2013年1月18日金曜日

「安全だろう」は安全とは違う


 B787の安全点検のため、運航を停止しろとようやく国が言った。それもアメリカと軌を一にして。まったく金魚の糞とはこのことだ。日本のやることはアメリカを見ていればわかると、外国に揶揄されるのも仕方がない。御巣鷹山にボーイング747が墜落した時は、イギリスは同一機の運航を止めて点検をやらせたのに、日本は平気で運航を認めていた。

 事業者に甘いのはこれに限ったことではないが、国民の安全な交通に責任をもたないという、とんでもないことだと当時思った。テレビのコメンテーター(元航空関係者)の話を聞いて、少しばかり変な感じを受けた。「コンピューターを駆使して軽量化をはかり、燃費を向上させたすぐれたものだから、これから不具合を調整して使っていけばいい」と、おおざっぱだがこんな発言だ。

 車の場合も、安全性はいわば理論的なものが、判断のひとつの根拠になっている。一台ずつ走ってみて大丈夫ということではない。一台ずつ試験というのは現実的でないかもしれないが、携帯電話によらずスマホによらず、製品を送り出してから不具合を修正していくという思想があるのだろう。車の場合、先日のアメリカでのトヨタ車リコールのように、何台か不具合による事故で、人が傷ついた場合でも相当先になってから直しにかかる。

 大丈夫絶対安全ですよと、事前に言っても言わなくても起きていることだから、理論上でも相当の微細なツメがいることなのだろうと思う。比較することではないが、航空機は車の数十倍も乗客がいる。絶対安全のほんの一部でも欠けても許されないことだ。

 これだけ不具合が続けて起きて、事業者が当面運航中止とした後、国が動き出すという感覚は信じられない。航空機の部品35%を日本の企業が造っているとのことだが、その企業たるや非正規上業者を都合よく使って、どれだけの利益を生じさせるかと粉骨砕身努力しているわけだから、技術の良さすなわち製品の良さとはいかない危険性は大いにある。