2014年8月18日月曜日

戦争は犯罪でなくてはならないと思うとき

2年前のNHKビデオを見た。アッツ島の「玉砕」で2600人が死んだ。軍司令部は「なんの援助も求めなかった」と支援を求めていたことを隠して美化し、「捕虜の辱めをうけず死ぬこと」を遂行させた。このとき19438月。自らの手で死ぬことを選ばせることを、玉のように美しく砕け散るというワード「玉砕」ですり替えた。終戦まで2年も軍部の玉砕戦略が続く。海軍の回天(人間魚雷)、神風特攻隊はこの象徴。これは狂気としか言いようがない。

某幹事長がいう「血を流せ」は戦闘地域に行って死ねと言うことに連動する。だからアッツ島で傷を負って捕虜で生き残った人は、生き残ったことを恥として心にしまいこんできた。戦争に反対することを残虐な手法で封じ込めてきた当時から、いまだに血の匂いを嗅ぐのが当然とする主張が出されてくるのはどうしてなのか。
 
 NHKの討論会で若い学者に「アメリカの若者が戦場で戦っているのに日本の若者が血をながさないのはおかしい」と言わしめる。こういう番組がNHKの真骨頂と思わせる場面だった。15日のNHK番組「大人のドリルSP」では~「第二次世界大戦で、日本はどこと戦ったのか?」「その時の日本の同盟国は?」10代・20代の若者たちに質問すると、なんと半数の人たちの答えは「わからない…」!!!これは、学ばなかった若者たちの問題なのか、伝えなかった大人たちの問題なのか!~と問題提起した。

 マスコミの戦争協力報道を自己批判する発言もあって、これはNHKの良心かなとちょっと感じさせた。出席した解説委員から、「学校教育の中で戦争の問題を学ぶようにする」という発言もでた。日本は戦争の反省もなく教育からもその問題を遠ざけているわけだから、若者が学ぶことは、将来中国や韓国などとの友好にも役立つことだろう。しかし戦争を知る世代が、知らない世代へ伝えることは、繰り返してはならない時代の一番効果的な方法であることは違いないことだろう。アジアで2000万人、310万の日本人が犠牲になったという重みは、過去にあった出来事ということで置いておくだけではあまりにも大きすぎる。