2019年10月31日木曜日

利根川における八ッ場ダムの「洪水調節効果は小さい」


台風19号、利根川における八ッ場ダムの洪水調節効果 ( 八ッ場(やんば)あしたの会)が「八ッ場ダムの治水効果は小さい」と発表している。(1013日)

 内容を読んでみた。
 治水のための指標について担保されれば洪水被害はかなりの程度効果を上げると考えられる。現状は河床の掘削、堤防造成などの対策が進んでいないことが報道でも指摘されている。温暖化の影響は大きいものに違いないが、その前に対策がとられていないとなると、「想定外」との言い訳は通じないものと思える。

内容書きだし→
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〈注1〉計画高水位・・・河川の水位は、ダムなどの洪水調節施設をつくる計画により、一定程度下がることが想定されています。堤防を整備する際には、計画高水位まで川の水が流れても耐えうるよう設計することになっています。
〈注2〉計画堤防高・・・計画高水位に余裕高を加算した堤防の高さ。
〈注3〉河川整備計画・・・河川管理者(利根川の場合は国土交通大臣)が定める具体的な河川整備に関する計画。

 今回の洪水で利根川の水位が計画高水位(注1)に近づきましたが、利根川本川は堤防の余裕高が2mあって、計画堤防高(注2)にはまだ十分な余裕がありました。
 したがって今回の台風では、八ッ場ダムの洪水貯留がなく、水位が多少上がったとしても、利根川が氾濫することは考えられませんでした。
 また、「国交省による八ッ場ダムの治水効果の計算結果(国交省の計算による八ッ場ダムの洪水ピーク流量削減率)」は以下の図とおりです。この図が示すように、八ッ場ダムの治水効果は下流に行くほど減衰していきますので、今回の八ッ場ダムの洪水貯留がなくても、利根川の中流下流の水位はそれほど上昇しなかったと考えられます。

 今回の洪水の最高水位は9.67mで、計画高水位9.9mに近い値になっています。栗橋地点の最近8年間の水位流量データから水位流量関係式をつくり(下記の図「栗橋の水位と流量の関係(利根川・栗橋地点の年最高水位と年最大流量の関係)」参照)、これを使って今回の最高水位から今回の最大流量を推測すると、約11,700/秒となります。
 利根川河川整備計画では、計画高水位9.9mに対応する河道目標流量は14,000/秒です。すなわち、今回の洪水は、水位は計画高水位に近いのですが、流量は河道目標流量より約2,300/秒も小さいのです。このことは河床掘削作業が十分に行われず、そのために利根川中流部の河床が上昇して、流下能力が低下してきていることを意味します。
 下記の栗橋地点における水位と流量の関係図を見ると、河川整備計画に沿って河道の維持がされていれば、今回の洪水ピーク水位は70㎝程度下がっていたと推測されます。

 一方、八ッ場ダムの治水効果は「国交省による八ッ場ダムの治水効果の計算結果」を使うと、栗橋地点に近い江戸川上流端のピーク流量削減率は1/501/100洪水では3%前後です。
 今回の最大流量の推測値、約11,700㎥/秒を97%で割ると、12,060㎥/秒です。八ッ場ダムの効果がなければ、この程度のピーク流量になっていたことになります。
 12,060㎥/秒に対応する栗橋地点の水位を、上の図「栗橋の水位と流量の関係」から求めると9.84mになり、実績の9.67mより17㎝高くなりますが、大きな数字ではありません。
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10月29日の八ッ場ダム






2019年10月28日月曜日

「自然災害」「自己責任」の時代遅れなキーワード

 台風の被害がすさまじい様子が連日伝えられている。被害に合ったらどうするだろうと、自分に重ねてみると言葉にならない。車で避難行動をとろうとして水流に巻き込まれたとのことをみて、自分で避難しろと言うだけが強調されているばかりに見えて仕方がない。非難するにしても、避難先の情報や高齢者世帯への声掛け、誘導避難や避難の方法など具体的な対策が事前に用意されるべきではないかと思う。

 何かといえば「自己責任」ばかりが強調されて、情報はNET調べろ!という 言葉しか聞こえない。原発事故が発生した際の避難も自治体にまかせられて、事実上避難ができないということも伝えられる。こうしたありえない不条理が「自己責任」で捨てられるのは全く腹立たしい。果ては「自然災害」だからと、国や自治体の責任を軽んじる風潮さえ作り上げる。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が日本には存在しないということになる。

 メロンやカニを配って議員になった者やそれを庇いたてる連中の顔をみると腹の虫がおさまらない。家の近所の神田川では、昔は水がよく上がっていたが、嵩上げ工事や一時貯留施設のおかげだろうか(使ったという情報は聞いていないが)あるいはという心配が杞憂になってよかった。防災地図によると、我が家は水没する場所になっていると受け取れる。不正確であれば判断を誤ることにつながるので、改めた方がいいと感じた。確かめなくてはならない。

 避難地域や避難場所をNETで確認してといわれているが、なかなかつながらないのも改善してもらいたいところだ。第一高齢者のNET使用はどれだけ可能なのかもある。テレビで各地の被害状況、河川の状況が報道されたがこれが実に遅い。河川の監視カメラが少ないのだろうか。報道の調整があるのか?それにしても、盛んな人気スポーツ報道のような、丁寧な熱心さはみあたらない。

 神田川であれば、昔は有線放送で水位が上がっていることをアナウンスしたが、最近は危険が少ないとみてかやらなくなった。この間の「想定外」の状況ではそれでは済まないだろう。今日は、がけ崩れの被害が「指定地域」になっていなかった傾斜20度程度のところで発生したことを伝えていた。政府の対応も実にのんびりしていたものだったが、想定外を放っておくことは人間の知性として放置しておいてはならないことだ。

2019年10月21日月曜日

台風19号で各地のダムの放水は検証が必要

 小河内ダムでは12日(土)18時以降に放水量を増加させた。「余水吐放流」についてプレスでの発表が14時にあり、当初の見込み、毎秒600立方メートルが750立方メートルとなるというものだった。午後10時過ぎに世田谷区玉川で浸水被害が発生しているので、小河内ダムの放水が影響をしていることは考えられる。放水が決定的だったのかどうかは即断はできないが、この検証が必要なのではないだろうか。


 神奈川県の城山ダムは放水をいつするかで、いくたびか変更した。県の放流開始の判断が変更されたことで結果的に混乱を招くことになった。氾濫などの大きな被害にはつながらなかったとされるが、相模川支流の串川では同日午後10時半ごろ、家族4人が乗った車が転落し、全員が遺体となって発見される事故が起きた。放流開始と同時に市町への通知ということになったのは、行政の稚拙とでもいう大きな問題を残した。水位上昇の想定をつかむのは難しかったと神奈川県河川課がコメントした。

 「緊急放流が始まったころ、ダムへの流入量が以上に跳ね上がった数値を示したままデータの更新が滞っていた」とまでなると、ダムがあれば安全という見解も神話としか言えない。城山ダムが「逡巡」している間に、複数のダムで緊急放流するとの発表があった。「赤信号…」みたいにというと軽薄と言われそうだが、放流したダムと堤防決壊した箇所との関連性を検証する必要がありそうだ。放流を実施した6ダムでは「事前放流」はしていなかったのニュースもあった



2019年10月18日金曜日

近所にマンションが続々と建つ


 そこは、広くて昭和の時代を通り超えてきた板塀の屋敷だった。取り壊されて平地になったと思ったら、マンション建設が始まった。公園が「美しく」改修され、グレードアップされた土地に、これ見よがしにポスターが掲示されている。大都市東京の活動をひけらかしているよう。

 しかし、近所は店が多くあるわけでもなく家庭の食材を手に入れるのは楽ではない。買い物は新宿のデパ地下になるのだろうか。景色は公園の先にライトアップした都庁が素敵に見えて、修景だけは上等だ。狭い道路であるところに、どんどん背の高いビルが入り込んでくる。道路を走る車は「介護施設」の送り迎えのものが目立つ。高齢化社会に合わせた「老人ホーム」ならなと思わないでもないが。

いまはない屋敷





眺望は抜群でも

北海道と比べ物にならない


2019年10月14日月曜日

ミステリツアーで北海道へ


 ミステリツアーと称する旅に参加した。案内には「とあるところの…」とあるので、羽田空港で搭乗券をもらわないと行く先がわからないことになっている。とはいえ、いくつかの事前案内、たとえば「食事にカニ」やら「ホタテ食べ放題」とあればハハーン北海道かなという推定ができる。

 いくつかのツアーに参加して飽食気味の体験者は面白がって参加する。時期的には紅葉にはちょっと早いという閑散期にあたるから、宿泊のホテルの豪華さが売りになる。食べるものは豪華だったし、案内人の過不足のないリードぶりがよかった。








2019年10月4日金曜日

行政機関が魚釣り人の意見を聞くことの大切さ

 こと「釣り」に関しては、人のそれぞれの好みで趣向するという範囲を緩く括っているのみだろうと、これまでの経験から思う。早い話が「金儲け」とはさほどの縁もない「つり好き連中」が、世に物申すことになにかの意義をみいだすことなどは、通常の目からは考えもつかないものとなっているだろう。

 それは「行政」の位置づけがなせることでもあり、一部のつり趣向者の問題だと切り捨てられることに異議を言わざるを得ない。つり趣向者の要望は、例によって著名な「…つり団体」の意向ぐらいがせいぜいの扱いだろう。それでいて、「侃々諤々」の議論などは期待できそうもない。

 そこで言いたいことは「釣れなくなった」ことだ。これはつまるところ、人類の存亡にかかわるというのが問題意識であり、他の様々な自然と社会の認識の過程を共有する。「釣る楽しみ」の本家の漁はいまや悲惨な状態で、痩せたサンマが皿にのり、細身のイカが半身で食卓を飾る。ウナギはどこへ行ってしまったのか。焼津のシラスは漁獲調整ということだ。

 「つり」は一部の楽しみであることは違いではない。それでもゴルフを「趣味」を持つ人たちと、どっこいどっこいでの「経済効果」は統計として発表されている。趣向者数を考えるならば、隅に置いておくべき処遇にはならない。日本が「自然に取り囲まれた」環境に存在しているのだからその特性は生かされて間違いはない。その「愛好者を含む楽しみ群団」が結果として減少していくという状況であることは、いま風に言えば「削除、削減」されていくということ。そんな点からも放置されておくべきでない。

 「削除、削減」は多くの要因によってつくられている。生態系のかく乱、混乱の現状からも言えるし、したがって「政治」の面からも言えることだろう。温暖化のもたらす影響は今や最上位の政治の課題だ。この影響は「常習魚釣り者」には焦眉のことと感じている。この影響はどこでも同様に起きているだろうと思う。

 日本の自然環境と社会を作り上げてしまった我々の責任も免れることはない。「魚が釣れなくなった」ことを他人事にしたくないし、江戸時代から栄えた魚釣りの文化を絶やしてはならない。そんなことを想った「都議会共産党議員との懇談会」だった。