2019年4月28日日曜日

「いくつになったら運転免許を返納するか」だけでは事故はなくせない

 常識的というモノサシでは、己の危険さを自覚して適当なときに返納というのがフツーの判断にされる。高齢社会に起こるべきこととわかってもいたはずが、最近の交通事故が現実に問題の解決を迫っている。

 認知症検査の年齢に到達して検査を受けて、不適とされても、講習を受ければ更新ができるという制度も、やむなく運転をせざるを得ない環境の人には恵みにはなっても、起きてくる自動車事故、事象からは効用とは言い切れない面を持っている。

 「就職有利」「花嫁道具」といわば煽り立て、車を持つことを夢にしてきた社会の必然として起きたことだ。車を利用してきた利便さを否定できないが、車使用の利便さにどっぷりつかってきた過去を、いま顧みることは大切なことと思う。

 「車がなければ」生活が成り立たないとまで追い込まれている高齢者に、「車社会」からの離脱対策を早急にとらなくてはならないと思う。「赤字路線」としてバスでもローカル列車でも廃止にしてきたこともその要因として見なくてはならないことではないか。

 北海道でも新幹線建設は具体的に促進させるが、在来線は廃止にしてしまうというこれまでの手法を続けるらしいが、それではやはり「車だより」社会から抜け出すことができない。高齢化社会が来ることをわかっていながら、その対策が取られないことでは、見識がないことになる。運転免許の自主返納をいつにするのかの議論では、解決にならない。

2019年4月23日火曜日

ヤマメの姿追いつつ発眼卵カゴ回収に

 年中行事で、いまごろはヤマメの発眼卵を埋設した渓流に入ってカゴを回収する。いつも行っているわけではないのだが、この時期に山とその渓流に分け入ると、とても気持ちがよく、得した気持ちになる。東京都で自然の懐に入ると言うことが信じられないとよく思う。

 東京のイメージ…高層ビル群や都市改造がこれでもかというほど喧騒をおこしている街の様子からは、まったく想像できないということ。だからの良さといえることだろう。

 ヤマメ発眼卵のカゴを渓流に埋めてから、数か月の間の渓流の変化、雨が多く降って砂利を流した跡。切り倒しっぱなしの杉の木に、薄緑色の苔がとりついて今頃の季節を構成する。微風に乗って山桜だろうか、花びらが舞い渓流の岩に散らばって見える。

 渓流釣りの時のように、抜き足差し足で流れを遡るとこれはと思うプールに、魚の影が見える。20センチ以上はある。もう35年も埋設放流を続けていての成果と言っていいだろう。大きいものをいくつも視認できるようになったのは最近だ。渓流の状況によって違いはあるが、カゴの格子から飛び出した稚魚が集団で泳いでいる姿は感動的だ。











2019年4月20日土曜日

「共生」写真展を終えて

 写真展が終わった。結構必死な展示会終了までの時間だった。写真を撮ったのは自分の責任だったが、それを写真展で「晒す」ところまでいくのは、自力だけでは賄えない。晒すことに経験豊かな人なら、あまりストレスもないのかもしれないが、そうでなくても晒すことができたのは、ゼミの先生の力添えだった。

 写真展にきて感想のアンケートに記述をしてくれた人はたくさんあった。そこからは、全体に感動したとの記述を含めて、賛同の言葉が多くあった。そこは展示会までの過程で、自分でも感じていたことなので裏打ちされた。晒すことに至った経過が報われた思いだ。さらに「共生」のテーマをとらえた写真だったとの感想が、多かったのがこれまでを超えた成果だったように思う。





2019年4月15日月曜日

最近のさだまらない天気


 一日の気温の変化が大きいし、日ごとの変動も激しい。のどかな春などというヒマはない。近頃は天気予報があんまり微細にわたっているせいで、ちょっと時間がたつと予想が変わっていくということのようだ。服装をどうするか判断をしなければならないときには、天気予想を何度も見るようになる。

 こんな具合に変動が起きるのは、なにか原因がありそうなのに、寒気の流れの云々を説明するだけでさっぱりわからない。国連の世界気象機関が海水温の上昇が史上最高で、気候変動の影響が「ますます危険なレベル」というわりには、ひどくのんびりした情報提供になっている。

 北極海の海氷の面積が1年を通して平均規模を大きく下回って、12月は観測史上最少だったと報告した。このところの定まらない気温変動は、そういったことの影響もあるのではないかと疑いが起きてくる。これまでの豪雨による災害との関連性もないということはできないだろう。





2019年4月12日金曜日

陽光で輝きが増す桜


 サクラ、サクラと連日の報道でついついこちらも浮足立つ。ちょうど花見に行こうと声がかかった2日、市ヶ谷に出かけた。待ち合わせは市ヶ谷駅の近くだったが、早めに家を出て四谷で下車して、土手のうえの遊歩道を歩くことにした。

 曇ったり雨模様だったり、晴れたりと天候が定まらない陽気だったが、うまい具合に申し分のない青空がサクラを浮き立たしていた。花は満開前で生気があって、みずみずしさを醸し出している。

 うまい具合に黄色の花も咲いて、色合いも写真を撮るにはなかなか良い感じの外堀公園から歩き始めた。花見の宴を準備する場所取りが目立ったが、休日でないのが幸いで花見を楽しむ人の数は多くなかった。












2019年4月9日火曜日

善福寺川でコサギがエビをゲット


 コサギが石畳の隙間をしきりに見て歩いている。サギだとじっとしていて水中で動くものを見つけると、くちばしと首を一直線にして刺すような格好でくちばしで挟んで捕まえる。コサギの場合は、抜き足差し足という恰好で、探し回る。時には片足で深みをかき回して、餌を追い出すこともある。

 なにを捕まえようとしているのか、こちらも抜き足差し足でなるべくコサギに近づく。人がいることはわかっているのだろうが、人は悪さをしないと思っているのか、餌を捕まえる方が優先しているのか。じっとして、カメラで狙っている分には気にしていないようだ。

 捕まえたのはエビガニだった。見る限りでは赤色をしていないから日本ザリガニのようだ。小魚もいる気がするのだけれども見たことがない。大きい鯉と亀を見ることはあった。川に生き物が見えると、自然が生きているなと実感できていい。












2019年4月7日日曜日

善福寺公園探索のつづき


 善福寺公園に来たのは二回目だが、前回きたのは相当前だった。その時は「宴」が目的だったので、どういう景色であったのかはあまり覚えていない。杉並区に小学校のころは住んでいたことがあるから、もしかしたら来ていたかもしれない。今時のカラフルで整備された公園でないのがいい。原風景がイメージされて、自然の懐にいる気になれる。手を加えないでずっとこの空間が残ることを祈りたい。












2019年4月6日土曜日

武蔵野の面影残る善福寺緑地公園


 ワイルドなつまり自然味が残るというところは、東京では探さなければならない。善福寺川を遡って環状七号線を超えると、自然が残っている風情が少しだけ見えてくる。

 鴨なら西新宿に近いところ(それより下流の神田川にもいるかもしれないが)でも、餌を探して頭を水中に突っ込み、尻を空に向けている面白い恰好が見えるが、コサギが餌を追いかけているのはこのあたりから上流のようだ。

 荻窪駅からのアクセスでずいぶん歩いた気分だったが、川沿いには桜の木が少なかった。歩き続けて漸く善福寺公園にたどり着いてみると、急ににぎやか花見の風景が飛び込んできた。池の周りにいくつものグループが陣取って楽しんでいた。どちらかと言うと高齢者が目立たなくて、子供連れの若いお母さんたちが目についた。池は手を加えられていないほど、古さと自然を感じて、井の頭公園などとは一味違った趣だった。













2019年4月3日水曜日

やっぱり陽が差した方がいい善福寺川のサクラ

 ブログのアップは前後してしまったが、31日に善福寺川を遡って善福寺公園まで行こうかと、午後からでかけ荻窪駅から歩き始めた。善福寺川は前回のときはまだ荻窪までにも届かないところで終えてしまったので、今回は公園を終点にするつもりででかけた。

 残念なことに途中は桜の木が川沿いにはあまりなかった。そのぶんだけ歩くことに専念できた。遊歩道がずっと続いていて、公園の直前で一部途切れるものの、少しワイルド加減の川を眺めながら歩いた