2019年11月10日日曜日

歌い踊るのは人間の本性?

 ゼイム職場の合唱発表会が終わった。同一職場グループの18団体が集った。この合唱祭が56回も続いているのは特異と言っていいかもしれない。歴史を重ねているところはたくさんあるが、散らばっている職場がそのとき集中して継続してやっているのは、おそらくはそうはないだろう。

 難しいことは専門家に任せるとして、「歌ったり踊ったりする」のは人間が身に着けた本性なのではないかと思う。自分も「やってみたい」と思うのは、その表現への共感にある。自己表現への共感とは実は相当高い価値を含んでいるものと感じる。「商業主義」にはない、なにか珠玉な文化価値がある気がする。

 言葉では伝えられなかった時代に意志と思いを伝えたる手法として編み出された。現代に適応するなら、言葉で伝えられることが、できるはずが内実は相手には十分に伝えられないことはままある。言葉や動作で伝えられたとしても、そのうえに機微を盛り込む、昇華作用となっているのかとも思う。

 どちらにしても人間の文化的素養に文化としての期待が込められる。「歌い踊る」ことの誘惑的磁石はこうしたものを引っ張り込む力がある。歌いたいという気の発揚と動機はこんなことにあるのではないだろうか。少々鷹揚な解釈だけれども、56年も一つの職場の別部から集まって組み立てられる「合唱祭」は、「歌い踊る」というDNAとでもいうか、人間が持っているものだと考えるのが、これまで続けられた理由として順当と考えられる。続いた合唱祭の歴史は、元にそんな事情があったのだろうと推測する。当たり前だのことだが、「やろう」という声掛けが丹念に重ねられてきたことは疑いない。