2012年5月30日水曜日

人件費は安い方がいいのか


 人件費(賃金)を削減して、見せかけの利益が上がったように株主総会で発表する。売り上げが伸びていなくてもこうすれば、とりあえず過ごせる。会社のためにいかなる辛苦にも耐えなければならない。この会社のためにどれだけ社員が尽くしたのだろうか。

 いや尽くそうが尽くすまいが、人員整理の対象としてあげられる恐れを抱くことになる。労働組合がまともでもない限りは、乱暴に職を奪っていくことになかなか対抗できない。こんな社員の待遇と会社が同体同一(運命共同体)として考えることが正しいのかどうか。

 東電のボーナスが原価に組まれているのが不届きということが、大声でこんなにも騒がれるはどうしてだろう。「社員ボーナス」がないのが当然のことなのか。原発で働く非正規雇用の人に「東電のすべての責任」を被せるのは正当なのか。

 東電の社員の賃金は大方公務員賃金の見合いで決められているだろう。決して高いものでないと思う。(民間より公務員が高いと言われるが、公務員より低い賃金の事業所は当然ある。人事院、人事委員会の民間事業所の調査によって勧告して実施しているので、お手盛りで高くなりようがないのも事実)。

 社員の賃金を20%カットしていると格好悪く会社側が説明するが、東電が原発問題での対応にキチンと尽くさないから説得力に欠けることになる。(上級の幹部が報酬を返上するのは当たり前)。なんとか原発の稼働を続けようと画策をして、「原発ムラ」の意識のままだから、まずいのだと思う。

 原発撤退、ゼロへの道筋や、被害者への対応について真摯に向かっているということがまったく見えない。

 福島第一原発事故の直後、東電東通原発(青森)のホームページを見たら、社員が地元の住民との交流を熱心にやっているということが書いてあった。社員が会社に尽くして、果ては賃金削減、ボーナスカットではあんまりだ。

 ボーナスが賃金の一部だからいけないという論もあるが、月俸の低さを賄って作られているのがこの制度の歴史だし、例えばボーナス時に「多く払う」というローンが実態を表しているではないか。社員が会社の横暴を自覚していたとしても、直接の責任はない。

公務員は正義や公正のために仕事ができない


 生活保護の不正受給で、賑やかな報道。わかりやすい図式だから、とんでもないと皆思う。正義や公正を行政(役所)に求めるのは必要なことだと思う。

 しかし公務員(ヒラ公務員と言っておこう)は、職務の公正や正義では働けない仕組みになっている。

 仕事の出発点は「自己申告」だ。分担されているか、配分されている職務の完成、消化を目指して、進行方法を作り上げる。この過程では、仕事の「総量」は無視される。毎年のように削減される人員の分も配分されているのだから、そういうことになる。(非科学的事象というか)。

 年度中間には管理職の個別チェックが入る。あれはどうした、これはどうだ。どれだけ進んだんだ?と。多勢に無勢で意欲高揚が図られる。年度末には「あなたは、あなたの仕事の結果をみて、自分でどう評価しますか?」と業績評価がなされる。そしてボーナスの査定に。自分の後は、係長、課長、…と上位の階層の評価にかけられる。そして次の異動(ポスト)への題材にもされる。職務専念の義務はこうして貫徹される。

 想像たくましくすると、生活保護の担当者はどうしているだろうか。自民党の議員さんが、生活保護の受給額の多さを問題にして、不正な受給例を引き合いにだす。

 自治体の当局は、そのやり取りを上位部門で検討して場合によっては事細かに、担当職場へ伝える。「不正な受給について問題になっているから対応しなくてはなりません。」と担当者に問題事例のチェックを迫ことになる。職務だから当然といえば当然。

 しかし、そこはそれでは済まない。銀行チェックの権限付与なども検討されているが、これ自体の問題はさておくとして、担当者が持っている700件(と報道した)に見直しがかけられることになる。これからの申請者に、申請の「難しさ」を説得することになる。

 公務員は「全体の奉仕者」として、生活の全体の福祉向上に寄与するのが使命と目されるのに、本当に生活保護が必要な人に「断って」餓死に追いやるといったことが、もっと増えていくことになる。とならないだろうか?

 正義や公正が貫ける公務員体制を必要なこととして、声を上げないとヒラ公務員は住民にとってまともな仕事ができない。蛇足ながら、だから「公務員は住民に命令する立場だ」と言ってはばからない大阪市長がでてくることになる。