畳で過ごしてきた何百年のあと、なぜかどこかの国をまねたのか、棲み処がフローリング生活になり果てた。床板「廊下」と台所だけだった床が、家中に広がる文化になった。
近所の畳屋さんが遂に閉店となった。電車に乗るたびに通る道で営業していて、畳のにおいがするときもあった。「畳職人さんの写真」を撮らせてもらいたいと思っている間に、もう廃業してしまった。なにせ、造った畳をリヤカーをつけたバイクでひっぱっていたのだから、昭和の遺産的な貴重なことをやっていたのに⋯。あれよと見る間に一人用のパワーシャベルが、動き回って、更地を広げていた。畳の需要が無くなった訳ではないと、話されていたが、同世代(お子様が息子の同級生)の高齢の難しさもあったのだろうか。
わが家は当初は木造家屋で畳の生活だったが、建て替えをしてフローリングにした。いまになってみれば、膝や腰の劣化で椅子とベッドの生活は欠かせないものになっている。その時から履物は雪駄にしていた。足の蒸れ対策と足の指のための選択だった。冬は特に「畳表」を使ったものを好んで履いた。
川島通り商店街に下駄屋さんがあって、雪駄が傷むたびに何回もかよって買い求めた。つい最近まで営業していたのだが、高齢のおばあちゃんが店番をしていた。商店街はかなり前から実態がなくなるほど寂れていたが、その下駄屋さんもとうとう廃業したらしい。先日行ったら店はなかった。
NETで雪駄をしらべてみたら、大手の通販サイトで購入できはする。中野も例にもれず再開発の「都市化」で元気をだそうというが、他方では寂れていくのだから、寂しさよりもなにか空しい感情がわいてくる。
夏用雪駄
