2022年2月28日月曜日

フキノトウがまた芽を出した

 今日で2月も終わる。というと時の流れが早すぎる嘆きセリフが続く。己を水に例えれば「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に合わんとぞ思う」てな具合に、のちの夢か希望にこころすることならいい。でも、そうは問屋が卸さない。急く我が身の末は、治療の大小の岩に阻まれて、先がどこにあるのかさっぱり見えないのだから、夢と希望は棚の上。だからメタボリックは怖いよと言っただろと、どこからか聞こえてくるのは、もはや夢想の域かな。

隣の庭のフキノトウ、また芽を出した すごい!

昨年11月半ばに芽を出したフキ。暖かさに早く出てきたかと思っていたら、1月になっての雪で、枯れてしまった。2月に入ってからまた芽を出した。自然は偉大。

11月15日


1月8日


1月12日


2月15日


 

2022年2月27日日曜日

「侵略戦争はやめろ」がキーワード

 ロシアによるウクライナ侵略があって、プーチン大統領の能書きを聞くと驚くばかり。「(ウクライナ政権に対して)クーデターを起こせ」とまで言う。停戦にはウクライナの武装解除が条件と?それならロシアも武装解除するのが筋ではないか。独立国家に対するやり方がこれ?これじゃ野生の熊と同じだ。欲しい餌はとことん追いかける。こんな野蛮なやり方が、21世紀にあっていいのだろうか。

 どうしたら止めさせることができるのかが、問われるときにその点に突っ込んだ論調は、テレビからはあまり見て取れない。ここにきてようやく、ロシア国内でのデモがされているとか、日本でも在住の「ウクライナ、ロシア」の人たちのデモが行われていることが紹介されている。

 武力でない解決がもっとも重要なことは、日本の憲法からも当然なのに、この機に乗じて「敵基地攻撃能力」を持つことが大切だと、触れ回る連中もいる。武力行使はダメなことはもちろん、そのための戦力増強は、「いらない」とした日本の憲法が戦争を「起こさない」という意志と、平和を導き出すことに腐心していることに、憲法はすごいものと改めて思う。

 憲法を順守する態度でいけば、日本は最もふさわしい発信力を持っていると思う。日本が日本国内での「声」がまた少なく感じられる。今は皆で「侵略をするな、やめて」の声を発するときなのだろうと思う。世界のあらゆるところで声を上げることが、一番の「戦争抑止力」だという気になってきた。

 ようやく暖かさを少し感じるころになった。医者の帰りに公園に寄ってみた。平和は戦争否定の上に成り立っていると公園を眺めながら思った。 







2022年2月21日月曜日

5月30日からの写真展に向けて

 2年の間、コロナのおかげで写真展がやれなかった。直前で感染拡大の状況で中止になって、作品をサイトに載せて何とか記録として留めたものの、やっぱり発表の場がないことにはまとまりが付かない。今回はなんとかこぎ着ければいいと思う。

 絞り込んだ写真を眺めて、撮った当時の思い入れや出来事を思い出す。どちらかと言えば素人筋(自分のこと)であることからちっとも抜け出せないで、写真の良し悪しを目の前に突き付けられるのだから、ある意味つらい作業にもなる。それでも繰り返してやることで、いくらかはましな写真を撮ることにつながればよいと思う。この時世で、撮影に行くチャンスが少なくなり、そのうえ膝の痛みに邪魔されて歩くことが重荷になってきた。作品にするものを選び出さなければならないので、前に撮ったものから見直して、あれはどうかこれはいいかと、パソコンの前で眺めている。今回はモノクロでということになっているので、現像をし直して、タイトル候補中から決めて5~6枚の組を作ることにしている。

タイトル候補1 ヤマメ発眼卵 埋設


タイトル候補2 神田川

タイトル候補3 能登

タイトル候補4 山形県金山町

タイトル候補5 奇習 加勢鳥









 

2022年2月13日日曜日

神宮外苑を都市改造、自然のテリトリーをまた減少させるのか

 「経済」活動の効果をあげるために、邪魔な自然エリアをなくしていくのは、許容されていのか?残念ながら「自然」の大切さについての、「政治側」の関与は余りにも勝手きままな振る舞いになっている。ほとんどなんのおかまいなしに、人間社会の「経済」優先的な活動が推進されて、究極「温暖化」まで呼び起こした。地球環境を保全のために行動を急がされる事態なのだから、ちっとは反省して…というのが常識的な考えというものではないのか。肝心な「お国」が推進側の旗振りなのだからなにをか言わんやだけど。

 明治神宮外苑の再開発で約1000本の樹木を伐採・移植するという計画がある。それは超高層ビル2棟、ホテル付の新神宮球場、国立競技場より高い新ラグビー場をつくるためとされる。またぞろ「自然破壊」をこりもせず続けるということになる。事業者が三井不動産、伊藤忠商事と聞くと。住民のための街という大義が、またまた住民をそっちのけにして希薄なまま、どこかのダム建設みたいな程遠い「問題」となって扱われていく。

 ソロバンをはじきながら進める方は、そこが付け目でもあるのだろう。都市が経済活動の貢ぎ場所として特別な扱いでいいとは言えない。一極集中のデメリットが本格的に検証されないままできていることもある。循環する生態系の一パーツとしての人間が考えやるべきことを、検証して考える必要性はより高くなっている。

 かつて、東京都知事鈴木俊一のおり、「緑の倍増計画」(「昭和60年~6年間」)がたてられた。緑豊かな東京目指してと題した巻頭言で「…緑は今住む人達のものだけではなく、将来に済む人々との共有財産であります。緑と水の豊かな、美しい東京を時代の子供たちに、そして、さらに将来の世代に引き継いでいくために、国や区市町村のご協力を得ながら、都民の皆様と手を携えて進んでまいりたいと思います…」と宣言していた。つぶさには様々な問題もあっただろうとしても、施策に「緑」を据えるのがかつての東京都でも存在していたことを、今になって言うのも虚しい話だ。


 

2022年2月7日月曜日

追いかけて来なくともよい疫病神

 顔にできた日焼け跡が少し膨らんで、痒みが出てきたので皮膚科に行ってみた。そう悪いものではないとの事で一安心した。その部分を薬で「焼く」ことができるとのことだったが、放っておくことにした。特段の障害がないのだったら、やたらいじらないのも方法かと思い、そう医師に話すと笑っていた。

 この週は何時もの内科に加え、無呼吸症候群の診察もあったから、3回も出陣することになった。日常なんの役にも立っていない我が身のように、メンテナンスを必要とする中古人間は、ずいぶんと医療機関の世話になる。だから余計にコロナの対応でもまさに献身的に感染者に対応する姿には頭が下がる。

 でも賑やかにテレビに出現する「健康食品」の個人的感想に全幅の信頼を置くわけにもいかないし、やっぱり「医療」への信頼は大きいものだから手立てを尽くして、援助が考えられるべきは当然のことだと思う。ある医師がコロナ対応に責任を持ちきれないと、職場を去るということまで起きていると報道していた。

 濃厚接触者でも自宅で「療養」として診察も受けないで、陽性者認定をするなどというだけではなくて、診療機関は発熱外来を閉じるというところもでている。大阪では陽性者数のカウントが持ち越されているし、死亡者数が飛びぬけているというのは、保健所削減などで体制が取れていないことが問題と見る以外ない。国会の答弁で「日本の死亡者は他の国に比べて少ない」と言っているが、「死亡者をなくす」という言葉は聞こえない。

 韓国の閣僚は「感染者と死亡者を出さない」と記者会見で語っている。言葉の問題だけではなくて、「死亡者を出さない」と本当に思っているのだろうかと疑問を感じる。検査キットを配るといいながら、一般には無料キットはすぐ枯渇してしまい、ワクチン接種は「早く」の声には前倒しと言いながら「8カ月原則」という文言を活かしたままにしている。

 国会中継を見ていると、「内閣は良くやっていると思う…」という問答さえしているのは、これから先「経済」優先のための「野放し政策」なのかと考えてしまう。オミクロン株の別系統「BA2」が空港の検疫で313例確認されたと厚生省発表。専門家組織は「感染力今より強く警戒」と。疫病神は誰なのだ?