2014年3月7日金曜日

ブログを書くのが億劫な時は…。

 きょうのブログをなんのネタでいくかが、毎朝の日課になっている。何を書こうかと、前日から気にしながら種を探す。ウォーキングで歩き始めた時が一番浮かんでくることが多い。歩いて疲れたなという感じが出てくる前がいい。酸素を少し余分に吸って、頭の血の巡りがよくなったときに浮かんでくる。犬の散歩の「排泄」みたいで面白い。

 しかし、また寒さがぶり返してくると、外に出るのが億劫になったりもするから、そのときは、どこかからか種を拾い出さなくてはならない。新聞から拾うか、テレビか、交流サイトからにするか。でも、ぼんくらの頭ではしまってある入れ物が少ないから、周辺の情報はHPから拾い集めなくてはならない。その作業も結構なことになるときもある。そこのところがまた自分の知識の補てんをしてくれるところにもなる。そうしていると、知らないということは恐ろしいことだといつも思う。

 物事はなんでも相当複雑に深く、緻密な動き構成されているから、そこを素人なりにも、違えないようにしなくてはならない。なにかの専門家でもなく、ろくに勉強もしないものにとっては恥をかくことになる。その恥は十分かいているが、そんな心配をしていると書くのが億劫になってしまう。そういうときは書くのを止めるのが健康にいいかもしれない。こだわり続けると、「病」におちいる場合もある。交流サイトでもそういう動きが垣間見える。いつかは途切れることはあるだろうと、開き直りながらやることにする。一日一つぐらいは「努力」をするものがあった方がいいには違いない。


 維新の会の石原代表が、党の方針に造反して原発輸出を可能にする原子力協定承認案に賛成すると言って、若手から批判が出されたという記事があった。大阪市長選では、橋本代表が市長選挙で独り相撲をとって、浮かされている状況に陥っている。維新の会の終末が近いのかもしれない。きょうはこのテーマでブログを書こうと思ったが、なかなか広がる構成ができんなくて、前段に愚痴っぽいことを書いてしまった。でも、これで「一日一つの努力」ができあがった。