2023年11月30日木曜日

カキの養殖の基地発見

 江田島で通りかかった沖美町高祖の港に寄った。カキ養殖の「貝殻」が置かれていて驚いた。人はいなかったが、港は全部カキ養殖のために利用されている様子だった。この度で牡蠣を食べたが、今は旬の時期で牡蠣は海にはない。島の高所ならどこでも牡蠣棚が視野に入ってくる。港で養殖のためホタテの殻を見て、また牡蠣三昧を楽しんで、広島を訪れたカイがあった。蛇足ながら有明海の海苔養殖は牡蠣殻を使うのだとか。その牡蠣養殖にはホタテの殻を使うとは。人間様の偉大さというか自然の営みの凄さに感動。牡蠣棚は干満を利用して、空気にさらして鍛えるとのこと。行きには水上に出ていた牡蠣棚は往路の時は水に浸かっていた。











 

2023年11月27日月曜日

江田島は旧海軍の歴史が残されている

 江田島湾(江田島)は広島市に向かって口を開けたようになっている。湾から出たところに厳島が左側に見える位置になっている。湾の中央部あたりに海上自衛隊の基地がある。グーグル地図で見ると海上自衛隊幹部候補性学校、技術学校などのほか、戦艦「陸奥」の主砲塔、旧巡洋艦「明石」マストなどが見える。長居はできなかったが、基地となりの町に入って回った。洋服店が自衛隊用の用品専門なのは場所がらのよう。呉の「海軍」の歴史を背負って時間が流れていることが感じられた。











2023年11月24日金曜日

オニオコゼを丸かじり

 呉旅の夕食にオニオコゼの唐揚げを食べた。「呉おこぜフェアー」を4月から7月ころまでやっているとのことで、時期は過ぎているけれど行ってみることになった。チラシにある店をホテルで聞いて探したら、場所がわからず他へということで歩いていくと、ノボリを掛けているところに運よく当たって、飛び込んだ。しっかり揚げられたオニオコゼににらまれながら二人でバリバリと食べ、残した骨の部分も二度揚げしてくれて、99%完食。噛めないところは残してとのことで、1パーセントは残った。我ながら歯の丈夫さに感心した。もしかすると、固いところで歯をダメにした人もいるのかな。





2023年11月20日月曜日

三高山砲台が残っている江田島へ行く

 明治政府が海軍の呉・江田島を防御するため、「防御上重要性」から、敵艦を攻撃する砲台と、陣地を守るための堡塁を造った。日露戦争直前の明治34年竣工。280ミリ榴弾砲6門、90ミリ速射砲4門、90ミリ臼砲4門を設置。弾薬庫4個、機械設備庫や大規模な巡回監視所等の建物跡が残っている。防御上の必要性軍備日露戦争とは、今に通ずる昔の話。 西方正面に厳島が見えた。










2023年11月16日木曜日

旧海軍工廠の歴史が見えた

 明治時代に軍事態勢を築きあげるために、呉に海軍工廠が作られた。

呉軍港空襲

19456229時、B-29290機が飛来。海軍工廠関係の死者は約1900名。

19451015日呉海軍工廠廃止。

1945年 株式会社播磨造船所が呉海軍工廠跡に呉船渠開設。

以降、曲折を経て石川島播磨重工業株式会社設立。呉工場での自衛艦艇の建造は無いが、修理はしている。「造船船渠(大和の建造用ドック)」は1993年に埋め立てられ、跡地は工場として再利用。大和の修理を行った「船渠(ドック)」は現存。自衛艦や米軍艦船などが現在も使用中とのこと。隣接する港には艦船、潜水艦が停泊して、見学をさせている。海軍工廠があったことで働き手が増えたものの、明治時代から湾岸は軍事用の施設が優先されて、戦後も「占拠」しているので、住宅地は山際の狭い傾斜地に追いやられているのが写真を通して分かる。呉市街には潜水艦の内部を見学できる施設が「観光場所」として案内されている。










2023年11月11日土曜日

呉の旅、「日新製鋼」の赤茶けた色の工場を撮る

 広島県呉市の日新製鋼(株)(旧海軍工廠製鋼部)は今年9月で操業停止鉄。戦後鉄鋼産業として呉の街の成り立ちに影響を与えた。この先10年かけて取り壊すという。呉在住の従業員が整理されて市への影響は大きい。このご時世でまたぞろ軍事産業復活めいたことにならないか気がかり。

 三津峰山展望台から撮った景色は、明治時代から呉海軍工廠として軍事優先の時代を過ごし、戦後も一帯が製鉄工場、造船所、海上自衛隊で占められている。造船所は曲折を経てはいるが、石川島播磨重工業がかかわっている。戦艦大和を建造した技術からか10万トン、20万トンのタンカーを建造してきた。タンカーは「折れる」事故が続いて、大型のものを造るのは止めたと、昔聞いたことがある。














2023年11月6日月曜日

広島呉へまた撮影旅

 呉の日新製鋼工場跡をもう一度みたくて呉へでかけた。日新製鋼は「旧呉海軍工廠製鋼部」と紹介されていて、明治時代から軍国の時代を通り抜けてきた。戦艦大和を建造したことで有名で、20219月に高炉を休止した。今後10年かけて解体していくとのことで、前回呉を訪れたときに、その工場の規模におどろいた。なんとか赤茶けた色の工場をもっと撮ってみたいと思っていた。そのほかにも島部の古い由緒のありそうな家並みや島の小高い山が砂利取りで削られているシーンをカメラに収めたいと思っていた。

 KYODOニュース~

 呉から「撤退」日本製鉄は30日、瀬戸内製鉄所呉地区(広島県呉市)を全面閉鎖した。72年にわたり地元経済を支えてきたが、鉄鋼需要の減少などを受け全設備を休止した。解体作業には10年程度かかる見込み。  同地区の高炉は1951年、太平洋戦争中に戦艦大和を建造した呉海軍工廠跡地に建設された。日鉄は2020年、国内需要の減少や輸出市場の競合激化を背景に経営合理化を図り、設備規模が小さく老朽化が進む同地区の閉鎖を決定。219月に高炉2基を休止した。今月14日には最後の製品の出荷を終えた。日鉄呉地区によると、10月以降、高炉などの解体に本格的に着手する。跡地の活用方法は決まっていない。

 今回は現地が見える三津峰山展望台へ車で上がってみた。運用区ほぼ全景が見えて目的が果たせた。写真はスマホで撮った。帰りの新幹線からアップ。後日カメラ分をアップするつもり。こだわっているのは、この跡地がどのように使われるのかを気にしてのこと。「兵器産業の期待」があるのではないかと深謀遠慮。





2023年11月1日水曜日

見開きカレンダーの残りなくなった

 二カ月分が見開きになっているカレンダーの残りがなくなった。近所で取り壊している住宅の騒音も、うるさく聞こえていたものが小さくなってきた。いつまで続くのかと、暑い中窓も開けられずにまいっていた。取り壊しの現場は、なんとも頑丈な鉄筋コンクリートで固められていたようで、少々の地震でも残る口の方に見えた。アパートだったのに止めてしまって、もったいないようだ。事情があってのことだろうと、余計なお世話で想像している。

 そんなことに気を取られているうち、容赦なく時間はきちんと過ぎていく。暑さからの解放を秋に期待していたら、寒くなったりまた気温が上がったりと、ちょうどよい季節はなくなってしまったかのよう。温暖化の影響は拡大の一方、これだけ自然界を痛めておいて「経済、経済、…」と心配する先を改める気配はないようで、無責任というより将棋で言えば「詰み」のようだ。

 温暖化対策を一刻も早くすすめなければ地球が終わりになってしまう。「戦争」をしている場合ではない。温暖化も戦争の引き金になっている。格差、差別が拡大して「戦争」の選択肢がはびこっている。大国の「止めろ」でなく一方に肩入れするやり方では終わることはない。世界中でハマスとイスラエルの戦争を止めろという声があがっている。「二度と戦争の惨禍がないように」とした日本の立ち位置は「やめろ」というに資格十分だと思うけど。

近所の秋はまだちらほら