半ば足任せの旅なので次の行程を携帯で観光地を探ってみる。グーグルマップをあてにしてスマホで検索し、本耶馬渓町樋田にある青の洞門(隧道、トンネル)に行ってみることにした。晩秋の紅葉時期は特に観光客が多いのだそうだが、時季外れでさっぱり人がいない。一昨年12月にがけ崩れがあったとのことで、道路工事にあたっている人が「いけるよ」と道案内をしてくれた。通行止めになっているのでその影響も大きいのだろうか。
ついつい都心部の再開発の速さと比較してしまうが、他の「復興」改修との違いを見てやっぱりなと感じる。青の洞門の歴史はかなり重厚なものがあると後で知った。曹洞宗の僧が陸道の掘削をして30年もかけて完成させたこと。「有料道路」の先駆けになったこと(^_-)-☆。福沢諭吉が当地を購入して景観を保存できたこと。陸軍の輸送のための大改修をしたことなどが歴史として刻まれている。
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★曹洞宗の僧禅海が豊後国羅漢寺を参詣した時、川沿いの断崖にかけられた桟橋、青野渡が危険で、人馬のしばしば覆没することを知り、これを哀れみ、鑿道の誓願を発し、陸道の掘削を思いついた。1730年(享保15年)頃、豊前国中津藩主の許可を得て掘削を始めたが、その後周辺の村民や九州諸藩の領主の援助を得て30年余りの歳月をかけて、1763年(宝暦13年)に完成させた。高さ2丈、径3丈、長さ308歩。
★1750年(寛延3年)の第1期工事の完成後には、通行人から人4文、牛馬8文の通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路ともいわれている。
★1854年(安政元年)から1856年(安政3年)にかけて制作された歌川広重の『六十余州名所図会』には、「豊前 羅漢寺 下道」と題し、この洞門が豊前国の名所として描かれている。
★青の洞門のある競秀峰は中津市出身の福沢諭吉が、景観を守るために土地を買い取ったことでも知られる。地元住民は「福沢諭吉が土地を買わなかったら青の洞門は残っていなかったかもしれない」と語る。
★1906年(明治39年)から1907年(明治40年)にかけて陸軍日出生台演習場への輸送路整備のために大改修が行われ、車両が通過できるよう拡幅された。この工事の結果、完成当初の原型はかなり失われたが、明かり採り窓等の一部に手掘りのノミの跡が残っている。
蛇足ながら曹洞宗は「宗門は当時、国家政策や世論の流れに無批判に迎合し、積極的に戦争に加担してしまいました。この事実を深く反省し、戦争のない世界の構築と平和のために果たすべき仏教者の責務を見据え、二度と同じ過ちを繰り返すことがないよう、重ねて決意を新たにし、行動してまいります」と昨年5月にも宗務総長談話(アジア・太平洋戦争終戦80年を迎えて)で表明している。
地域住民らは一帯の地名にちなんだ「青」をアピールするため、対岸一帯に春には水色の花が咲くネモフィラを植えているとのことだった。






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