2015年5月26日火曜日

イルカの受難と日本の受難

イルカは食用としても見世物としても「効用あり」とされている。海に囲まれている日本が、食用としてイルカやクジラを古典的な方法で捕獲しても、それは日本の伝統文化という面もある。だから規制を求める声や所属団体が不届きだという意見もある。水族館のイルカのショーはたしかに面白そうだ。自分でボールを壁にぶつけて遊ぶシーンまで見せられると、可愛いものだと感激もたしかに湧いてくる。

「資源の持続的利用」と言う言葉で、水産資源を管理する理性的な(?)対策が必要とされ、資源として自然をみるという側面からの反省をすることが、現実的な対応になっている。しかし、資源としてカネ勘定をすることばかりではないことも事実だ。一番の問題は、海の彼らの生息環境が酷く悪いものになっていることだ。イルカに限らず海の他の生き物も「環境の改変」によって大きな打撃を受けている。山→川→海への生命体に必要な養分供給が断たれている。日本中の河川が多かれ少なかれその憂き目にあっている。近海の漁業は養殖ものでしのいでいる状態では、絶滅危惧種にちかいものということになるのではないか。自然の保全は人の関与が必要な部分もあるが、自然を人間が生きていくために大切な環境で貴重なものなのだという発想に政策的な現実味がない。

そのイルカを手に入れるのは、伝統の追い込み漁で地の利を生かした捕獲であり残酷とは言えない。イルカの生育数を見ながら捕獲するということなら、保全のためのブレーキはかかっていると言えるだろう。ただ、水族館の要請に基づいて販売するというのであれば、また違う要素があるという気もする。「可愛い」と「面白い」という見る側の方では、楽しみを奪われるということなる。
知能が高いイルカは何を思っているのだろうか。

2013年に米海軍の訓練や実験で、環境影響研究報告を出し「模擬実験のせいで、東海岸沖で186頭、ハワイや南カリフォルニアで155頭のクジラやイルカが死に、重症を負うものは11267頭、方向感覚を失うなどの異常行動をきたす個体は2000万頭と試算」と発表している。これにはそんなものじゃないもっと酷いとの批判もある。

ビートたけし氏が、大量のクジラが浜に打ち上げられて死ぬ問題について、「そういったものが原因である可能性を指摘した。追い込み漁を批判するならば、そちらについても議論すべきでないかと訴えた」と批判したのは当然のことだ。


 水族館の「見世物」はそれだけではないだろうと思うが、イルカショーをやらないと客が減るという問題を抱える。自然の偉大さを学んで、愛すべき自然と人間との関わり合いを伝えてくれる水族館の役割は大きいと思う。先ごろはクラゲを使うところも増えているらしい。有名な加茂水族館(新潟県)に続いて、新江の島水族館(神奈川県)、のとじま水族館(石川県)、しながわ水族館(東京)…なんだこれも横並びかと思わないでもない。

 もう一方で、イルカショーを取り入れなし水族館もある。ふくしま海洋科学館では2000年の開館当初から、イルカショーを行わない方針を積極的に打ち出している。開館3周年を機に「環境水族館宣言」を発表。2010年には東日本で初めて、釣りをしてその場で魚を食べられる体験施設を併設するなど、食育も含めた総合学習的な展示に、いち早く取り組んできたとのこと。