2018年2月23日金曜日

日本の旅で歩くのが外国人の珍妙さ

 日本人は、よく働かせられている。と言う言い方はあまりしない。が、現職でいたころの職場は、「定数削減」と称した人員削減がさも正しいことというがごとく、外圧から押し付けられて、その分当然ながら減った人員の仕事が被せられたから、これはだれの責任なんだと抵抗をしたものだった。
 
 だから「日本人はよく働く」は正確ではなく「働かせられる」が実態に合った表現で的を射ていると思ってきた。残念ながら働き手は、在籍する組織体の中では、自分も肯定しなければ成り立たないから、主体的に身を投じることで、誤的な理解も甘んじることにはなる。

 いまでは非正規雇用がすっかり当たり前のようになり、正規雇用者の数を上回る数になった。賃金総体は間違いなく減るばかりだ。株価ばかりを心配する経済対策で、その効果が回ってくるとはない。こそうであるのに、景気が良くなっていると、謀略的な言辞をまき散らされていても、年金生活者から見てさえ、暮らしにどれだけ跳ね返っているのかを見るだけでウソだとわかる。

 こちらの懐に潤いとなるべきものは、微に入り細に入り縮減とし、負担は増やすばかりの手を打たれてしぼんでいく。これで消費が上向くはずはない。観光地は外国人が圧倒するし、都市部にもずいぶんと周遊している。外国人観光客をどんどん呼び込んで…という「戦略」で、カネを落としてもらうこともあっていいとは思うが、日本の文化や歴史に触れるのが、日本人よりも外国人がということになるのだろうか。
 
 日本人がもっと豊かに歴史や文化に触れられるようになるべきことだと思う。そのための処遇改善は必要だろう。(もっとも、それより以前に生活を改善したいことはいくつもあるかもしれない。)日本が築いてきた独自の遺産を、共有のものとしていかなくてはならない。カネを落させることが目的となる態様では、文化の矮小化や時によっては破壊も呼ぶ。それが人の心に留まることになるのだろうか。