気象庁が大手町から虎ノ門の新庁舎に引っ越しする。高い免震性能で、地上1階と地下1階の間に積層ゴムを挟み込み、横揺れを吸収する構造になっている。自然災害への対応力を高めようと組織改編を行い、気象の予測技術を開発する部署が集約された「情報基盤部」を新設した一方、地震の予知に取り組んできた「地震予知情報課」を廃止するとのこと。
ニュースの範囲で具体的な組織の変更を、うかがい知ることができないが、先日報道された気象庁が「動植物の観測を縮小する」との記事がちょっと気になった。NHKのニュースだったが、動物の初鳴きや植物の開花など70年も続けてきた動植物の観測のおよそ9割をことしいっぱいで廃止するとの記事だった。気象台周辺の都市化などが進んで観測が難しくなったためで、「さくら」や「かえで」などは引き続き観測が続けられるとコメントをしている。
同記事では、例えば「とのさまがえる」は、観測が開始された昭和28年には全国38か所で確認されていが、去年は5か所にとどまって…と見つけることの困難さを理由にあげている。そこで9割51種の観測を廃止するということにしたとのことだ。例の行政の効率化ということのかもしれないが、都市化によって失われてしまった環境・自然を「なくなってしまった」ということで始末してよいのだろうか疑問に思う。
逆から考えれば、なにがしかの対策で、例えば公園を増やすとか緑地を広げるとかの政策が実施されたとしたら、動植物は回帰するのでは?
SDGs=「持続的な発展目標」にもそんな視点はおよんでいないが、あまりにも急激な都市変容は日本が外国に比べてそれだけ異様なのかもしれない。SDGsの目標の一つとされる「急速な都市化がもたらす課題は、都市の繁栄と成長を継続しながら、資源利用を改善し、汚染と貧困を削減できる方法で克服できます。」よりはもっとダイナミックな対策が必要なのではないかと思う。
高層ビルの電源が豪雨洪水で破壊されるとか、道路のために「大深度掘削合法化」で掘ったがための住宅地地盤沈下などをみるにつけ、やりすぎ感が否めない。環境や自然に意思はないから「報い」とはいえないが、人類がしかけていることに「従順」に存在できるわけではない。
SDGs目標11: 住み続けられるまちづくりを