2015年10月30日金曜日

これが一週間の仕事です♬

 ブログの更新の時間が一週間程空くようになった。基本的には体力の問題だろう。毎日更新はなかなかできないし、ブログをちゃんとしたものにしたいという負荷がかかるのだから、知恵の吸収が悪かったものにとってはあたりまえのことと開き直る以外はない。物事がわかってくるに従って、認識が正確でなかったことを悔いることが多くなる。どうあろうと、日記代わりに書き込むことが、決して大仰ではない己のポイントくらいにはなるか、という程度のことではある。そして脳の活性化に役立つのかなという軽いノリで「書いたよ」との自己満足を手に入れようというわけだ。

人間どこにいてもグータラに過ごすことができれば、これ以上の贅沢はないと思うのだが、なにか最近は「贅沢」というワードも聞こえにくく、そのままではいさせてくれない。なにせ、消費が停滞しようとするばっかりの手しかうてないし、無理やり消費を伸ばそうとしての売り込みなのだから、手元現金のない者にとっては「詐欺の被害」に合わぬように防戦に努める以外にない。もっと端的に言えば、税金類は十二分に払っていながら好き勝手に使われているようだし、事業者の自主性にまかせて甘やかし、その「良心」に依存するシステムはもう見切りをつけるべきだと思うのだが、毎日のニュースはごめんなさいの洪水だ。閣僚の記者会見は、官僚の書いた原稿で格好をつけるだけで、キチンとした対応ができる仕掛けにはない。だから、ホンワカとした佇まいでは今の時勢には合わない。戦争法は?沖縄は?と、SNSを見ては、ため息と歯ぎしりがでてくる。

で、一週間前には岩手の仙人のところで数日過ごして、食事の少々のまかないをして過ごした。余った時間を網張温泉やら葛根田川の上流へと向い、カメラを携えて紅葉三昧に浸らせてもらった。写真の心得はあるものとの増長が、このところのゼミやら写真展を通じてはっきりしてきて、その修復をこの時に自習することになった。シャッタースピード、絞りの超原則を確かめながらフィルターを使うことまで組み入れて、三脚使用のセルフタイマーと、普通の写真家には当たり前のしぐさを、懸命にこなした。なにかあれもこれもじっとしていられないことに囲まれて、責め立てられているような気分だ。













2015年10月24日土曜日

食べるのか食べないのかが悩ましい

 岩手の親父のところへ行って逗留する。その間従妹が山形へ行って免許証の書き換えをすることになっていた。おやじは最近おかずをあまり食べなくなっていて、なんでも箸をちょっとつけるだけだ。もともと好き嫌いがあるのかもしれないが、漬物と肉類とご飯だけは食べる。釣りが好きだったのに魚をあまり食べない。今はシャケの切り身くらいだ。

 二人きりで食事をすると、従妹が用意していってくれたものは、なんとなく自分が多めに食べてしまう。食べ物は残してはならないという教育とアルコールによる食欲増進が、そうさせる。半端になったものは捨てるわけにもいかない。自分とて自宅ならば、食べたいだけ食べると言う我儘が多少は可能だし、口に入る量は多くは必要なくなってきていることもたしか。

 連れ合いが懸命に作ったものを、年寄りはほんの少しの食欲しかないものだから、口になかなか運べない。だから穏やかでなくなるのもわかる。我が身も、塩分だの、いやその前にアルコールだのカロリーだのを、控えめにというダイエットの圧力が立ちはだかっているのだから、なるべくは口に入れないようにと、闘いを避けることはできない。

 食だけで軋轢が起きてくるなど馬鹿なことだが、毎日のことゆえなにか折り合いをつける方法を捜さなくてはならない。従妹が山形から戻ってきて、土産に親父の好きな「納豆餅」を購入してきてくれた。ところが、歯が抜けていて食べたいが食べられないという。歯の詰め物が取れてしまったり、抜けたりするのもしょっちゅうだ。こういう状態も食べることの障害になっているというわけだ。おかげで、自分も好きな納豆餅を余分に食べることになった。うれしさ半分というところだ。餅は旨かったけれども。従妹が少々太目になった事情がこれでわかった。










2015年10月16日金曜日

早川を撮りに行く

 山梨県の早川は、20082月に家族で旅行に行ったところだ。そのときの川の様子が異様に思えて、カメラのシャッターを押しまくった。川をないがしろというか、自然の摂理を無視して都市開発の資源にしてしまう行為が、もう反省を迫られているときに、「川をいじって砂を採る」という現状を見たのが、そのときショックだった。しかし川から砂を採るという事業は法規制を受けているはずなのに、こうしたことがあるのは、なにかの「脱法行為」でできていたのかと思っていた。

 今回はその場所をもう一度徹底して撮ってみようと、娘に運転を頼んで出かけたのだった。ところが、最初に目当てにした橋が見つからない。忘れてしまったものかと、車から降りて橋を眺めるが形が全然違ったものになっているし、増水で削られたと思しきむき出しになっていた橋げたがない。記憶していた場所を間違えてしまったのかと思ったが、翌日になって橋は建て替えられたのだと解った。7年前のあの有様では、さもあらんと妙に納得した。

 川に沿ってずっと写真を撮りながら走ったが、ほとんど砂利河原になっているところで、砂と小砂利をショベルカーがいじっているのが、7年前とほぼ同じようだった。河岸の事業所も全く同じ風に、3か所とも稼働している様子だった。ネットで一つの事業者を検索してみたら、河川管理の構築物を造る会社だった。砂防ダムの工事もすると記してある。道路はひっきりなしにトラックが行き来していて、砂か砂利を移動させているのが、どこに運んでいるのかはわからない。何か所も、山が崩れて川に土砂が流れ込んでいる様子は見えた。したがって豪雨が増えている昨今では輪をかけた状態なのだろう。

 「土砂を運び出して…」という理解はちょっと実態は違うかもしれないと、今回の旅で思った。上流部の雨畑ダムは、ほぼダム湖に土砂が流れ込んで、貯水量は相当少ないものと思われた。ダムに依って下流部に供給されるべき土砂がせき止められているのだから、その影響は下流部の川底を削っているという関係はあることと考えられる。なんのために、川の砂利をいじっているのかはもうちょっと調べてみないとわからない。

2008年2月架け替え前の橋

 2008年2月

2015年10月
2015年10月



2015年10月10日土曜日

Windows10との付き合いはもう少し先

 Windows10を導入しろとタスクバーにサインが居座っていて、消すことができない。「入手、予約、アクセス、詳細確認」のいずれかを選択しろと勧誘している。Windows7を使用していから何年もたっていないし、使い慣れたソフトもたくさん導入しているから、新しいものへアップグレードすると使えなくなるソフトがいくつも出てくる。それを買い替えなくてはならないものもあるだろう。ソフトもいくつかを除いてはそんなに使用頻度は高くない。懐の経済には素直に反応するわけにはいかない。それを見越してか、タダで導入ということでちょっと気を引く。新しいものへのバージョンアップは特に、「欠陥」を前提に開発されるのが普通になっている。もっとも、良心的に思えば、不具合を指摘させて改良に結びつけるのだから、発展方向には違いない。

ボーイング787の充電池の欠陥や車の欠陥のように、事故が表面化してから修正に着手するのは普通のことになっている。解釈によっては実験させられて、その不具合を改良するということに利用される。ただのパソコンアソビなら、スマートフォンのように直接命の危険に結びつくことはまずないが、製作者側の足りない部分を埋め合わせる手先になるようで、どうもしっくりしない。原発事故であからさまになった「安全神話」のようなものが、そこにでも介在しているのではないか、ほんとうに努力をつくしたのかもハテナ印をつけたくなる。

もっともだからこその無料バージョンアップなのだろうけど、シロウト方面としては、修正バージョンが出てから導入した方がいいということらしい。不具合を修正した「サービスパック1とか2」とかというものが出てくるのだろう。現在でもバージョンアップの結果いろいろな問題がでてきているらしい。もう少し待つのがいいと言われている。万全に重きを置くなら、パソコンそのものの取り換えを展望した方がいいのかという気もする。パソコンは寿命があるし、他のもののように「使わなければ新しいもののまま」というものではない。古いものを後で使い始めると、浦島太郎のように現実にきょろきょろしてしまうようになるのだろう。やっぱり消費財なのだ。

Windows9がどうして抜けているのかというのは噂の限りで、メーカの発表がないのでわからない。結局のところただ製品名として使われたというところらしい。「Windows100」でも「1000」でもよかったのだろう。








2015年10月6日火曜日

いい写真撮り目指して、肘折温泉

 10日も寝転がっていたわけではないのに、時は容赦なく過ぎていく。写真の「夏コンテスト」に応募したところ、まあ、箸にも棒にもという感じでショックを受けた。まあ本筋から離れていたものだから、いっそう自己流の撮り方になってしまっていたのだろう。自己流から抜け出すのは、わかっていてもなかなか難しいもの。他人の評価があってこそ振り返ることができるので、なんのこれしきといきたいところだ。

 こき下ろされて、確かに自分には足りないところが歴然と見えてきてはいるが、そこには越えがたいハードルもある。それは長い間頭の中で反復していたことだ。いまさらながら、そこに立ち入っていかなければならないとなると、ややきつい趣もある。先もそう長くないことだが、頑張る以外はないだろう。

 山形に行って撮ったものは、まだ肘折温泉でのものがあるが、これも「評価替え」にあたって、特にこれといったものはないが、いくつか残っている。