2012年1月26日木曜日

去年は1月14日だった新年会 反省 来年を縛ることはないかな


 一昨日の旧職場の新年会、昼過ぎから始まった。のっけから「度忘れ」が話題になった。

 今回は担当がだれだったのかの追求から始まり、結局「そろそろやる時期と」覚えていた人の声で動き出したらしい。

 昨年やった時期はいつだったのか、12月説、1月説、2月説とああだこうだと話が錯綜した。忘れるのは、天命だからやむを得ないとしても、忘れちゃいけないことを忘れることが多くなると歳を自覚させる。

 近況を出し合ったが、体調悪くした人あり、孫のおもりを楽しむ人あり、海外旅行楽しむ人あり、第二の人生を年相応に過ごしている。

 元気で酒を飲めるのがともかくにも生きていることの証のひとつかな。念のために、「忘れないように」書いている日記をめくって確認してみた。
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14日  N時代のメンバーと新年会。寿司屋で13時からと、明るい時間の宴会。KD、IN、IT、NK、NT、NSさんなどの豪華エリートメンバー。Iさんは元気そうだった。「オス」を持って行ってよかった。もう、来春の話になって、1月第3木曜は新年会と決まる。
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さっさと決めたのに見事に忘れた。

2012年1月25日水曜日

公務員を減らすのはだまし討ち

 携帯電話がつながらなくなった。スマートフォンが絡んでると思ったらやっぱりそうだった。スマートフォンがだんだんというより、どんどん普及したらどういうことが起きるのかという推定はできないのかな。


 まあ国も事業者もやるつもりはないだろう。悪口で言うなら「売れれば」いいんだから。国の機関だって本当は、見通せるはずだ。やればのはなしだけれど。


 復興庁ができて、二百数十名の公務員が配置される。しかし、たぶん国のどこかの組織を定数削減して人をつけることになるのだろう。余っているところはどこか?


 私たちには国の組織があまり見えないが、例えば輸入品の検査は「抽出」でやっている。国家予算案の編成は財務省が暮れから走らされる。3月までには関係課長が自殺することも結構ある。


 日本の公務員はアメリカと比べても人口比では圧倒的に少ない。その分国民に必要なサービスは薄くなっているというのが正解だろう。たとえはよくないが、刑務所から逃げ題した受刑者を監視カメラはみていたが、職員は見ていなかったという事件。


 刑務所を知る評論家は、職員は受刑者を常に視界に入れておくのがマニュアルという。職員に代わってカメラが監視するという理由で、職員の配置を薄くしたのでは?との疑念も湧く。


 職員を減らしておいて、これまでどおりの業務分野を維持しようとすれば無理が起こる。様々な仕事ををマニュアル化して余計なことをやらせなくすることで促進させる。だから定式化された以外の時に判断できなくなる。


 行政分野を縮小して民間に渡すということをしきりにやっているが、消費者庁のように行政がもたなくてはならないところは多い。携帯電話もスマートフォンもやたら普及ばかりにこころがけて、起こる事態に対応ができないのは問題だ。このときそれこそ地震が来たらどうするのか。


 震災の教訓からも公衆電話を必要数設置させるぐらいのことはすぐやってもらいた。公務員の賃金を0.23%+7.8%削減すると、民主党と自民党が合意したと報道しているが、政府=公務員全般の責任みたいなすり替えは許されなし、国民へのサービス低下、縮小につながることで、本質はだまし討ちだ。

2012年1月24日火曜日

作家は生意気でひねくれている?


 田中慎弥氏の芥川賞受賞で、石原新太郎とのやり取りが話題になっている。石原慎太郎が芥川賞の推薦作品は「バカみたいな作品ばかりだ」といったのがことの始まりみたいだ。

 選考委員が作品を対外的に評するのに、そういう言葉はないだろうと非常に不快に思った。「作家」と言われる人間が、そんな言葉でした表現できないのは、作家のイメージを貶める。

 田中氏が「もらってやらないと、都知事閣下が倒れて都政が混乱するからと」切り返したのはおもしろい。

 都知事になにか言うことはと問われて「おじいちゃん新党づくりにいそしんでいただければ」とさや当てをして、見事に評したのはなお面白かった。

 ところで田中氏はつりがうまいらしい。手前みそだが釣りは感性を高めると思っている。自然に接していてしかも魚を獲るという行動がとても人間の本性に近い所業だし、精神的にも心理的にも人間の活力によい影響を及ぼしているのではないかと思う。

 石原氏は東京湾有明北の埋立反対運動の時に「ハゼはどこかへいくでしょう」と都議会で言い放った。こういう感性はつり好きとしてもいただけない。

2012年1月23日月曜日

一刻も早い原発からの脱却が大事

 今日の朝日新聞にドイツの脱原発の記事が書いてあった。「処分場なき脱原発」というもので、使用済み核燃料の最終処分場が、地元の反対で決まらないという。


 日本の原発事故の影響で反対運動が広がってできないということ。その後の囲み記事で日本の現状に触れて、使用済みの核燃料はの最終処分場が、地元の反対で決まらないという。


 新聞では、続けてその後の囲み記事で、日本の現状に触れて、「使用済みの核燃料は金属製の容器に入れて300メートルより深いところに最終処分することになっている。今は原発敷地内や六ヶ所村の再処理工場内に保管されている。国は2002年から最終処分場の場所を選定するために、調査地点を募っているがうまくゆかない」と載せている。


 だから、一刻も早く原子力発電から抜け出すべきなのであって 、「脱原発」に踏み切ったといわれる朝日新聞がドイツの混乱を一面記事でうまくいっていないと書き上げるのは少し釈然としない。国民の多数が願っていることを素直に書けばいいのにと思った。

2012年1月22日日曜日

放射性物質を調べたい

 放射性物質の測定器が借りられると知らせがあった。利用したいものだと思って返事をしたが、19日の早朝からNHKスペシャル「知られざる放射能汚染」の再放送をみていたから、タイムリーな話になった。


 福島原発周辺の汚染は拡散されて薄まるとされたが、じつは塊になって移動している。福島県の水産課ホームページにも、その移動の様子が乗っていた。  → 福島県水産課HP


 放送では、泥の粒子に付着して流れていくということだ。アイナメ、ホウボウなど「底魚」が泥の中のゴカイを食べているから、セシウムを摂取する。


 汚染された泥をゴカイが食べて蓄積し、ナメタガレイがそれを食べるから連鎖によって、濃縮されたという調査結果だった。


 驚いたのは江戸川河口部にホットスポットがあるということ。東京湾はわが釣りの会のホームグランドが、これではたまらない。
 
 江戸前の魚は、湾に流れ込む河川の多さによるものと言われていた。汚染物質が多くの河川から東京湾にと流れ込むのだと思うとぞっとする。


 赤城沼のワカサギ調査では湖の底にたまったセシウム950ベクレル、プランクトンが296ベクレルで、これがワカサギに影響する。しかもワカサギが死んだらまた、セシウムが湖底に戻ることになる。


 チェルノブイリのときは23年調べないとわからなかったというし、放射性物質の性質は、5年間は下がるが、30年が半減期と専門家が言っている。


 流通にのっていく魚貝類は汚染調査をしているが、釣りの対象としている魚は放っておかれているものもある。


 放射性物質汚染調査は最初から、調査をすることを避けている現状では、「調べてくれ」と言っているだけでは足りなそうだ。
この際できれば自力でも調べた方がいいと思う。

2012年1月21日土曜日

写真を撮り、ヤマメを釣るわがふるさと

 山形県の金山町観光協会から、「金山町フォトコンテスト」の案内が届いた。一昨年応募したものが去年表彰されて、地元の特産物や酒をもらった。


 去年の八月にも、写真仲間と訪問して祭りと景色を撮って歩いたが、今回は出すつもりがなかった。けれども1月末締め切りで少し応募が少ないのだろうか、「ぜひ検討して」とのこと。


 せっかくだからいくつか出してみようと、HDDに取り込んである写真を見直して数枚プリントした。


 己の故郷の町だからやっぱり何とかしたい気が起きる。金山町は写真もいいが、金山川でヤマメがよく釣れる。


 最初に訪問したときに町役場の前に入漁証販売ののぼりがみえたので、声をかけて聞いてみたら「上の方でやるんでしょ、いらないよ」と言う。


 この鷹揚さがまた我が故郷の株を上げる(自分のひとりよがりか)。写真展でお世話になったお蕎麦屋さん「草々」の旧家もいい。もちろんそばもうまい。


 今度は写真でなくて釣りでいきたい。ヤマメ釣りをしたのはたった一回だ。そのときは短時間だったが、感触よく釣れた。

2012年1月20日金曜日

雪の日、歌もおつなもの

 昼食の時間テレビで、寺井尚子と八代亜紀のセッションをしていた。ジャズと演歌だから月とすっぽんみたいなものかと思ったが、なかなか素晴らしいものだった。


 歌ったのは「雨の慕情」。寺井尚子さんはジャズセッションを情熱的に演奏、一昨年の赤旗祭りで初めて演奏を聴いた。


 八代亜紀さんの演歌は「沁みる」歌が好みで、娘が小さいころ振付を覚えさせたことがあった。専門的にはわからないけれども、演歌の乗りやすい端的な曲筋に、ジャズの奔放にふるまいでかつ外して戻るような流れが、見事にマッチしていた。


 単独で聞いていても本当に卓越した演奏と感じさせる御両人がコラボレーションするなんてなんという贅沢か。できればもっと聞いてみたい。


雨の慕情


リベルタンゴ

2010.11.07日 赤旗祭りで

2012年1月19日木曜日

今の政治が続くのはゴメンだ

 選挙区5減、比例区80減は多くの願いを捨ててしまう。一人一区では比較第一党が議席を得る。「二大政党論」で自民党と民主党どちらかが残る。


 大阪の区長は30数パーセントの得票率で当選。首長は複数入はらないから、これは制度としてはしかたがない。


 小選挙区制は自民党が独裁的に政治を続け、得票率が30%台になったとき、批判を受けても当選できるように仕掛けを作った。


 民主党はマニュフェストをきらびやかに掲げて、票をかすめ取った。政策の劣化は隠しようもないし、自民党時代の政治どころか、いまや開き直りになった。


 岡田副総理は「公明党にも配慮」とあけすけに言った。だいたい、小選挙区制になって何人首相が変わったか、何人の閣僚が交代したのか。


 政策ももちろん、資質の問題も問われている。アメリカの要求や財界の思いが最優先で、国民の意見要求を切り捨てる。


 こういう政治を保証する制度では、また反国民的な政治を続けることになってしまう。「議員定数を減らして」と、身を削っていると見せかける手法は犯罪的だ。


 議員が国民のために働かないから問題なので、そういう議員を当選させる小選挙区制はよくない。


 議員数が少なくなれば、「原発からの撤退」の要求などは届かなくなる。政党交付金をなくせば400人以上の議員歳費と同等という計算になるという。さっさと止めればいいじゃないの。

2012年1月18日水曜日

釣りの会の総会が近いが

 釣りの会の総会が来月あるので、担当の仕事のまとめをしなくてはならないが、なかなか進まない。


 人間の出来が悪いせいか、子供のころも「勉強しろ」と怒られると、鉛筆削りを始めたものだった。肥後守という安いナイフだった。


 でもそれで一所懸命削ったおかげで、ナイフの扱いは苦にならなくなった。近くの山へ行って灌木の中入り込んで小屋まがいのものを造ったり、竹で弓矢を造ったり、竹とんぼはよく飛ばなかったな。


 もう時効だからいいだろうけど、よその畑のスイカを取って食べてしまったり、サツマイモも食べたっけ。


 その癖がまだ抜けないのか、大事なことは後回しにしてまず遊びから入る。


 今は遊び道具のパソコンだから、食事の片付けが終わって座ると、メールを見た後はツイッターを眺める。


 今日は石原知事が「刺激がないから芥川賞選考委員を止める」と言ったのを報道されたことから賑やかな「つぶやき」が始まっていた。「ついでに知事もおやめになったら」などと。
 それに悪乗りしてつぶやいた。

石原知事さま。芥川賞選考委員をお止めになるそうで。仕事は副知事に任せて週2回しか出勤せずに小説書いているのかと思ったら、選考のために小説もお読みになっていた。刺激がないそうですが、ガレキの受け入れやオリンピック招致もご自分の刺激のためなのでございましょうか?

親しめる楽しい国歌なら


 「君が代」は愛されているのかね。風呂にで暖まりながら口ずさむことはないし、カラオケでは絶対歌わないね。

 「国歌」は明るいものでいい。うれしいとき、気持ちを表現したいときに肩を組んで歌えるようなものがいいんじゃないか。

 若者のLiveでは、みんな立ち上がってペンライトなんかもって、振りかざして同調している。歌ってそういうものでないか。

 天皇は現憲法では「象徴」だから、「君が代」の歌詞にこだわる必要はない。日本の歴史でもっとも他国を侵略した15年戦争の行為を懐かしむ人たちが、今も政治をつかさどる人たちの中にもいる。
その体現が「起立斉唱」。

 軍事でことを収めるのは控え時だ。イラクからアメリカも引き上げる。(もっとも金がかかるからという事情もあるが)。北朝鮮の所業にさえ、「協議」の時代だ。

 歌は世につれ世は歌につれというじゃないの。みんなが歓迎するようなものならともかく、「起立して歌うのが職務命令」なんて、諸外国から笑われるよ。

 公募したらいまの若者は感性が鋭いから、いいものができると思うけど。そしたら、起立の職務命令なんぞださなくても、起立かつペンライト付きで愛されるよ。

2012年1月16日月曜日

「君が代」は過去もの


 官房長官が記者会見をするときに壇上に向い、日の丸の旗にお辞儀する。その姿を見るたび、あの人方は日の丸には頭をさげるが、国民には頭を下げていないなと思う。

 福島原発問題に関しての記者会見では特にそう思えた。自分が生まれたところを嫌いな人はいない。ずっとそこで暮らしたいとおもっているのが圧倒的だろう。

 それは震災で一層はっきりした。言い換えればそれが国に対する愛情というものではないのか。

 なのに、愛する相手が縁遠いわけ。わが近所の商店街はやっぱり寂れる一方。駅近くは商業化策に誘導されて、小売り商店は成り立たず、飲食店が入れ替わり、コンビニが幅を利かす。

 住宅街といえば、昔からの家が減り、歯が抜けた後のように黄色のカラーの「時間駐車場」が」増え続ける。身の回りがこれ。これは政治のせい。

 政治の処遇といえば、まるで社会保障のやりすぎで財政赤字になったと言わんばかりのやりかた。

 ユーロの信用が下がったと「格付け会社」が国の順番を発表しているが、日本はスペイン、中国と並んでいる。だいたい国債の信用で云々などということは、「大金」を持って投機に走っている連中の心配ではないのか。

 賃金をつましく得たり、年金でくらしている向きには直接関係がない。マネーゲームに左右される政治など願い下げ。こういう国を「愛せ」、直立して「君が代」を歌えというわけだ。

 最高裁の判決は「減給、停職は具体的事情がなければ許されない」とした。大阪でも不起立3回で免職という条例を決めようとしている。東京といい大阪といい、時代遅れの「過去もの」に縋っている政治は似ている。

2012年1月15日日曜日

自殺者3万人14年も続く異常


 自殺者が3万人というのが、14年も続いている。昨年の震災の死亡・行方不明者数と比べてもいかに多いか。

 昨年の震災は、起きてしまったときの被害を食い止めるため方策と、政治の貧困さを浮かび上がらせた。

 この「自然災害」とは違って、自殺者がこんなに連続して発生しているのになぜ減らないのか。思いとどまるような対応をボランティアの人たちがやっていはいても、それを上回る「社会圧」が厳然としているように感じる。

 果てしない格差社会の形成、競争社会の敗者は浮かび上がれないという背景があるから、「底上げ」の政治がどうしても必要だろう。

 民間の勤労者の賃金は徹底的に切り下げられ、民間より高くなろうはずのない(民間の賃金調査によって決めるのだから)公務員賃金が高いと言って、両方を削減していくという見せ掛けの「是正」に乗っけられている。

 政治が手を差し伸べなければならないことは、アメリカと財界に御注進だけというのでは政治でもなんでもない。非正規雇用者が30数パーセント、生活保護者受給140万人などの状況は「自己責任」だけでは改善できない。

 閣僚の首を挿げ替えただけで、国民生活になにもやらない政府では、支持率上昇は望めません。そんなに馬鹿ではありませんよ。

2012年1月14日土曜日

仙人になるのはもっと先か

 連れ合いが退院できてとりあえず復帰。とはいっても再発の可能性もあって要注意の身分。


 虚血性腸炎という聞いたことのない病名で、いくつか種類があって生命の危険にも及ぶ場合があるという。食事は刺激のあるものは避けてという指導で、お粥を食べている。


 婆ちゃんは昨日病院で「腎臓手術」をするかどうかの相談に行った。肺に弱点があるから手術する場合には危険が伴うとのこと。腎臓の状態がいまのままで、進行に変化がないのであればリスクを避ける選択もあるので、とりあえず様子を見ることにしようとの結論に至った。


 今日は二人で通いつけのパーマ屋さんに行ってさっぱりしてきた。

 釣りの会の総会が近づいているので、気にしているが集中できなくて頭の整理がなかなかつかない。ようやく会計監査のだんどりをつけようと連絡を始めた。


 東京にもどってから、これまでのあれこれの付き合いがまた続いてくる。が、これまでどおりにはいかない。そうはいっても持っている荷物も簡単におろせる状況でもない。仙人になるにはもうちょっとかかるかもしれない。

2012年1月13日金曜日

夜灯(よとぼし)漁の祭り実行委員会から返信


 メールの返信が「稲毛あかり祭夜灯実行委員会」から届きました。ハゼや子カレイを獲る遊びの漁を「よとぼし」といったそうですが、わかったのが7年前だったとのこと。

 千葉大と商店街の共同事業で「稲毛レトロマップ」を作成するときに古老から話を聞いてわかったのだという。戦争によってこの遊びの漁は中断し、戦後再開したものの、そのころには漁の名前を知る人も少なくなっていた。

 町のおばあちゃんたちに聞いて回って探し当てたのだそうです。学生5人と商店街メンバー5人が、「真っ暗な新月の晩にカンテラの灯りがポツリポツリとついていく…周りで見ていてもきれいな光景だったろうね。そのあかり一つ一つには家族や職場の幸せがあったんだろうね」と盛り上がってその光景の再現をしようということではじめられた祭りとのことです。

 懐かしい子供のころの体験が、形をかえてしまっても、今によみがえらせているということに、こころ暖まる思いがしました。今年7回目の祭りにはぜひ参加してみたいと、今からワクついている。

2012年1月12日木曜日

夜灯(よとぼし)漁だったんだ


 半世紀も前に親父とやった「闇夜のハゼ突き」は「夜灯(よとぼし)漁」だった。昨日のNHKで報道された千葉県稲毛町の祭りは、子供のころの体験が元だった。ネットで調べてメールを送った。
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 突然のメール失礼いたします。
 昨日NHKの報道で「夜灯漁」の祭りがあるとの報道を見ました。11月に催されているとのこと。自分の子供のころの経験を思い出して懐かしく思いご連絡しました。

 50年も前のことになります。千葉県の稲毛に5年ほど住んでおりました。釣り好きの親父に「ハゼ突き」に何回か連れて行って貰いました。

 大潮の夜は水脈(ミオ)筋の浅場にはハゼが無尽蔵にいました。水たまりもあったかもしれません。当時は稲毛海岸(京成電鉄)とか黒砂(いまは駅名はない。多分「みどり台」)などの埋め立て前の遠浅の海岸は、ところによっては2キロも水が引き、無数の水脈(ミオ)がありました。

 新月の夜に潮が引いた水脈に眠い目をこすりながら行くと、まるでばらまいたようにハゼが沢山いました。カーバイトで足元を照らすと、寝ているようにじっとしています。足を踏み出すと踏まれたハゼが暴れる感触も味わいました。水のある浅いところを歩きながらヤスで突くのです。

 ときにはハゼの下に子ガレイがいて、一挙に突いて採れることもありました。親父がそのときは鉄工所で働いていたので、ヤスは手製で造り、カーバイトをつりの会のメンバーだった自転車屋さんから手に入れたそうです。カーバイトの臭いを今でも思い出します。

 この手法をなんと呼んでいたのかは、この報道を見るまでわかりませんでした。「夜灯(よとぼし)漁」という漁法だったのですね。半世紀にして解明できました。

 そのころの稲毛海岸は、国道14号線の下はすぐ海でした。学校が終わるとよく遊びに行ってハゼを釣ったり、アサリを採ったりしていました。海苔もとれて、あちこちの家で干していました。

 京成稲毛駅の線路下の田んぼには、メダカも泳いでいたし、イナゴ採りをして遊んだりしたものでした。

 社会風土が変遷するにつれて、親しめる自然環境が遠ざかっていくのは、なにか後退しているかのようも思える昨今、祭りがますます発展しますよう陰ながらお祈りしたいと思います。事情が許せば11月にはお邪魔したとも思っています。
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2012年1月11日水曜日

夢と希望で

 岩手山神社でお供えの写真を撮った折に、わずかばかりの賽銭を出した。


 神を冒涜するような悪さはしていないので、恰好だけは手を合わせるが、頼んだり祈ったりはしていない。


 身の回りの家族が体調を崩すのも、それぞれの原因があってのことと考えるのが合理的なんだろうと思う。


 でも初詣には9000万人以上の人が出かけるらしいから、そうなると「冒涜」になってしまう?でも信じようと信じまいと脳の作用なんだから、致し方のないこと。


 新しい気持ちを取り込んで、夢と希望を忘れないようにすることの方が大切。


 どちらかというと神が好きな連れ合いは、どうやら退院できそう。爺様がショートスティに行けたので、婆ちゃんは少しホッとしている。


 昨日買っておいた、おでんセットをすっかり忘れていた。夕方ウォーキングに出かけたら、東の方角に黒雲がわいて、風が強くなってきた。今晩は雪かもしれない。

2012年1月10日火曜日

塩分控えめでなくちゃいけません

 婆ちゃんが病院に「痰」を持って出かける。持っていくだけなら代わりにでいけるが、他のことがあるとどうかと思って、言い出さなかったら、自分で行ってみると言ってでかけた。


 自分の用を済ませ、同じ病院に入院している娘(連れ合い)と面会し、帰り道の店で買い物もしてきた。息抜きもできたかな。


 今日の昼食はウドン。しゃぶしゃぶの牛肉が余っていたので少し刻んで、シイタケとサヤエンドウ、ねぎを入れてうどんの煮込みにした。やっぱり垂の薄め方が足りなくてしょっぱくなってしまった。


 午後からN先生が来てくれた。爺の尿バッグの消毒をしてくれた。2時過ぎに連れ合いの病院に行ってみたら、まだ医師からの説明はないらしいが、話しぶりも力があるので回復しているように見える。


 また、食べ物の心配をして、漬けた沢庵が食べられるようになっているとか、台所の外にモチがあるとかあれこれ教えてくれた。


 夕食は、メインが塩ジャケ。湯豆腐に粕漬け、つくだ煮と、旅のお土産で溜まっているコブクロをどんどん開けて賑やかにした。


 しかし、おかずとは塩辛いものが多い。「食べるばかりの側」だとやれしょっぱいの甘いのと評するが、「作る側」になるとなるほどなかなか大変だ。もうちょっと勉強が必要だな。

今度は給湯機が不調

 給湯機の具合が悪くなった。暑いお湯が急にでたりするし、伽藍のダイヤルがずれてしまった。


 業者に頼んで見積もりしてもらったら、結構な費用がかかりそう。それに同じシステムのものがないらしい。


 修理よりは新規に造らせるのがご時世とはいえ、使える部分があるのに替えなければならないとは、無駄遣いだ。システムの製造するのにだって、炭酸ガスの排出から資源の使用までどれだけの無駄を生み出すことか。


 内閣改造するというが、問題はなにをどうやるかの政治であって、人がかわればOKとは言えない。こちらのほうは「改造」でなくて、根本から新規にしてもらいたい。

2012年1月8日日曜日

「苦労がわかるでしょ」

  朝から座る間もなしというと、苦労がわかるだろと誰かに言われそう。床屋に行くことになって、尿バッグを取り換えたいがどこにあるかわからないと、一緒に探すが見当たらない。


 面接時間の11時に病院に行って聞くと、一度探して見たところにあると言う。


 運んで持って行ったパンツが違っていて結局役に立たず。シャツも洗ってないからと洗って持っていくことになる。他人の衣類はわからないものだ。「こういうの、ああいうの」というのが、よくわからない。


 テレビ視聴の券を買ってくれと、入院生活の充実化をはかるらしい。テレビを見る元気もないよりはずっといい。


 家へ戻るともう昼食の時間。帰りがけに買った鳥肉(親子どんぶり用)と、青梗菜でうどんの煮込みが出来上がった。めんつゆは表示通りの2倍ではちょっと濃いようだ。


 かくして、パソコンの前に座ったのは1時半。お湯を沸かしコーヒーを溶かして飲む。隣の建築工事は休みなので静かでよい。


 2時に床屋へ爺を連れていく。息子が何回か連れて行っているので、床屋さんも扱いは先刻承知で、済んだら電話で連絡をくれることになっている。


 要介護の人間を放り出していっても扱ってくれるという、こういう社会が高齢化社会ということかと妙に納得。今日は釣りの会の「初づり会」があったが、残念ながら参加できる状況ではなかった。

2012年1月7日土曜日

宮澤賢治ばりに「北と南に」

 連れ合いの体調が悪くて検査入院とのことで、仙人の「こっちはあまり無理しないでいいよ」という言葉を背に、昨日東京に戻った。
 
 子供たちも心配していろいろと手を貸してくれて、「絆」を感じることになった。検査は今日の午後なので結果は後になるが、点滴が効いているせいか食事をとっていない割にはしっかりしていた。


 具合の良くない義母も、義父の面倒をみながら、頑張っている。こうなるとこちらも自分で自分に気合を入れて、冷蔵庫に溜まりがちな食材を洗いざらい片付けようと、「掃討作戦」をとることにした。


 普段簡単に食べられるようにと、用意している様々な調理済みのものもあるので、しばらくは飢え死にすることはないだろう。


 バリエーションにと、もち、スパゲティーのソース、焼きそばを買い足した。