2014年5月20日火曜日

疑わしきことは解明してのち事実になる

 パソコンの遠隔操作ウイルス事件の片山氏が、「連絡が取れなくなってしまった」ことで、真犯人であることの疑いが濃くなったと見るべきなのだろうか。
 携帯メールからの転送設定で、時間をずらして真犯人のメールを装ったと、警察が発表している。片山氏が使った携帯電話を埋めたところから、掘り出したらその記録も残っていたし、DNA鑑定して本人と確認できたという。随分とはっきりした状況が浮かび上がった。まるでテレビドラマを見ているような錯覚を受ける。推理小説のように「保釈中の被告人」をつけまわして、泳がせて証拠を固めるということをやっているわけだ。

 できすぎているような出来事だと思うのは、冤罪事件の場合は「新証拠」の活躍がでてくる。だから違うというふうに短絡的には言えないことも確かではあるが。少なくとも、8回の公判が持たれて裁判をしているのに、犯人と特定する証拠に欠けていたとみると、今回の事態は起死回生の証拠となる。これだけの「明確な証拠」をつかんだ上に、これまで何回もやったであろう家宅捜索をまたやった。シロウト考えだが、そんなに持ってきたいものがあるのかという疑問も感じる。

 16日に見た「金スマ 実録 チカン冤罪事件」の冤罪事件も、3年かかって疑いを晴らすという記録だった。「仕立て上げ、でっち上げ」という図式がまかり通ってはいけない。国民救援会が支援していたということも組み込んでいたが、事件に対するメディアの姿勢が大きい。メディアを使っての警察の戦略も当然考慮されていることを考えてもらいたい。


 今回の事件が、冤罪であるのかどうかの断定はできないことではあっても、戦争をやれる国にという流れが造られていることを考えると、疑わしきは犯人というやり方には注視しなくてはいけないことだ。特定秘密保護法発動による「治安維持」で、犯人に仕立てられることが日常茶飯事になっては、いつか来た道に戻ってしまう。