2013年9月26日木曜日

限界集落の旅の写真

 廃れていくとしかみえない村落。なんの贅沢も要求していないだろうに、目に入る風景は寂しいばかり。農業をあきらめて東京に出た義父は「成功者」と村落では言われているとのことだった。下って海へ出る途中には北陸新幹線の陸橋と自動車道の陸橋が不似合に頭の上を横切っていた。

生家の近所

おかえりなさいとバス停に書いてある
 杉の木を植えた屋敷跡

収穫した玉ねぎは保存用





将来を考えるのは必要でも、瑕疵があるのでは…。



 「新国立競技場デザインコンペの最終選考候補作品」が、去年の11月にあった。こういう速さには目を見張る。急ぎでやらなければいけないことをさておいて、こういったことが、すすめられる。国のリーダーのかじ取りが許していることだ。原発の廃炉、被災地の復興に力を注ぐのが当たり前のことなのに。しかし新国立競技場の設計を巡ってその運営にも、さまざまな問題が介在しているらしい。

槇文彦氏(幕張メッセなど、モダニズム建築に携わる)
 我々は東京体育館を現在の場所につくるのに大変苦労しました。したがってこのコンペでは、あまり敷地も広くないところでその10倍の施設をつくることは完全なミスマッチだと直感的に感じました。それが不参加の第一の理由です。
 そしてまた、このコンペの規約書を見た時に、これは何だと思ったのです。そこにはいくつかの国際的な建築賞を貰った建築家には一種の特典が与えられています。なぜ著名建築家だけにか。日本発の国際コンペであったので、私のような疑問をもった建築家は世界中に多数いたのではないでしょうか。国際コンペに参加することは多くの建築家にとって夢であり、ロマンなのです。シドニー・オペラハウスもポンピドゥー・センターも、当時無名に近かった建築家たちがつくった20世紀建築の代表作です。我々はそのロマンの燈火を大事に守っていきたいと思います。