いわば怠慢で度を外れた停電に陥ったことや、沈下を続ける関西空港の浸水などは、これも「想定外」としてしまうのか。作ってきた社会の基盤がもろくも崩れてしまうのは、処々折々の「製造物責任者」に問われるべきことではないのか。

 解釈の域を出ないが、「天災」という表現が、マスコミでも使われなくなってきたのは、天然由来に限らない原因による災害であることが、われわれの目にも見えてきたからかもしれない。社会の政治的ないし人為的な行動で、引き起こした否定的有様が修正されるべきこととの範疇であれば、まだこの先の持続的社会への希望がつなげる。

 「天災」だの「想定外」だのと社会活動の埒外として逃亡したのでは、「誰でもいいから殺したいと思った」などという犯罪が、これからもっと多くなってくるのではないだろうか。それは極論としてもそんな気がしてならない。

 涼しくなってくると当然ながら海水温も下がっていく。浅場の魚の餌も少なくなって、ハゼが深場に「落ちて」いく。冬場への準備行動だ。その魚たちも、今の気候変動のなかでおそらくは、水温が高いのやら低いのやらで、迷いながらも比較的水温の高い深場に移動していく。いつもなら9月の初めにはその時がくる。その前が、夏の間の活発な就餌で、育ったハゼの大づりのビッグチャンスだ。

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