2024年11月13日水曜日

米沢の砕石場にもう一度行ってみる

 墓参りの帰り道は、蔵王で宿泊する道の途中にある米沢を通ることに決め、初日に行った砕石場に寄ることにした。もう一度行って、途中で断念した「山道」を歩きて行ってみようと考えた。

 初日の時には、砕石場の少し下流(1.5キロほど)に小さな部落があり、その端から山道のような通路があって、砕石場に近づけそうだった。車で入って行くとどうなるかという心配があって、行くのを断念していた。その道の先は地図で見ると砕石場に近いところだし、なんとか近づけられれば写真が撮れるかと、車を降りて歩いてみた。

 道は車一台がやっと通れるくらいの幅で雑草が中央に映えていて、往来ではあまり利用されていないふうだった。どんどん歩いてみるが、一向に山が見えてこないので、歩くにしたがって少し不安が募ってくる。「クマの行動」が頭をかすめるので、スマホを取り出して「合唱曲」を最大の音量にして、片手で振って歩いた。道の両側は針葉樹の森で、クマが好きそうな広葉樹林ではなかったのが幸いだった。

 突然視界が開けて、現場が見えてきた。T字路で過度に看板が立ててあり、「発破をかけたから近寄るな」と書いてある。もう少し行ってみたいが、広くない道路はタイヤの跡がたくさんあり、行けば出会わないとも限らない。行くのは止めてその場で200ミリの望遠レンズを据えて写真を撮った。








2024年11月11日月曜日

「削られている山」のある東根市に辿り着く

 叔父の家があった東根市には、今は子供夫婦が住んでいる。叔父が鬼籍に入ってからはご無沙汰しているが、良く通る道すがらに「削った山」を見た記憶があるので、行ってみることにしていた。

 どこへ行けば全体を眺めることができるのか、スマホのGoogleで見当をつけながら道をたどるが、行き当たらない。山に入っていく道は素直に近づいてくれない。これかと行ってみても途中であきらめる次第。

 これはダメだなという道を移動するうちに、ふと道沿いに小高い山が剥げている状況が見え、手前側が山を削っている工場があるらしき場所に遭遇した。道からは遠景になったけれども、移動しながら撮影することができた。

 この事業者のHPをみると、砕石は河川の砂利から採ることが制限されており、環境の影響も批判されていることから、厳しい事業になっているということが記述がされていた。削られている山は日本中にあちこち点在していて、全国の「都市開発、再開発」によって需要が多くなっていることと表裏一体の関係になっていると考えられる。

 河川のあとは「山」に依存することになっていった砂利。この異様な山の風景から歯止めの効かない「開発」への行程が浮かぶ。自然との共生はここでは絵に描いた餅か。写真を撮りつつそんな気になった瞬間だった。 








2024年11月9日土曜日

滑川温泉は思ったより山奥にあった

 米沢から温泉に入っていく道路は、地図を見て想像したよりも険しかった。行きかう車は少なかくて幸いだったが、途中から日が落ちてしまって細くて暗い道を慎重に走ることになった。相当走ってから急に開けた場所に立派な温泉が待っていた。駐車している車も多くて、登山基地になっているようだった。天元台まで縦走できると案内があった。

 翌朝になって会計を済ませてから、三脚を持ち出して目の前にある滝と紅葉を撮った。前日は檜原湖から山越えして白布温泉から米沢に向けて走ってきたけれども、これといった紅葉の景色には会えなかった。温泉前で旅の目的が果たせてよかった。

 温泉を出ると奥羽本線の峠駅方面の看板があった。ちょっと寄ろうかと、向かってみると新幹線になる前にスイッチバックのレール施設があったところで、一番標高の高いところで666メートルあるという観光場所になっていた。子供のころ田舎へ帰るのに福島で奥羽本線に乗り換えて何べんも通った懐かしいところだ。

 今回、写真撮影の対象を「削られている山」をテーマにして撮りたいと思い、Googleマップの航空写真を調べてあたりをつけて準備しておいた。駅の近所にあったその場所は、駅を回り込んだ場所にあったがもうひとつ物足りない写真になった。












2024年11月7日木曜日

墓参りの旅を盛って偲ぶ

 この時期墓参りに乗じて、温泉に泊まって紅葉を眺めるのが楽しみ。釣りが写真撮影にとって代わってからは、日本の「らしさ」を観て歩きながらカメラに収めるのが生きがいにもなった。生まれ故郷に再三足を運んで、山や田畑、森が行儀よく空間を飾っている雰囲気を感じるのが、心地よく心が休まる。

 気温が落ちたのを肌に感じるころに、分け入った山の温泉に浸かるのは、すべてから解放されてこの上ない。時々熱い温度の温泉にも巡り合う。これは苦手で、41度くらいがいい。滑川温泉は初めてのところだった。風呂がいくつもあって、混浴と家族風呂が複数ある。説明を聞いて入るべき風呂を決めたのに、泊まった部屋の直下にあった風呂へ入った。そのふろ43度くらいはあったろうか、とても熱くて足をつけていられない。水を入れるべき水道もない。世間ではこのくらいでも平気な人がいるんだなと思いつつ、やむなく頭を洗うだけになった。

 翌朝は、その風呂は避けてちょうどよい加減のところへ入いり、昨日のうっぷんを晴らした。カリウムとナトリウムに硫黄分が少し混ざった成分とのこと。トロリとした感じで心地よかった。ちょうど部屋の前に滝があって、到着するまでの景色では見えなかった紅葉が見えた。ぜいたくも窓越しから撮ることできた。スマホの「長時間露光」を使って撮ってみた。この眺めが素晴らしくて、あちこち紅葉の時期が外れている中今回の紅葉シーンでは一番恵まれた。 






2024年11月5日火曜日

高齢者の悲哀アタリメの味わい

 値上がりした「あたりめ」をコンビニで奮発して買い込み、夕食なし宿泊に備えた。温泉に浸かって手足を伸ばし、夕食時までのスキマ時間に喉を潤す極上の瞬間。初日の夕食はスーパーで厳選した食品。ヘルシー、安価、少量で済ますパターン。アタリメと乾きもので小腹を満たして、本番の厳選食品に向かう。

 朝食は宿の比較的軽めの料理で、体重に気遣う我が身にとってピッタリ。食べ始めたらなにやら歯がちょっぴり痛む感じ、前日の固いアタリメのために歯が疲れたと見えて、顎にしっかり力が入らない。購入したアタリメは昔のように固いもので、歯ごたえがあって好みのものだった。ここまで感じたことはなかったのに、顎ではなく歯に「疲労」が残っていた。折々感じる身体の劣化を自覚させられるサインをまた味わった。

 口に出さなくても「どっこいしょ」は何べんつぶやくことやらわからない。「どっこいしょ」ばかりでなく、階段の上り下りやふろ場のしぐさも慎重にいかないと、躓いたらおしまい。ものごとに頑張ろうなどという具合にはならずに、「やれることを確実に」くらいがちょうど頃合いだ。

 この時期の墓参りの旅が楽しみで温泉が良いところに遭うのが第一。二番目は紅葉が見られること。あとのごちそうは、選択肢にはない。今回は3泊中2泊が夕食なしで予約してあった。今はどこにでもスーパーがあるし、道の駅もあちこちにある。食べ物が手に入るから、まず食に心配はない。ヘルシーな食べ物と「量」を気遣うほかはアルコール類が付けばいうことはない。今回は「ホッピーと焼酎」をはじめて買い込んでみた。食事時に焼酎をホッピーで割って2回つぎ足すとちょうどよい。プリンタイはなくてカロリーは6割くらいというからもってこいの飲み物だ。口当たりも悪くない。




2024年11月3日日曜日

「赤旗」で動いた山がもうちょっと動かせれば

 選択肢として「分かりやすいこと」で選んだという若者がいた。裏金問題というテーマでだけで投票先を選択するということにはならなかった。というのは全く的外れというわけにはいかない。たしかに政策の上ではいくつものことが、日本の将来にかかっているので丁寧な政策説明を聞く手間はなかなかとれないのかな?と思う反面、ワールドシリーズ野球は日本の視聴者が5日間で5600万人いたというから、政治議論の場にもったいない熱を奪われていた気がしてならない。もちろん投票した人は圧倒的にいたのだろうし、積極的に投票先を決めたのであろうことは疑いないにしても。

 国民民主党の「103万円の壁を破る」が明快で心に残ったのが投票に現れた。政策をきちんと反映させるかどうかという点から、感心の的となってきて「見る目」にもちょっとくらいのごまかしはできないだろう。この先の態度が試される。

 「見る目」から眺めると、維新の会がいろいろな「患い」をもっているのが、ようやく選挙の結果にでた。いったい何年かかったのか?わかりやすさだけの選択が、ナチの独裁につながった歴史も今に生きていること忘れてはいけないこと。

 投票率が53%ちょっとで、年齢別では若者の投票率が10%も低いという。現行の選挙活制限を変えて、わかものが選挙活動で活発に活動できるようにするのがいい。だいたい、隣の家に選挙政策の話をしに行ってなぜ悪いのか?裏金を使う活動=票を金で買うことが諸悪の根源だ。お互いにしゃべらせない、見させないことが一番の制限理由。「民主主義の国」アメリカを見ろ!

2024年10月26日土曜日

咳と端を鎮める薬が功を奏して(?)便秘の憂き目にあった

 ビロウな話ながら、便通停止で参った。副作用があって⋯と薬局の先生から言われていたのでわかってはいたのに、痰咳の症状が軽くなってからも服用していたがために、不通の状況に落ち込んでしまったらしい。まだ、かるーく咳が出るので念のためと思ったのが失敗だった。七転八倒まではいかないけど、トイレに通い詰めの二日間だった。便意があってもすっきりいかない状態が続いて、ようやく目的達成するまで、気分までもが落ち込んでしまった。

 おりしも知人の別荘で過ごすことになっていたので、意に反してアルコール摂取も控えめだったので、楽しみも半減して残念なことになった。肝臓の方の負担は軽く済んだけれど、気色が悪い時間を過ごしてしまった。帰る日になってようやく開通したあとは、気分が晴れてようやく近所の秋の様子を写真に撮る気になった。

 標高770メートルの位置にある福島の別荘は、今年は周囲の森も寒暖の変動差異の影響で紅葉が起こらず、葉が落ちてしまってとのことだった。寒暖の急変動で体調崩す人が多いと、モーニングショーでも報道していた矢先に体調を崩したのだから、温暖化の影響が我が身にもというこという実証になって、これからどうなっていくか先が案じられる。












2024年10月19日土曜日

症状はコロナではないらしいけど、コロナ入院者は減ってない

10日前にひどい咳と痰がでて、翌朝少し熱が出た。最近になかった状態で近所の耳鼻科に行って薬をもらった。喉が少し炎症しているということだった。症状を説明したのを医師が聞いて、「コロナは大丈夫かな」という判定だった。同じ状態が続くので、出かけるはずだった5回の予定はやむなくキャンセルすることにした。5日後の火曜日にいつも通っている診療所の先生に相談すると、気管支がやられているとの見立てだった。抗生剤をもらって一週間様子を見ることになった。一日3回程せき込み鼻水が出る以外は、熱も出ないのでいるのは薬の効果だろう。半分ぼーっとしながらテレビを見て過ごしているが、コロナの変異株が増えているというニュースが前に言われていたのを思い出してNETで調べてみた。さる医院でコロナ患者の症状をまとめたものがあった。自分の咳、痰、鼻水のほかは該当しないのでとりあえず安心したが、コロナの症状はリエーションがあるらしいから、治るまでは気が抜けない。東京都感染症週報によると(10月7日~10月13日(41週)までの「定点把握対象疾患」集計では「COVID-19」の入院数91となっている。入院数91の年齢別内訳は70歳~79歳が29、80歳以上が39で圧倒的に高齢者が多い。入院合計数では38週96、39週94、40週78、41週91なので入院数にそう変化がなく、安心できない。

単少し歩いたほうがいいかと、しばらくぶりに整形外科に行って膝のリハビリをしてから、コーヒーのリキッド(紙パック)を購入してきた。今日はまた気温が上がって少し汗ばんだ。そもそも寒暖の差で体調を崩している人が多いとのことで、また体調に影響がしないといいと思うけど。



 

2024年10月13日日曜日

「被団協にノーベル平和賞」には驚いたけど選挙戦の議論のテーマに

 核兵器を使うとの言葉が戦争当事国から出てくる。今、戦火にある当事国で、片方の任意のきっかけで攻撃する行為が、拡大にいたることが目の前で起こっている。「核兵器」を持つことで脅威に備えることになるどころか、使用することまで眼中にあるのだから、歯止めの意味合いは持たない。軍拡競争で核兵器を増強し軍事同盟を強化しても、世界の「核兵器をなくしていく」ことにはなっていないし、軍縮の課題からも遠ざかってきたことが実相。

 目下の「裏金かくし解散」では右往左往しつつ、安全保障環境が厳しくなっていると言って、軍備に膨大な税を導入することを隠さず、「アメリカの核の傘で日本の安全が図れる」と日米同盟を金科玉条にして、「核兵器の共有」も公言。被爆国の歴史と被爆者の長い苦しみにも、見返ることがない有り様は、大きな争点として議論してほしいし、核兵器禁止条約加盟へ一歩進める選挙結果になってほしい。ICBMを買い核シェルターを作って国民の安全をと生活を守るなどと言うけれど、能登の豪雨被害の対応にはまた補正予算を充てておいて、本格的な復興はどうするというのだろうか?住まいや電気や水ではなく、核シェルターやICBMでは安心安全の課題にははまらない。

 ノーベル平和賞受賞までの道のりは、武器は「ことば」だった。とてつもない苦労と時間を使って、核兵器禁止条約を成立させるまでにいたった。核兵器をなくしてくのは「核を持つこと」ではなくて、「言論と意見表明」よって実っていくことを再確認したい。




 

2024年10月7日月曜日

ボロがでないうちにするのが憲政の常道?

 貧乏人という言葉も最近は聞かなくなった。格差が広がってある層の人々にはモノが容易に手に入り、億ションを手に入れるとか投資話に乗るとかが簡単にできる。こちとらはだんだん削られていく年金支給額にため息をつきながらこの先を心配しながら生きている。まさに貧乏人だ。金とモノを動かして世渡りする連中にはだから腹が立つ。普通に暮らすというキーワードが夢になって、数十年を暮らしてきた人生がなんだったのかという気が拡大していく。

 「利権」のための政治は極まっていると思うけど、これがなかなか修正していかない。それは己のせいもあるのだろうと、反省はある。昨日言ったことが今日違うという朝令暮改政治は、メディアでも批判されているのも確かで、それだけ怒りが反映いることなのだと思う。その一方で「言ったことの転換は順番をつけてやれば」などと水かけ議論で、結果救いの手を差し伸べる意見が出される。

 9人もの立候補者がでたのが初めてと賑やかさを表するか、これは「民主的」と言いたげな持ち上げに使われている節もある。早期解散戦略はボロ隠しというのが正解だという批判があまり聞かれなかったのがちょっと残念。

 振り返れば、都合の悪いときには憲法に違反して50日以上も国会を開かなかったこともある。国会軽視はずっとあったことだった。いかにして目先をそらすか騙しおおせるかということ、これがいつまでも通用するようではまずいと思う。

 最近携帯電話にも「迷惑電話」がかかるようになってきた。番号が漏れてなんらかのリスト化がされていることがあるのだろう。知り合いの電話番号は連絡帳に全部登録してあるので、番号通知のないものは応答しない。かかってきた番号でNET検索すると、どんなことで電話番号が使われているのかがわかる。だいたいは、しつこい勧誘とか振り込め詐欺に使われているのが多い。



2024年9月30日月曜日

森のクマさん

 🎵ある日森の中 熊さんにであった 花咲く森の道 熊さんに出会った~

クマが「人里」に現れて食糧を探すというニュースがあちこちにある。昨年一年では198件もあって、人が襲われるということが多くなったと聞くと、クマの顔つきがだんだん悪く印象付けられる。ダークダックスのこの歌は、意識されていたかどうかはわからないけれども「共生」状況を捉えたものだろう。

「共生」は口で言えても簡単にはいかないことが多いのは確かで、クマの問題に寄らず存在する。いま人間の側がクマの被害者になっているのは、人間側が人以外の自然界への介入が原因とみることができる。秋の食糧の実りが悪いのは、なにより温暖化の気候変動が影響している。そのうえ山が放置状態になっているところが多くあり、山里の環境=高齢化農業放棄も、クマの生活エリアを広げる原因になっている。

クマによる被害は、加害者がクマであっても、人間の側のこれまでの所業を考えると被害者の顔だけでいるのは厚かましいと思う。でも今の状態を解決するのは容易ではない。人の「戦争」であれば止めることは、物理的には可能で「止める局面」を作り出せればいいが、相手がクマでは同じ土俵がない。

クマの生息数が増えているのが分かっているはずなのに、それらしき対応がずさんなのが報道でわかる。ある程度の「管理」的対応が必要なのに、まったく一部のこととして「知見」として生かされない行政の対応が一番の問題ではないか。クマが人の生活圏にきて、人の被害を生み出したら、駆除するだけのことでいいのか。国でも少々のクマ対策の人員はつけているらしいが、これまた自治体職員はこれでもかというほどの人数に押し込められて、対応の困難さもある。

「共生」の見地を議論しながら、対策に動き出すことが必要に思える。それにしても「総裁選」の発言で温暖化、気候変動への政策が全く出てこないのは、どうしたことだろうか。

森のくまさんの替え歌があるそうで、全国にバリエーションを違えて広がっているらしい。


これも「加害者」的なトーンではないのは、現在と違った状態だったからだろうか。

岩手県の豊沢川に行ったときに、クマさんの目を盗んで拾ってきたクルミ。なぜか9個でも総裁選には関係ない。



2024年9月24日火曜日

涼しくなったら動いて頭脳

 レインボーブリッジの撮影会があって、その原稿を書くことになった。この手の「報告」は早く書く方が記憶に残っていて、書く内容に臨場感が薄れなくていい。だけどこの暑さでどうしても身体の回りが悪いときには、はかどらなくて困る。涼しい環境になってきたから、この機に乗じてやり上げようと、取り掛かった。できた原稿は、ページ一杯になった。書き込むべきページには、撮影会のほかにもう一つ項目があったのに、写真を張り付けたページはそれだけで一杯になってしまった。やむを得ず写真を縮小して、文章の編集をしなおしてもう一つの余白を作った。一度作り上げて「完成」を迎えたものに、また手を加えて推敲しなおしたら思った以上のものに仕上がった。(あくまでも自己評価)。やっぱり推敲とは絶対に大事なものと改めて思った。これでポチっと送信できた。

ー「レインボーブリッジ撮影会」修正後

 9月19日の気温は、運も天も見放したとみえて、涼しくなるどころか集合場所のお台場海浜公園駅で下車すると、すでにムゥッーとした空気だった。海浜沿いの小道をレインボーブリッジに向かって歩き始めると、外人の親子連れが散歩中。橋のほうからは保育園の子供たちが手をつないで歩いてきた。ビルばかりの土地柄でも、「人の生活」があるのだ!「第三台場」にまで埋め立て、格安で土地利用を進めたのは東京都。もうけた企業の一つがフジテレビ。第三台場に対峙してデンと構えている。

 埋め立てたその上を歩いて「お台場」に行って周遊すると、砲台跡、弾薬庫跡、かまどなどが残された史跡になっている。江戸幕府の開国により11か所の台場が6か所に縮小。工事中止となり、二つだけが今に残されている。(もう一つはお台場近くの超小島)

 170年の歴史の一端をカメラに収めたころは、全身汗だらけだった。浜辺近くでしきりに跳ね上がるボラを、涼しそうだとうらやましく眺めながら、ようやくレインボーブリッジへ進入。入り口の門番さんも制服を着て暑そう。「行ってらっしゃい」との声に送られて歩き始めたが、余りの暑さでシャッターを押す気力が削がれてしまった。今回は殆ど無風で蒸し風呂に入っているかのようだった。途中から折り返して南側から見えるはずの富士山に期待したのに、残念ながら見えなかった。

ー「レインボーブリッジ撮影会」修正前(下線は修正箇所)

予報では涼しくなるかということも言っていた。ところが運も天も見放したとみえて、集合場所のお台場海浜公園駅で下車すると、すでにムッーとした空気だった。海浜沿いの小道をレインボーブリッジに向かって歩き始めると、外人の親子が散歩か何かで歩いていた。橋のほうからは保育園の子供たちが手をつないで歩いてきた。ビルばかりの土地柄でも、「人の生活」があるのだと少しびっくり。進んでいくと海岸の小枝を拾い集めている人がいる。隅田川を流れてきたものだろうか。「第三お台場」にむけて埋め立て、格安で土地利用を進めたのは東京都。もうけた企業の一つがフジテレビ。埋め立てたその上を歩いて「第三お台場」に行って周遊すると、砲台跡、弾薬庫跡、かまどなどが残された史跡になっている。史跡になったのが大正15年というが、「黒船来航」で開国を迫られ、あわてた江戸幕府が江戸湾の防備強化をするため、大砲をそなえた砲台場を海上に築いた。6か所(予定では11箇所)の台場が造られたが、開国により工事中止となり、今は二つだけ残されている。(もう一つはお台場近くの超小島)お台場公園を回って、170年の歴史の一端もカメラに収めたころは、全身汗だらけでゆでだこの気分だった。海浜近くでしきりに飛び上がるボラを、涼しそうだとうらやましく眺めながら、ようやくレインボーブリッジへ進入。入り口の門番さんも制服を着て暑そうで気の毒だが、行ってらっしゃいと声で送られたが、余りの暑さと下見に来ていたのが禍して、シャッターを押す気力が削がれてしまった。前回は暑い中にも風が吹いていたが、今回は殆ど無風で蒸し風呂に入っていたようだった。





2024年9月18日水曜日

ひさしぶり!ヤマメと岩魚に対面!

釣り道具は大方断捨離していた。でも長年親しんだ渓流釣りの道具は、始末しかねて残していた。先日たまたま以前に行ったことがある、岩手県の花巻に釣りに行こうとの声がかかって、「最後の夢」が果たしたくなった。釣行(ちょうこう)の要領はわかっているし、一緒に行くメンバーもまったく知らない間柄ではない。ただ問題は身体が耐えうるかが一番の心配ごとだった。

かつては東京から車で出かけたものだったが、今は新幹線で新花巻まで行き、レンタカー使用という設定になっている。ほぼ空き家になっている古民家の「別荘」で、6人が掃除から食事調理に大奮闘して賄いをする。広い敷地に生える雑草の刈り取りも機械を使ってきれいにする仕事もこなして、釣り行動の大事な仕事になる。夕食は「釣り談義」が果て無く続く。

起床時間は最近ではずっと遅くになっているから、4時5時に起きるとなると結構気合がいる。前夜に用意されたおにぎりやゆで卵、沢庵などを手際よく用意されたものを、リュックに入れて出発。釣り場までは一時間~2時間車で走るが、釣り場の選定もこれまでの経験を寄せ合って、各自の要望を加えて釣り場を割り振る。6人のメンバーが目当ての渓流に向かい、それからようやく釣り稼働という具合になる。

釣り場での釣りそのものはそう問題はないが、移動するときの動きがやはり厳しい。石の段差を繰り返して歩くとき、上下の位置で踏ん張りがきかない。足元は形状の違った石があるから、角度の違いに早く合わせることが難しい。どうしてもふらついてしまうので、慎重に足を運ぶことになり、時間がかかる。普段平らなところしか歩かない足の筋肉だけでは済まなくて、ひざ下のわきの筋肉に疲労が起きていた。

断捨離を逃れた渓流用の靴もしばらくぶりに履いていた。大丈夫か?の一抹の不安があったが、歩いているうちに靴底のフェルトがはがれた。歩くたびに尻に水が跳ねてくるので、見てみるとベロのようにはがれて、水を跳ね上げているのだった。それも左右ともに。

その次は川縁での転倒だった。幸い少しバランスをくずしただけで、亀がひっくり返るときのように、ゆっくりしたもので、身体のどこにも影響はなかったのは救いだった。

最終日には、午前中に豊沢川の渓流で釣りをする予定だった。体が相当疲労しているので釣りは遠慮して、4人が釣りをしている間にカメラを取り出して、山の景色を楽しみながら何枚かシャッターを押した。釣りでは目に入ってこない山中の様子が急に眼に入ってきた。

ブナと栗、クルミが道に落ちていて、熊のテリトリーにいるのだと思ったところ、下方の渓流に入ったメンバーの二人がクマにあったとのこと、持ち歩いている爆竹の使用は忘れちゃいけないと反省の弁。大沢温泉で温泉に浸かってから岩魚庵に戻って、丁寧に囲炉裏で炙ってもらった、お土産の岩魚ヤマメをそれぞれ10尾以上持ち帰ることになった。










2024年9月11日水曜日

自由民主党総裁選挙に投票できます

自民党員はおよそ110万人で、この総裁レースで各候補者が人集めして、その多可が結果に影響していく。党員が増えていけば「解散総選挙」のエネルギーに連動するもので、それゆえ新しくても古くても(*^^)v(≧◇≦)をかえることで斬新感が売りになる。これまでの悪行にはなるべく立ちこまないように、「政策」を訴える。

悪行がばれての政権投げ出しなのに、これまでの政治を反省するでもなく、なるべくオブラートに包んでやり過ごす。ご祝儀支持率が続かなくなって、いまやはなから低空飛行。これが政権たらい回しの方法で永らえてきた結果だったのに、隠しおおせることがむずかしくなってきたし、メディアの支えを期待するのも簡単ではなくなった。

有権者数(公職選挙の有権者)は大雑把1億人とすると(1億人÷110万人=0.9%。有権者数の1%にも満たない人数で、政党内「選挙」して総裁が決まる。連動してこれが首相となるというのも、民主主義と言えるのか疑問だ。ほとんどの国民がかかわりのないところで、「首相になる人」のニュースなのだからと言って、お盆の夏祭りのごとくマスコミが神輿の担ぎ手になっている。

にぎやかに「日替わりメニュー」で盛り上げるって、なんなんでしょうか。それにしては神輿が多いけど、一面では「派閥解消?」の影響なのか、「液状化」とは言いすぎかもしれないけれど「穏やかな裏金と利権政治」が地鳴りしているみたいにも感じる。

「総裁2年継続して年額1万円以上の寄付をされた個人及び法人の代表者には、自由民主党総裁選挙の選挙権が付与されます。」ということですが、はて?

 走れコウタロー🎵

これから始まる大レース

ひしめき合っていななくは

天下のサラブレットソウサイバ

今日はダービーめでたいな

走れ走れコウタロー

本命穴馬かきわけて

走れ走れコウタロー

追いつけ追い越せ引っこ抜け




2024年9月5日木曜日

カラスなぜ鳴くの

このところ朝方良く鳴いていて騒がしいので、どうしてなのか気になって⋯(NET検索した結果の情報)をまとめてみた。

烏の鳴き声の研究はそれほど進んでいないとした記述をしているものがあった。

鳴く理由

・仲間とコミュニケーションを取るため。飛んでいる時にお互いの居場所を知らせたり、食べ物を見つけた時に仲間へ合図を送ったりしている。

・縄張りを主張するため。カラスには縄張り意識があるため、鳴いて縄張りを主張。

・警戒や威嚇のため。縄張りが危険にさらされていると感じると、警戒の鳴き声を発する。

まずは、仲間とコミュニケーションを取る時。飛行中にはぐれないようにするために鳴く鳴き方は、「カァーカァー」という比較的長めの鳴声。空を飛んでいるカラスが鳴いている。

それ以外にも、食べ物を見つけた時に「カカカカ」と短く連続して鳴くことがある。仲間を食べ物があるところに呼ぶための鳴き方。次は、縄張りを主張している時の鳴き方です。この場合は、「カァカァ」というような一般的によく耳にする鳴き方をする。

最後は、警戒や威嚇をしている時。非常時の鳴き声は他の時よりも強く、「ガアガア」というふうに聞こえる。

警戒心が一番強くなるとされているのは、4月から7月の繁殖期です。~最近良く鳴いているのはなぜだ???

 鳴く回数の違い!!!こんな子観察もあるのか

8回 集合・集団行動の合図
7
回 リーダーが発する合図
6
回 敵がいる
5
回 警戒、逃げろ
4
回 警戒、威嚇
3
回 位置表示、安全・満足、威嚇
2
回 強調、注意喚起、空腹
1
回 挨拶

「カラスはサッカー日本代表のシンボルマーク」であることは知らなかった。

「カラスが鳴くことは不吉」や「カラスが鳴くのは地震の前兆」、「夜中にカラスが鳴くと死人がでる」という話など、カラスにまつわるさまざまな不吉な噂~はなんとなく気になるけど。

 



2024年8月27日火曜日

これから天気予想は下駄にしようかな

 10号台風がずうっと西寄りになっていった。そして時間がたつごとにどんどんと移動していく。26日には旅に出かける予定だったのに、前々日には見事に旅コースをたどっていくというので、やむなく中止にした。最近の新幹線は「計画運休」で、気軽に(ではないだろうけど)止めてしまうので、危険は回避されるようになる。ても妙なところで足止めになっても困るので、転ばぬ先の杖を選択することにした。

 ところが、10号台風のコースは高気圧に押されてどんどん西方へ流されて、なんのことはない予定していた旅コースの危険はなくなってしまった。天気予報は天気予想という場合もあるらしくて、予想といえば競馬のイメージからハズレがありかという悪口も浮かんでくる。スーパーコンピューターを駆使しても、当たらない天気ってなんだろうと思うと高い買い物だなと思ってしまう。

 いろいろな「天気予報機関」があっても、予想がつかめないのはどうしてなのだろうか。天気の状況は「気象レーダー」を使っているとテレビで説明しているから、やっぱり「デジタル頼み」ではだめだということなのだろうか?原因はわからないけれども、これまでの気象具合で経験できないほどの変容が起きているということだろうか。

 最近台所の流しに汚れ(カビ?)がこびりつくことが多くなった。ステンレスだから水で流せばという考えではだめらしい。水分をふき取る雑巾の汚れもこれまでより早くなっていると感じている。着衣の匂いをとる洗剤が宣伝されて我が家でも利用しているが、O157、アニサキス、鳥インフル、ダニ…気温の上昇が身体への影響も与えている可能性は大きくなっていると思える。


 

2024年8月21日水曜日

よくある物忘れ最前線

退職者会の寄合が終わった後、担当のMさんが部屋に鍵をかけた。そして歩き始めたとたんに、今日間違いなく頭にかぶっていた帽子を、部屋に置きっぱなしだったことを思い出した。その場で戻ればよかったものを、他人の手を煩わせるのが申し訳なくて、「次回の会議の時でいいよ」と話した。なかったみたいだよと他の人が言うが、家から当地まで寄ったところはなったから、絶対にあると確信してそのまま帰ることにした。

先週はお盆で休みだったらしく、電話には応答がなかった。月曜に再度電話を確認してみたところ、あるにはあったけれども自分のものとは違っているようだった。わかりましたと電話を切ったけれども、絶対にと言えるほどだった自信がグラリと地震のように揺らめいて、いよいよ忘れ度がランクアップしたんのかと気が重くなった。

同じ月曜には約束があって、うっかりカレンダー登録を忘れてしまっていたため、当日「お休みですか?」と+メールを受け取ってしまった。この惚けたショックも重なって、ちょっと落ち込んだ。これはいよいよやばいことになってきたかと、いくつかある予定は大丈夫かなと心配になってきた。

どう折り合いをつけるかは考えようもないけど、重い気分でいたら昨日になって、帽子があったよとの電話がかかってきた。よかった!

実は帽子は置いてきたけど、なくなってもいいかという気分が生じていたのに、やっぱり確認した方がいいと思いなおして、先方に連絡をしたものだった。自分の自覚が確かだったことが確認できて、気が軽くなって何よりな結末だった。でも、予定の書き込みをスマホのカレンダーに登録しておいても、頭にはあんまりはいっていないものだから、一日に何回もカレンダーを覗いてみる。8月も20日以上はなにかかにかの予定があったから、そちらの方を縮小するのが「お年頃」にあっていることなのだろうか。



2024年8月15日木曜日

地震情報がオオカミ少年にならぬように

地震予知は難しくて「不可能」なことらしい。さまざまな地震研究の積み重ねの現状は、そういう前提で考えれば、南海トラフ地震がありうるという「発表」に、そうなんだろうなという解釈をする以外には、なかなか判断の基準を持てない。

「気象庁において、マグニチュード6.8以上の地震等の異常な現象を観測した後、530分後に南海トラフ地震臨時情報(調査中)が発表されます」という決め事に従っての5年ぶりの発表だということで、あるかどうかも分からないが、過去の発生経緯かして可能性があると言えるので、警戒してとの発表をするということで、政府が動いたということだと伝えられている。

15日になって「特段の変化はないから注意の呼びかけは終了」という発表があり、緊張感が解けるわけでもなく、気をぬいたらいけないよというコメントもついて、記者会見がされた。「特段の変化がなければ情報収集態勢に移行」というこれも決めごとの内容で、シロウトにはどう解釈してよいものやら。マグニチュードが大きかった割合には津波も、被害も多くはなかった今回の地震で、「騒ぎ」が大きくなってしまった側面がなかったのか?その後一週間大きな地震がなかったという結果からいえることでもあるが、(これはバカな疑問なのかもしれないが、官邸主導で専門家の会議が短時間で持たれた結果があってのことだから責任は当然負っている)。ただ、南海トラフ地震の危険性については対応について国会でも議論があり、専門家の間にも異論はあったらしい。

能登地震は2年前から地震が多発していて、まだ検討するに至っていなかったと言われているが、今回の南海トラフ地震の扱いと違い過ぎるのではないのかと不思議に思っていた。そしたら、810日に「上越沖断層帯M7.88.1程度規模の地震引き起こす可能性 地震調査委が海域活断層を長期評価」したとのニュース(FNNプライムオンラインがあった。

上越沖の活断層について、マグニチュード7881程度の規模の地震を引き起こす可能性があると評価して「地震発生確率の評価を行わずに前倒しして公表した」と、なにか後付けのような対応で地震情報をだした。

またぞろの「自助努力」が主要な対策と強調するニュースが流されて、危険度の高い原発稼働の問題は隠されたままにされ、政府が自治体に対応するようにという指示をしたのみのことに見えた。こんな状況化で、富士山には多くの登山客が集まっていたのは、いったいなになのか?観光は野放し?というハテナばかりの一週間だった。

世田谷区では「せたがや防災ギフト」を一人3000ポイント(円)で人数分を配布することにした。防災意識の向上とのこと。行政が防災にやるべきことのひとつはこういったことだろう。




2024年8月11日日曜日

スマホにかかる詐欺的迷惑電話

  昨日は「番号通知」設定した電話が3本もかかってきた。連絡帳に登録のないところなので、それぞれ番号をNET検索してみたら、使いまわしをしているものらしいもの、セールスでの着信だった。全部が詐欺とはいえないけれども、「口車」でお得をアピールして契約させるという手法は同じ。結果がお得な場合もなくはないと思うが、番号通知があっても応答しない方がいいのだろう。必要なことや物は自らNETで調べる方法が良いし、面倒でもその方法は人にも確かめて聞くことが必要だと思う。着信した電話番号はその数字を検索にかけると、集められた情報が表示されていた。

0800-123-9507

・東京電力からのアンケートとして、自動音声で個人情報の質問がありました。神奈川県大和警察署のXによると詐欺電話のようです。アンケートに答えないようお気をつけ...

・インターネット回線の切り替えソネットのインターネット回線営業の業者。電話帳を片っ端からかけているそうです。喋り方が詐欺っぽくて気持ち悪かったので着信拒否。

・検索結果の新着クチコミ · インターネット回線切り替え業者/回線の勧誘 · トラスト光/インターネット回線のセールス… · (株)リザルト/Wi-Fiの月々の ...

・新着詐欺?電話の口コミ(20)..未納です系の詐欺メッセでした。...NTTよりご使用請求に関してお話が御座います。

180-7022-4418

【迷惑電話度100%】電話番号08070224418(エコシステム【注意】/自動音声アンケートは犯罪に利用される事があります)は迷惑電話業者の疑いがあり、4人のユーザーから

0800-123-2401

電力会社の名前を名乗ってかかってくる代表的なセールスは『太陽光設備の設置』か『新電力への切り替え』を勧誘する営業電話です。


2024年8月4日日曜日

泣くか泣かぬかは決めることではないけど

 オリンピックの柔道一回戦。アベウタちゃんが負けてしまって、本人含めて信じられないといった状況で、驚いてあまりの悔しさにか大泣きしてしまった。それを見てもらい泣きをした人もいたのだろう。会場からの声援が止まずにずっと続いて、少し異様(私見)な感じがした。

 日本の応援団、フランスの観客など多くの人が心を動かされたということだという解釈がいいのか。でも思うにスポーツのルールで戦っての結果なのだから、もうちょっとさっぱりした感じがあっても、惜しまれ方は変わらないのではないだろうか。げんに負けてしまってもそういったコメントをする選手は結構いる。日本はメディアがメダルを取ることが至上命題のように報道しまくるから、国ごとのメダル数をJOCが大きくは取り上げないという枠を飛び越えて、視聴者側も煽られるようになる。失敗したら⋯というストレスも大変なものだろう。ゆえにのショックではないのか。

 卓球では中国が圧倒的に強いが、卓球人口は日本の70倍もいるのだという。「強い国」を表すための財政の有様の違いもあるとは思うが、企業に顔の効くスポーツ関係者が金を集めて資金にしていると、報道している日本とはちょっと規模の違いがあるように思う。野球、サッカーは学校教育の分野でもすそ野が広くなった結果、国際的にもやりあえるようになった。卓球も同様だろう。「金」メダル効果が影響して指向者が増えていくことはあるだろうが、スポーツ自体の広がりと健康志向の増進が結びついていくための税金の裏付けをすることが必要だろう。

 「少子者対策に」とかそのための高齢者負担が必要だとか、社会保障費の増圧縮だとか言っているうちは、国民のスポーツ、健康などへの「国」の関心は遠景といったところ。諸外国よりも遅れている。「防衛費」ばかりが肩を切っているようでは、それこそメダル獲得は望み薄。 

スケボー大活躍 悩みは練習場所