2014年5月4日日曜日

5月の青空の元でアサリを獲って食すぜいたく

3日は連休の山場に入るので混雑すると言われる中、出かけたのは野島公園。しばらく前にU氏の誘いがあった。連れ合いの体調がよくなってきたし、自然愛好派の一員としては「潮干狩り」という昔懐かしい言葉に、ぐらりと傾くことになった。京浜急行に乗り換えて、これで金沢八景まで行けばいいのだと、せっかくの機会に居眠りをと目をつぶったら、荷物をひっくり返したような音が車内に響いた。目をやると、なんと誘い主のUさん夫妻が足元に積みあげた荷物が、ひっくり返ったのだった。
 
駅に降りると、3人の若い女性が待っていた。紹介されてこちらも少々照れながら挨拶をした。電車内で足元にひっくり返るほどの荷物を積み上げた事情がこれで解った。野島公園には一駅の乗り換えが必要だった。「ビーチパーティー」の必需品をコンビニで整え、ほんのわずか歩くとトイレも水道もそろって、これ以上の条件はないと思える、芝(だったかな?)が生えそろった草地、小公園がある。はや、いくつかのグループが、いつくか居を構えていた。松の木がちょうどよく日陰をつくっているところに、「ひっくりかえった荷物類」からシートを取り出して敷く。手数がある分だけことは早く終わった。

護岸の上から海を眺めると、干潮になる14時ごろには3時間以上もあるというのに、じわじわと海に張り込んで腰を折っている人たちが見える。すぐ下では護岸のコンクリートと、鉄の杭の間に手を突っ込んで何かを撮っている人がいる。聞いてみたらイソニナを獲っているとのことだ。「穴場で穴に手を入れて採っているんですね」と言って笑いをとった。それならばと、自然派トップリーダーのUさんは、バケツを持って磯場に降り立つ。上から見ていると、護岸の間にも石にもたくさんくっついているらしく、手が忙しく動いている。

潮が引いていったところには、どんどん人が押し寄せるので、本番のアサリ掘りは、早めに始めた方がいいだろうと、打ち揃って遠浅の海に入り込んだ。しかし、掘れども引っ掻けども熊手の手ごたえはアサリの殻ばかり、あちこちとウロウロするが、しゃがんでは立つ繰り返しが足腰にきてしまう。止む無く上がってしまった。隣近所でもあんまり獲れてはいない様子だった。

上がった岸のすぐ上に、伊藤博文の別邸が無料開放となっていて、ボタンやらなにやらの花が見えた。中に入って、よく整備された庭を一回りして何枚かを写真に収めた。庭からはまた海の様子がよく見える。我が仲間の姿をけっこう懸命に追ってみるが、見当たらない。眼も衰えてきたことかとチラリと思ったりする。遠くの浅場が干潟になってきたのが見えたので、そこまで行ってみようと再び海に入った。でもさっきとおんなじようにアサリはほんの少々だけ。結局あがって、昼寝を決め込む。前日の深酒がたたってか、一瞬寝入って腹が減ってきたなと思ったときに、若者たちが干潟から上がってきた。
 
最後まで粘っていたUさんが上がってくるまでには、「食べ物には執念がある」だの「欲が深い」だのと言う雑言の時間が必要だった。しかし、立派にアサリの収穫をあげて陣地に戻り、アサリの酒蒸しとボンゴレを味あわせてもらう頃には、すっかりそんな失礼なことは忘れてしまった。2時まで待った甲斐があったというものだ。アサリは非常に旨いと皆で言葉にした。味噌汁ではしょっちゅうつかうタネなのだが、こんなに味がいいと思ったことはなかった。外気に触れているということも手伝っているのかもしれない。大きくても2センチほどの巻貝のイソニナも茹でて食べてみた。爪楊枝を突っ込んで引き出して食べてみたが、ぬるりとしてまあまあの味わいだった。出汁にはいいということだったので、そういう使い道の方がいいのかもしれない。

 キャピキャピと言うと若干マイナスイメージも起きるが、若い女性たちも経験が少なかった催しを十分楽しめた様子だった。高齢者群も同様に、5月の若葉のシャワーと一緒に、しなやかで伸び伸びした頭脳の持ち主たちとのやり取りを楽しませてもらった。連休の極上の一日になった。

ツメタガイはアサリに穴をあけて食べるから、海の戻さないでと声をかける女性がいた。

潮が引く前からどんどん海に入っていく
 伊藤博文別邸の庭
 ベニバナシャリンバイという名のだそう
 絶品のボンゴレができた
 U氏奥さんの手作りデザートで締め