2016年7月15日金曜日

選挙が終わると「憲法問題」を取り上げる軟弱さ

 現行憲法がもっている規範はすばらしいものだと、この間の政権の挙動を見ながら感じ、再確認をさせてもらってきた。すべての法律体系や訴訟での争いは憲法をもとにした判断なのだから、たたえ知らないことでも、その効用は及んでいるし、日本が他国の侵略からたどった道を、不完全な反省ながら憲法を軸にしてすすんできたことは間違いない。

 参議院選挙が終わって結果が出た。論戦では「野党連合は野合だ」とばかり叫び、「解釈憲法」を変えてしまうとすることは、テーマでないかのように凝らしてきた。論戦がかみ合わないことは戦略として位置づけられたのだろう。日常の政治に対するメディアの姿勢はまた、ベッキーが何をしたの、清原がどうなるのと、「安保法案」の審議など大事な国会の論議も、まともに情報を取り上げることは少なかった。

 それは何時もそうなのだが、取り上げたかとみると「舛添劇場」のように、センセーショナルになることが目的のように見えなくもなかった。それでもこれまでよりは、ましだったと言えるのかもしれない。ともかくも真なる問題を表に出ないようにし、投票率は下がるまがいの印象をことさら植え付けることで、投票の動向を決めようとする戦略はものすごいものだったように思う。告示になるとピッタリとテレビ報道は選挙の話題を報じなくなる。

 政権の干渉から面倒を起こしたくないメディアが、類する報道をやめてしまうということがあるということ。だから週刊…という雑誌などが先行して、NETの交流サイトで拡散され、一定程度はましな情報が伝わっていく。憲法前文を乗せた週刊誌まで現れたのだから、大新聞やテレビ報道にかかわっているところは、頑張らないともっと購読者を失ってしまうことになるだろう。もちろんNETに流通する話題で、一定程度報道でとりあげて使うことはある。

 NHKの報道も選挙前日に「明日は納豆の日」(710日=ナットウ)とはいったものの、「選挙の日」とは言わなかったという。民主主義の形骸化がどんどん進められて、選挙に行っても仕方がないと、動機づけが薄められていくことは、いわば愚民思想に置かれているということなのだが、そこまでの「怒り」をマスコミが取り上げるようになるのは、もっと先になるのだろうか。

 政治のことを取り上げると週刊誌が売れるとのことだから、これから先もぜひオピニオンリーダーとして頑張ってほしい。都知事選が始まった14日から、なんともタイミングよく出所の「不明」な天皇退位説が、流れ始めた。これも随分とハデな報道でびっくりというより、またかよという気分が先行した。官房長官は「コメントは控える」と言いつつ、「皇室典範改正準備室」で検討はしているというので、出所は政府なのだろう。宮内庁はそんなことは言っていませんと否定している。

 出所不明の話題をそこのテレビでも一斉に取り上げて、内容も過去の天皇の発言などを取り上げて、かなりの準備をしていたことが覗える。公務に耐えられるかどうかは、国民が決めるわけでもないし、だからどうなのというふうに言ったら、「不敬罪」にされてしまうかな。しかし「憲法改正」と絡んでいることなのだろう。現行憲法を天皇はよく理解し、戦争という悲劇はあってはならないと表明しているから、そのこととの齟齬はなんとなく見えることだ。

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