2016年3月2日水曜日

観光資源という言葉に抵抗を感じるな

 資源というと「金」に結びついたイメージで、すなおに飲み込めないものを感じる。日常の生きるための事業活動によって手に入るものが、生活の大部分を支配しているのだから、否定することや無視することもかなわないわけだが、「ナントカ資源」「資源化」などと地球上の存在するものを資源として見立てて、事業活動に結びつけるということに違和感がある。

 地球規模で見れば、温暖化の原因として鼻つまみ者になってくる原油生産も、値段が下がっても生産を縮小せず、「競争で勝つまで」掘るというところまで陥ってしまって、「事業」の性格が歪んでしまっているのではないかと思う。原油は戦争の種にもなって、その財貨で兵器までまかなわれるとなれば、人類史の汚点にもなっているのではないか。

 観光も多分にもれず資源として、人を集めて金を落として行ってもらうという方法がまかり通る。必死で地域経済を活性化させるのは、今無視することはできないとではある。世界遺産もその最たるものに利用されて、またそのことに人が新鮮さを求めて訪問すると言う仕掛けに入っていく。それが間違いだとは言えないが、人が歩んできたことや文化としての保存を大事なものとして、後世に引き継ぐという視点からは、どこかネジ曲がっているという気がするのだが…。


世界農業遺産の白米千枚田にはちらりと寄っただけだったが、見るたびに観光農園が農業の発展なのだろうかと、そんなことを考えてしまう。雨の中でポツンと人形を販売していたお婆ちゃん、撮らせてもらえばよかった。写真の幅が広がっただろうと反省。能登三日目、氷見漁港と上庄川周辺を撮る。歩いているうちに雪から晴れになる。他と同じように人気は少ない。