2013年4月21日日曜日

アド街ック天国で中野北口界隈を紹介したけど


 「アド街ック天国」で、中野北口界隈の紹介をした。出演者の中に中野に住んでいたことのある芸能人が結構いた。そういう出演者を集めたのかもしれないが、「下積み時代」を暮したときの出来事や思い出を話している芸能人もいた。

 中野警察学校(もっと言えば陸軍中野学校の跡地。諜報や防諜、宣伝などスパイをする訓練をしたところ)の跡地に帝京平成大学、明治大学のキャンパスが開講する。大学の中を放映したが、ホテル並みのロビーが広々として、大学のイメージからは想像できない様子だった。

 「1945年(昭和20年)1月に中野学校に入校した第8期生150名のうち、90%以上は一般大学や高等専門学校の出身者で、東京帝国大学出身者が最も多く、次いで拓殖大学、東京外事専門学校、そして早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学等が続いた。一般大学出身者から数多く選抜された理由は、諜報員として幅広く高い学識と冷静な視点が求められていたためである。(ウィキペディア)」ということだが、大学との因縁かつながりかが、浮き出てきたような妙な感じがする。まったく根拠はないが。

 中野駅に隣接して囲町公園があった。ここではトランペットの練習や、沖縄の演舞、空手の練習など、夜になると賑やかになっていて、なにかほっとしてうれしくなったものだった。先の芸能人もちゃらけてこの公園を話題にしていたが、中野北口界隈から育った文化もあっただろう。新大学に通り抜ける場所として、無くしてしまったのは残念だ。


 中野の町は基本的には居住地として歴史を重ねてきたところだ。大それたことは言えないが、町の在り方としていいのかなと思う。2万人の学生が増えることによって、地元はどんな影響を受けていくのだろうか。アドマチではブロードウェイの商店街が魅力の第一としていたが、ここに歩く高齢者も多い。わりと買いやすい商店街だからだろう。身の回りの大概のものは手に入る。2万人の若者が押し寄せたとき、それを対象にした店に改変していったら、町の様子が変わってしまう。