2015年6月30日火曜日

写真展終わっての余話

 14人の写真を並べた展示会は、鑑賞してくれた方々の感想によっても自分なりにも熱いものになった。汗をかいて走り回るという夏祭りのような感じだった。自分の作品の程度はさておいて、これまで撮りためたものの「まとめ」をするという作業は、率直なところそれなりに大変なものだった。自分なりの写真から抽出するのさえ迷い、キャプションに生み出すには足りない知恵を絞るという行為は、身を削るようなものだったというと少し大げさになるだろか。

 この写真展の一番の動機は、これまでの写真を撮ったときの「思い」がパソコンのHDDに残ったまま眠っているのでは、もったいない。いや正確には「もったいない」と言われるかもしれないものもデジタル情報のままでは、なにかの肥やしにさえならないことでは、自分の気持ちにも区切りがつかないということだった。

 同期の「29眼」と銘打つグループで、やろうかとなったのは続けてきた同期会の撮影会の折だった。ちょっとアルコールも入っているから、勢いもあったには違いないが、なにせたんまりある写真の在庫から引き出す作業さえすればいいし、デジタル研究科のプリントの技法もいくらかわかってきたところなので、実に実践的にことを運べばよかった。だから割合心配もなくいくだろうと思ったのだが、そうは簡単に問屋が卸さない。

 いったいどんな写真を引き出してくるべきなのか懸命に考えた結果は、先輩が案内してくれた能登の写真だった。これはこれまで何回か通っているので写した写真の数は多い。能登はその海の広さやそこに息づく人の様子や、小さな港な、心に残るところが多い。4回目になることし2月に訪問したときには、NHKの朝ドラの撮影にも遭遇した。「こちらの方が通い詰めているのだ」との文句をつぶやきつつ、冬の凍てつく間垣の里を撮り、蓄えを増やした。過去に撮った能登、輪島の写真も見返しては見たものの、結局直近のイメージが強いこともあって。テーマとしてはこの地の生活の厳しさを表わすことに決めた。このときは写真展を十分に意識していたものだったので、海が荒れる冬の様子を撮りまくった。

 「能登の北風」というキャプションも、あれこれと考えたつもりではあったが、この展示会を通じて、もっと違うものがあったのではないかという気がしてきた。これはこれから先の話になるのだろう。機会があるのかどうかはわからないが、絞った写真ももっと違うものがあるのではないかとの思いも湧いてきている。

 5枚中の一枚、猟師の小舟の舳先に飾られた榊は、海の荒れを収めてくれる祈りを表したものだろうと、そんな程度の解釈をかってにして撮ったものだった。ところが、実際のところはどうなのかを調べようと、写真展の最中に調べてみたら、石川県と富山県に限られた祝い事だとのことだ。それも毎年211日に催される起舟(きしゅう)と呼ぶ行事とのことで、奇しくも撮影日が211日だった。なんの因果なのかそうでもないかさっぱりわからないが、そんな体験がわかった写真展でもあった。

起舟
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漁師にとって年に1度のお祝いの日、大小100隻余りの漁船が大漁旗を張り巡らして船を飾り、榊と御神酒を供えて伝統の起舟を祝う。また、大敷き網の各組合では関係者が揃ってにぎやかな酒盛りを開く。漁村の旧正月行事である。
藩政時代から続いているこの行事は、冬の間浜に引き上げてあった漁船を2月11日に起こして海に浮かべ、その年の大漁を祈ったことから始まる。
キシュウという字は、漁村では「起舟」、農村では「吉祝」と書き、発音は同じである。但し、キシュウと呼ばれているのは石川県と富山県の海岸地方に限られています。他県では、「船祝」とか「船霊節句」と呼んでいる。

 日時:毎年2月11日
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2015年6月25日木曜日

戦争反対、若者も動いている


 久しぶりにツイッターから拾う。若者の声も広がっている様子でうれしいことだ。ツイッターでは「#ふるえる」とキーワードを入れて表示された。キーワードを打ち込んで拾い出すなんて、なんともすごい仕掛けで驚く。
















2015年6月24日水曜日

釣り人が慮るべきこと

人間が他の生物の命をとって、生きていくためのエネルギーに変えるという行為はどんな哲学を描くのが正しいのだろうか。それも自然の摂理の一部と冷ややかに言うことはできるが、自然や動植物が生きているテリトリーへのストレスや容赦ない捕獲(漁)で、このままでいいのかと思いやる人が増えているのではないか。自然の生成やあるべき姿にこれまでそう気にも留めないでいたことも、それに関わってのニュースが増え、気がかりになることが多くなってくる。

先日の釣りの会の会議のとき、外来魚つり会で大量に釣った外来魚の「弔いの気持ち」を表するべきという意見が出された。釣りの会では、釣った魚については、フナを除き(フナは放流する)、食用にして食べるということを基本にしている。当たり前のことなのだが、多くを釣ることを競う場合は釣れた魚(特にヤマベ)を捨ててしまうということが起こりうる。その行動が釣り愛好者としてどうなのかということだ。釣って食するという日本の釣り文化からしても、食するということが釣る行為と一体であることが、風土といっていいのだろう。

外来魚つり会では、釣った外来魚を掘った穴に埋めて廃棄したのだが、確かになんの感慨ももたずに埋めていた。外来魚として法律で駆除対象としているし、釣って食するという範疇=商業ベースに乗らないのだから、そんなことが無意識に出てしまったのかもしれない。

一昨年前に、外来魚を釣って駆除している映像をYoutubeにアップしたものが、この映像へのアクセス(再生回数)が17000回を超えている。この映像には、外来魚駆除について賛否両方から書き込みが寄せられている。当然ながら、外来魚の釣りの対象が減ってしまうことへの怒りがあるのだが、「釣ったら食べろ」というのもある。外来魚釣りをする場合は、釣った魚は「移動させてはいけない」ことになっている。全国各地に放流して繁殖させてしまった「歴史」は蜜放流として表現されているが、よって今は釣った外来魚の「移動」が禁止されている。ただそれにしても、外来魚を大量に釣って積み上げられているのを見ると、生き物を無為に殺生しているとの見方は印象として残る。

生きものであるが故の、人としての対処、応対のあり方を考える必要があるのだろう。





2015年6月18日木曜日

赤紙はごめんだ

Facebookkに召集令状=赤紙の投稿があった。戦後生まれにとっては、平和憲法のおかげ(正確には憲法を守れの声のおかげ)で、未だ本物を見ることはないので、幸いなことだ。こんなものは見たくはないのにマイナンバーによって、さっさとそれも瞬時に準備ができて手元にくるのかと連想すると、「侵略戦争の反省」の大切さが余計に重みを増す。正直、歴史を学ぶことがどんなに重要なことかを、国会の論戦やFacebook、ツイッターで思い知る毎日だ。

赤い色の紙は、税金の「最終催告書」にも使われた。ピンク色なのだが、赤紙と称した。これで「召集」して納付に来いという意味に解すると、その「召集令状」的重みの効果を狙ったのだろう。昔の「高度成長」時代には税の自然増収も多くて、それゆえの滞納である状況も鷹揚だった。「鷹揚」の意味は、納付する方の状況もあるから考慮すべきなのだというあたりの考え方も存在したということ。だから、それで応じないからただちに差押えなどということにも「鷹揚」に対処した。

あくまでも説得でという意味合いで「赤」の次は「黄色」で特別催告書を発送する方法もあみだした。赤色の時代的脅かしから、色の中では一番目立つ黄色を使うことで、近代的になったというほどのこともないが、そういう使い方が意味をもたせたようにも思う。
今は法的要件で督促状だけ発送すれば差し押さえ可能とするやり方が当前視されている。公務員定数が削減されて、業務の達成を成績主義で飾られると、さっさと終えるという発想が幅を利かすことになっていく。担税能力を軽んじた税制で納税の平等だけを強調するのは、富の再配分にはならず合理的とは言えない。こんなことが当たり前のはずなのに、やっていることと言ったら真逆のことになっている。

闘牛のマント布の色が赤いのは、観客・人間を興奮させるためなのだそうで、その効果のために赤色で戦争を鼓舞させるために使われるようなことになっては困る。自衛隊員や若者が、赤い血の色を見るようなことになっていいと思う人はいないだろう。渓流釣りの仕掛けに赤色と黄色の目印を使っていると、この二色の目印が流れのなかで、魚が餌を咥えたかどうかの反応を教えてくれる。よく見えているのが黄色の方なのだが、光の向き加減、背景によっては赤色が見える。平和であってこその釣りであり、赤色もこういうときに役立つほうがいい。



ウィキペディアから
帝国陸海軍の召集のうち召集令状等はその色から赤紙などと呼ばれた。陸軍省による召集の大半において赤色が使われた。当初は真っ赤だったが、戦時の物資不足による染料の節約で次第に地色が薄くなり、実際に太平洋戦争で多くの人が目にしたのはピンク(淡紅色、桃色、鴇色)である。なお、海軍省による召集でも似た系統の色が使われたため、陸海両軍の令状を混同して赤紙と表現することも多い。
以下は召集令状の各色・種類である。

  • 赤紙=陸軍省による充員召集、臨時召集、帰休兵召集、国民兵召集、補欠召集
  • 白紙=教育召集、演習召集、簡閲点呼 
  • 青紙=防衛召集
  • 紅紙=海軍省による充員召集



2015年6月12日金曜日

写真のテーマ「共生」意味するところ

 写真のゼミでテーマを考えることになった。どんなテーマであれ、最後は自分が感じて咀嚼しなくてはならないので、ちょっとググッてみた。(「ググる」とは、Googleで検索をすることだそうで)

広辞苑(昭和44年発行)では、「共生、共棲」と記されている。その意味は
「①ともにところを同じくして生活すること②別種の生物が共同生活を営むと考えられる状態」とあり、イソギンチャクとヤドカリ、菌類と藻類の関係が例示されている。

ウィキペディアでは
「…理解が進むにつれて共生が普遍的な現象であり、生態系を形成する基本的で重要な種間関係の一つであることが認識されてきた。また、かつては共生と寄生は別の現象とみなされたが、関係する生物相互のバランスによって双方が利益を得る状態(相利共生)から片方が利益を得てもう片方が被害を受ける状態(寄生)まで連続して移行しうる例が多く検出され、互いにはっきりと分離できないことがわかってきた。そのため現在では、共生という種間関係は相利共生や寄生といった関係をすべて含む上位概念として捉えられている。
…企業と企業、企業と消費者、自国と他国、人間と自然が共に生き、信頼を最優先するマーケティングである。キヤノン企業理念にも「共生」が使われており、また、かつて福田康夫氏も「共生」を旗印に使った。価値観の多様化が進む社会情勢を反映し、政党の中でも「社会的共生」を訴える団体も出てきている(生活の党みどりの風など)。これは企業と企業、企業と消費者、自国と他国、人間と自然が共に生き、信頼を最優先するマーケティングである。キヤノンの企業理念にも「共生」が使われており、また、かつて福田康夫氏も「共生」を旗印に使った。価値観の多様化が進む社会情勢を反映し、政党の中でも「社会的共生」を訴える団体も出てきている(生活の党、みどりの風など)。」

私の思いですが…
社会の推移とともに、共生の概念が「進展」しているということなのでしょう。歴史の上では、1922年「哲学」として仏教運動に取り入れたとも記されています。(ウィキペディア)社会運動のなかにも使われてきたのはそう古くないことのようで、政党のスローガンとして使用されています。たしかに、公害のまき散らしからダム、港湾建設、道路、都市再開発などによる自然破壊が、「自然との共生」にどれだけの害悪を与えてきたのかを考えると、企業理念として使われる「共生」がきれいごとに違和感を覚えないでもないし、政党のスローガンとしても出現するのは成り行きなのでしょう。
釣り活動を通じてどうしても自然へのダメージを考えてしまうのですが、食の分野でも魚貝類はすべてと言っていいほど、今は「養殖」に頼っています。最近のテレビで、東京湾のハマグリが絶滅危惧種で、現在は有明海から取り寄せているとの報道をしていました。本来自然が持っていた再生産能力がなくなってしまった。ある意味「死亡」したといえるほどです。
「自然との共生」は一見格好がいいワードですが、実は人間が「自然界」を上から目線でみているという不遜な弱点があると思えます。リニア新幹線も強引に建設にむかっていますが、これまででもいったいどれだけのことをしてきたか。川の砂利を採り、山を削ることで与えたダメージは計り知れないことと感じます。そんな思いで「写真としての作品」には少し距離がありますが、着想点として撮り集めたものが私のホームページにあります。

      →「山を削って」
      →「海との共生がごく当たり前の暮らし」




2015年6月11日木曜日

岩魚に逢えて、楽しみ実感

 5日から、イワナ庵に行くことになっていたので、前日には釣りの仕掛け作りに時間を割いた。この釣りが今年2回目で、連れ合いの「行って来れば」というありがたい言葉がかかった。昨年以来の岩手渓流釣りで、以前なら喜び勇むところ、その意気込みも少々萎えてきている。もう渓流を歩いての移動が危なっかしくなってきたから、なにか先が見えてきたようで、もうひとつ覇気に欠ける。竿を落として失くしてしまったり、転んだ拍子に折ってしまったりする近年は、いかに安全で楽しく渓流に入っていけるかの方に心がけなければならない。

ところが、忘れ物がないようにと心がけたつもりなのに、泊まったイワナ庵に竿を置いて出かけてしまった。まさかこれまでそんなことはなかったのにと、愕然としたところだった。そこでまた「もうこの釣りはダメかな」と弱気が出たところ、竿を余分に持っていたSさんにお借りしてやることになった。自分の竿の調子と違うから随分と慎重に釣って、針にかかった魚をばらすことがなく、反ってよい結果だった。自分ばかりのミステイクでなく、「餌を忘れた」という事件も発生したが、そこは私の方から提供できたので、あれやこれやの弥次喜多道中で、これも釣りの楽しみのうちに収まった。

今回も、小国川の上流部に狙いを定めたが、反応が悪くないので連チャンで行くことになったのだが、それで沢の全体像が見えてきた。小沢に入って結構良い反応だったり、少し釣り場所が違っているだけなのに全然ダメだったりする。先に釣りに入った人がいたことが、一番影響しているのだろう。小沢は釣りの経験による違いは比較的ないものと思うが、流れが大きくなるにつれてどこを狙うかの違いがでる。その場所でいつまで粘るのかという課題が一番肝心なところだろう。「ここはいない」と決めるチャンスを早くつかむことで、次の場所にいくことができれば魚に巡り合える機会が広がる。

同じ沢での一日目の水温は10度で二日目が12度だった。あとで話して分かったが、一様に二日目の方が魚の活性が高かったという印象だった。水温が決定的な事情で魚が釣れないのかということも言えないし、釣り餌の選択も人によって違うことなので、単純に判断できることではない。条件を重ね合わせて何回も経験を重ねて記録を残す以外にないのだろう。魚を釣った分だけ食するというのは古来からの本性だから、獲る楽しみが元気の源になるはずだ。理論的か科学的な分析によるものでなくとも多分それは間違いないだろう。

 イワナ庵のO先生にまた大変なお世話を受けた。イワナ庵の外に出ると、草木の香りがなんともよい心地で楽しめる。これも元気の源だ。満天の星を眺めながら、東京の真昼のような夜空から遠ざかった幸せをかみしめることができて、いややっぱりまた来たいものだと、ふと思った。


30センチに届かず







2015年6月3日水曜日

ガラパゴスの悲哀

ガラパゴス化とは日本が生み出した言葉。「ガラケー」という言葉で、旧時代の携帯電話を指して、スマホに変わらない時代遅れのといった意味に使われると思うのは年寄りゆえのヒガミかな。商業的な方面からの発想が生み出したこの言葉、最初の印象は「あなた遅れているよ」とのイメージだった。

ガラパゴスは「発達した」都市部から、遅れているとの意味にも取れるが、「他の島との接触がなく隔離された状態であっため、独自の進化を遂げた動植物が多く存在することで有名」だと説明されている。かえっていまどき自然実にあふれた独立独歩の自立したところだから、ガラパゴスと馬鹿にされようなんだろうと、まにあっているのだからその幸せは悪くないんじゃないかと言いたいところだ。

だいたいスマホときたら、電車の中はもちろん歩きながら、果ては自転車に乗ってまで使っているのだから、それだけでなんたるものかと、反感ばかりが先にたつ。よって、スマホなんか使うほどでないと決めてかかったのは当たり前。ガラ系電話使用の頻度はさておくとして、電話以外にはメールの使用がほどほどにある。電話で生の声で交わすのも信頼関係の醸造にもなるが、メールの使用は言葉の交換に加えてのバリエーションとして使えるものだ。電話とメールあれば間に合う生活をずっとしてきたし、実際それで用は足りていた。だからガラパゴスと言われようと、買うものかと決めていた。

 ところがだ。Facebookの交流サイトでパソコンを使って交流をしていると、どうもスマホからの投稿が多いようだとわかってきた。それはそうで、道を歩きながらであっても、朝の散歩のときや庭の手入れ、料理の途中であっても「それっ」と投稿できるという文化(だろう)は、その投稿によって反応が返ってくるということであれば、そのやりとりによる充足感が手に入る。多分それは、つぎつぎと切迫した時間から解放されるための手段とも見えるし、情報の高速な伝達手段でもあるようだ。と書けば、なに隠そうスマホ派に加わったことを曝露したことになった。