2019年3月31日日曜日

「上から目線」ではなく「下から目線」の優位性


 「上から目線」とよく言う。偉そうに上位者であるがごとき言辞を批判して使われる。もちろん「上位者」である場合もある。世の中は競争社会で人より上に立つべきだという思想が、教育を通じても植え付けられるのだから、その観念は身に沁みついていく。

 社会に出てからも出世しなければ「負け組」と、分断を揶揄する言葉さえ飛び交う。「人を差別してはいかん!」の言葉が今は死語か絶滅危惧種になってしまったのだろうか?と言うに応えて「優位者」が言う。古くは「努力したもの」だと…。しかしその結果、相当多数の「非優位者」が手に入れたものが、差別する側の貶めに合うことを享受することだったのか?

 思うのは、平等とか人権とか民主主義と言う理念を身につけるべきということを、認識するに足りていないということ。家族や近隣の人たちは「敵」であるはずはない。「助け合いのコミュニティ」を、あれこれの事情で後景にしてしまった社会が、安心、安全で快活な環境とは隔たりをもってしまったように思う。少なくとも江戸から昭和にかけての庶民の暮らしは、今よりは「仲間意識」に育まれた社会だった。

 ネットで中国や韓国などに対して排外的な言動をする人がいる。これも「上から目線」と同質の分断行為ではないか。日本がかつてアジアで起こした侵略戦争までさかのぼって照らせば、過去のアジア支配の歴史恋しというところだろう。まるで現為政者と同様の位置にいる。

 「上から目線」では昔の苦い時代に無反省のままになる。悪気がない場合もあるとは思うが、なるべく「下から目線」で社会を眺める方が、世の中を正確に見られることが多い。


~ネット右翼とは一般的に、保守的・愛国的な政治志向を持ち、中国や韓国などの近隣アジア諸国に対して排外的な言動を行う人を指すことが多かった。
回答を分析した結果、排外主義的な傾向がある層は全体の21・5%ネットで政治的議論をする層は20・2%「憲法9条改正に賛成」など政治的保守志向がある層は12・8%――だった。
三つの要素を全て満たす人は全体の1・7%。の要素は満たすものの、政治的な保守志向のない層は3・0%だった。永吉さんは前者をネット右翼、後者を「オンライン排外主義者」と分類した。~


2019年3月27日水曜日

下級管理職までちょっと変になってきた

 年金事務所長がツイッターで差別的な書き込みをしていたとのニュースに驚いた。国会議員を名指しで「国賊」「鬼畜」「非日本人」と書き込み、外国人に対しても差別的な投稿を繰り返した。年金機構が言うまでもなく「差別的な発言があってはならない」ということは公務員として当然なことで、憲法順守しなければならないなのに、まさに下級管理職(まで)「劣化」が起こっている。

 韓国の空港で職員に暴行した厚生省のキャリア官僚もまた、泥酔して帰国便搭乗前に空港職員に乱暴して拘束された。市の際「韓国が嫌いだ」と叫んだという。発覚した二日前にも泥酔して空港で止められてトラブルを起こしていた。
 この労働基準局賃金課長は
「内閣官房一億総活躍推進室・働き方改革実現推進室の内閣参事官として、安倍総理、加藤大臣を直接支えながら…」という立場にある。拘束後に「なぜか警察に拘束されています」「変な国です」とSNSに書き込んだというが、こんな事件はこれまで聞いたことがない。動画で出て明らかにならなければ、事件は葬られていたかもしれない。
2日前にも韓国で“トラブル” 厚労省キャリア課長







2019年3月25日月曜日

近所のサクラも開花宣言

 サクラが開花したとの話がニュースで報じられるので、近所にあるサクラはどんなものかと、本とスマホをもって家を出た。喫茶店で本を読むつもりで神田川沿いを歩き、桜が開花しているのを確かめた。早咲きのサクラや枝垂れ桜はすっかり花を落として葉桜に変身していたが、今咲いているものは毎年のように大きくなって見応えがある。満開のときもいいものだが、何分咲きか咲き始めたころが、初々しさを感じて好きだ。

 家を出るとき花粉症対策のマスクをしていったが、喫茶店では安心して外していたら通風のせいなのか、鼻水がでて3回も鼻をかんだ。読書も集中できなくなって立ち上がった。お隣の客もそんな様子だったから、もしかしたら店内にも花粉が舞っていたのかもしれない。








2019年3月22日金曜日

西新宿「成子坂下」の開発、江戸時代と今

 近くにいながら、「成子」のいわれを知らないままできた。今になって気になってきて、NETをあたってみた。神田川に向けて下っていったあたりだろうか、江戸の西端にあって旅人を相手にした半農半商の家がたくさんあったらしい。「鳴子」を使って音で人を寄せるようにしていた。「鳴子」はもともと農家が鳥を追い払うのに使っていたものだが、商家がどんどん増えていったため使われなくなり、地名も「鳴子」から「成子」へと変わってしまったとか。

 「この地域には名物として明治期まで鳴子ウリなるものがあった。 マクワウリという小さいウリで、原産地は美濃の国の真桑村(大垣市の北にある本巣市の中心地)。 徳川幕府は美濃の国真桑村から農民を呼び寄せ、府中の是政とここ鳴子に住まわせて瓜の栽培をさせた。 この瓜は根が浅く、土の乾燥に弱いので、神田川の流域で土地の湿り気の多いここは適地だった。 徳川幕府の土木工事は凄いものだが、農業に対する見地も大したものがある。」

=とは「ぼのぼのぶろぐ」から引用させていただいたが、江戸時代の開発は庶民の生活環境改善への配慮が、よく取り組まれていたと言える。現在の大規模開発で得られるものとは何だろうか。庶民の目から見えるものが思いつかない。いくつもの商店が消えている。それだけは確かだ。

鳴子
 よさこい踊りで使っているのも鳴子だが、よさこい踊りは、戦後阿波踊りに対抗する形で始まったとのことで、使ったいきさつはわからない。












2019年3月21日木曜日

10階建てのビルも飲み込まれることになるのか

 近所の「マンション建設」については以前ブログに書いた。歩き回るどこにでも、ビル建設現場に遭遇する。幹線道路ばかりか、やっと車がすれ違う道路の住宅地域にもその動きがあるのは、今まで体験したことがない。

 西新宿の成子坂下、淀橋の一角にも再開発の工事現場があった。ここには10階建てのビルが何棟かあるが、すでに空き家になっているところもある。ビルを解体して…ということになるのだろう。













2019年3月19日火曜日

50銭2枚は1円ならず、お宝には縁のない生活


 使用済みの切手は、なにか価値があるかのような気がしていたが、それも今の世の中では価値はほとんどないらしい。未使用のものであればともかく、たとえ発行当時の文化を留めていようと、今の世では価値はないものらしい。

 趣味は「蒐集」などとかつては言ったが、しょせん金には縁のないものの慰み事だった。「将来の夢」に意義を見出していただけのこと。記念硬貨もお宝かと思っていたらそんなことは全くない。

 記念硬貨は500円玉などでいろいろなものが発行されているが、商品としての価値は特別高額なものでなければ、銀行で取り換えるだけのことだ。銀行に「両替」に行ったら、両替ではなく通帳に振り込むことを要求された。

 そのうちに10銭と50銭紙幣があったが、現在は流通していないから両替できないという。502枚なら1円にならないのかな?なんて急に惜しく感じてきた。でも、「大日本帝国政府紙幣」など使えない過去のものである方がいいには違いない。




2019年3月17日日曜日

咲いたサクラとまだ咲かぬサクラ


 神田川の淵にある2本のサクラは3月上旬に開花した。その頃は他の地の開花の様子は、河津のサクラ以外はあまり聞こえていない。どんな名の種類のサクラかなのかは、ほんとうはわからなくているが、元々桜の種類は10種くらいとのことで、交配で300種はあるというから、調べてみるのは大変そう。

 咲いたことで春を迎えたという気分を得られるので、種別は専門家にお任せすることに。近所の神田川のサクラは、もう一カ所3月末4月初め前後に咲くところがある。この桜の木は34本あって大きく育っているで、一杯に開くと見応えがある。
3月17日神田川


3月16日八王子、高尾

 3月7日近所の公園 雨でした

 2月25日神田川


2月25日山手通り


2月21日神田川

 3月16日八王子、高尾の梅



2019年3月15日金曜日

有害な重金属が高濃度で「衛生環境良好」(東京都)といえる異常

 豊洲市場で、アンチモン、カドミウムの多量に発生している。アンチモンは一般道比べて8.1倍、カドミウムは4.8倍あると分析された。築地であれば路盤は固い石材で造られていて問題はなかった。今は水を流すことを制限されて黒い粉塵(有害物質)もたまっていくことになる。

 アンチモンは難燃剤としてゴム、プラスチックなどに混ぜられてとされる。古代は化粧品として使われた。アイシャドーにも使われたが、毒性がある故今は止めているとのこと。 

 タイヤには「顔料」として使われているという説明もある。カドミウムの方は路盤材からでたものとしているが、一般的には規制がかかっているから、出てくるはずはないと思うが、なんらかの産業廃棄物「スラグ」からのものだろうか。規制がされていても、「蓄積されれば」という隙間があるということだ。

 転じてみると、タイヤ粉塵や路盤剤の摩耗したものは、高速道路や専用道路のトンネルでは相当まき散らされている。しかしついぞ問題にしたのは見たことがない。高速道路両側に広がる田畑にも多量に舞っているだろうが、農作物への影響は「衛生環境良好」と言えるのだろうか。

豊洲市場の粉じんから高濃度の重金属 タイヤ・路面がすり減り滞留か

2019年3月11日月曜日

ホテルの写真と「♬高原列車は行くよ♪」(歌 岡本敦郎)の近しい関係





 写真は五色沼ツアーに参加したとき、中ノ沢温泉のホテルに泊まった時に展示されていたもの。川桁駅(磐越西線)の様子と説明されていた。いい写真なのでスマホで撮っておいたものだったが、どうしてこんなに賑わいのある列車だったのか気になって調べてみた。

 かつて硫黄鉱山があった中ノ沢温泉近くの沼尻まで、日本硫黄沼尻鉄道(磐梯急行電鉄=沼尻鉄道 大正2年開業 昭和44年廃止)が敷設されていた。この鉄道は磐越西線の川桁駅で接続して、主には硫黄を積み出す貨物が走っていた。写真にある貨車に積んでいるものが硫黄らしい。

 沼尻鉱山(安達太良山西斜面)にはひところ2000人の労働者がいたらしい。江戸時代には会津藩と二本松藩が権利を争ったという。硫黄は朝鮮戦争時には「黄色いダイヤ」と呼ばれるほどだったが、「戦争特需」だったことを思わせる。それ以降は石油製品にとってかわられていった。

 ところで岡本敦郎が歌った「高原列車は行く」はこの磐梯急行電鉄の情景を謳ったものだとのことで、作詞の丘灯至夫、作曲の古関裕而は共に福島県出身。昭和27年に発表されたこの歌、知らない人がいないくらい流行したが、このとき朝鮮半島で戦争をしていたのだから、なんという能天気なことだったかと思わないでもない。


2019年3月9日土曜日

築地跡地にカジノを含むリゾート施設を造るネライ

 「カジノを推進しても、熱が冷めれば、最終的にそれを支えるのは地域にいるお年寄りと依存症の人達。でも、お年寄りは、年金は十分もらえるのか? 近い未来の75歳支給、それまで現役時代の半分の収入で身を粉にして働き、医療費の負担増、カジノを楽しむ余裕もない。」との話がブログ=
アメリカのカジノ事情 日本とは違うメンタリティー 
に書かれていた。分かり易くてなるほどと納得した。

 それで先日の確定申告の際に国民健康保険料が昨年より4万円も増えていたのを思い出した。わが年代でさえ、年金資金が投資に投入され、危ない目に合っているし、これから先の受給者がどれだけの受取額になるのか。10月から消費税増税と、余生の懐は心配ばかり増えていく。

 そんなことを考えると、悠長にカジノで楽しむなどということはとうてい考えられない。2年前にアメリカのカジノ企業から、日本にラスベガス級のカジノ都市を作りたいとの要望があった。JN幹事長が面会しているとか。来年の都知事選挙を現職でいくとの発言は、なにかカジノ施設づくりへの布石みたいに思える。





2019年3月8日金曜日

「築地文化」を亡きモノにして、跡地開発は一般会計からも


 「築地ブランドは生かす」「築地に戻りたい人がいれば復帰のお手伝いをする」などといっていたものが、ついに全く別物の開発計画として姿を見せた。知事の公約違反なのかどうかみたいな論調が、ようやくテレビの報道にも登場した。
 
一時期の集中豪雨みたいの報道から、そんなことはなかったような扱いになり、また現れてきた。「後追い」をすることがほとんどなくて、大きな動きを「経て」から話題として再登場するのでは、「国民は冷めやすい」に手を貸しているようなものだ。

 交流サイトでは盛んに豊洲、築地の情報が常時投稿されている。豊洲では、相変わらずの使い勝手の悪さや、ターレトラックによる「事故死」まで起きているのに、テレビ報道で取り上げたところはあったのか。シアン、ヒ素などの有害物質が出続けているのに、問題ないということになってしまっていいのか。

 築地市場後は、結局不動産開発業者への「商品」として提供され、全国で展開されている再開発事業と同様の図式が展開される。しかも「市場会計を一般会計に売却」するという。

 将来赤字が見込まれる市場会計のためとのことだが、築地市場の跡地の開発にも一般会計から「使用できるように」するということだ。2001年(平成13年)に「臨海副都心事業会計」を、黒字の「埋立事業会計」「羽田沖埋立事業会計」と統合して赤字消しをした。それと同じような赤字隠しをするという知恵だ。都の官僚たちの。



2019年3月6日水曜日

入江ゼミ写真展(4/9~4/14)のパンフレット造り

 写真展のパンフレットの文言を修正する作業は、毎回大事な仕事になっている。ブログを書いているときは、字句の間違いやコロガシなど、推敲する作業を複数回する。時々正しくない文言を書いても、気が付かず投稿してしまったことは何回もある。誤ったままの文章投稿に、後になって気が付いて背筋が寒くなる。

 写真展のパンフレットの言葉の誤りは論外で、いわば「公式文書」とも言えるものだから、キチンと表現されなくてはならない。自力でそれぞれが自分の写真に、言葉を付加して表現していく。そこには思いも込めるし、写真を見た人に撮影情報を提供して、味わいをより深くしてもらえればとの目的で作業をする。

 専門家であれば、すらすらと定型的にキャプションが造れるのかもしれないが、自分たちで練り上げるところに撮った写真への表現の一部として飾りつける。子供に新しい服を着せて七五三に行くようなものとでも言ったらいいのか。

 何かといえば人より優れなくてはならぬと、けしかける社会の有り様から解き放たれて、少々動きの鈍くなった頭脳に刺激を加えながら、自分なりの写真を押出していく。これは、様々なステップを乗り越えた、「楽しい境地」になる。

 楽しさを感じないようであれば、まだ枝葉の部分に引っかかっていることなのだと、思いながらこの工程を完成させる。パンフレットのまとめ役の人は5版を重ねた。大変な作業だ。


2019年3月5日火曜日

誕生祝い


 祝いをもらうなんて、いくつになってもうれしいことだ。娘からは間違いなくLINEで言葉が届く。Facebookでも誕生日は友人に通知をするので、祝いの言葉が届く。始めの頃はこそばゆくてまいったが、少しは慣れてきた。

 いままで自分の誕生日などはあまり感激も関心もなく過ごしてきた。ほかにやることがあったし、祝ってもないになるのかという気分が先だった。でももう射程距離もそう長いわけでないだろうから、それまで味わっておくのもいいかなという気になってきた。

LINE

ー娘
「誕生日おめでとさ~ん😉いくつになっちゃった⁉️
ー返事
「ありがとさん。7※歳になっちゃったー。「もういくつ寝ると―お葬式(^^♪」なんて。
ー娘
「ナハハハ、何事も明るく元気にが一番ね🎵

夕食後、ショートケーキが用意してあった。