2020年11月28日土曜日

駿河湾のサクラエビが今も獲れず、秋田のハタハタも不漁

駿河湾のサクラエビ漁は春と秋。秋は例年111日に解禁されるが、サクラエビ漁は2018年の春から著しい不漁で、漁獲の自主規制は休漁が続いている状態。漁の解禁日を前にして静岡県の水産・海洋技術研究所の事前調査があり、その結果は資源量の回復は見られず、自主規制の成果は見られなかった。

 「専門家による研究会」によると、現時点で原因として考えられる有力なものは「黒潮大蛇行、漁師らの取り過ぎ、水温躍層の発達、富士川水系の濁り」の4つだとされている。研究会は、海洋調査研究への協力を漁協に呼び掛け、定置網への水温や塩分、流速、濁度を測れる器材の設置、エサのプランクトンや海の濁度の定期的な測定等の協力を、行うことにしているとのこと。

 ―秋田のハタハタ不漁 漁獲量は前年の1割

 秋田のハタハタの沖合底引き漁の漁獲量が、今年は前年の1割強にとどまることが分かった。県水産振興センターによると、17日現在の漁獲量は12トンで前年同期の94トンから激減。昨年は県北部、男鹿市戸賀沖~男鹿沖に底引き漁の漁場が形成されたが、今年は規模が小さく、特に例年漁獲量が多い戸賀沖ではハタハタが確認できていないという事態。

 底引き漁の不振は、ハタハタが生息する水深約250メートルの水温が例年に比べ高く、接岸が遅れていると秋田県が指摘、「経験のない現象で、今後の漁獲量の見通しを予想するのは難しい」と話している。ハタハタ漁は9月の解禁に合わせ、まず沖合で底引き漁が始まる。刺し網、定置網による主力の季節ハタハタ漁は、魚群が接岸する11月下旬から12月末にかけて本格化する。来年以降も続けられるよう、漁そのものの在り方を考える時期に来ている、との判断も言われている。 

  駿河湾も秋田も海水温上昇で影響を受けていることを、無視できないところまできている。「乱獲」は他の魚でも起きているといわれるが、漁獲量の管理を効果的にやることや、資源の周期的な変動を考慮しても、栽培漁業が漁獲量の約半分にもなっている現状では、日本近海の魚も、もはや持続的な…という範疇を、超えているという気がしてならない。 

2020年11月25日水曜日

都市にも自然を取り戻したい

 気象庁が大手町から虎ノ門の新庁舎に引っ越しする。高い免震性能で、地上1階と地下1階の間に積層ゴムを挟み込み、横揺れを吸収する構造になっている。自然災害への対応力を高めようと組織改編を行い、気象の予測技術を開発する部署が集約された「情報基盤部」を新設した一方、地震の予知に取り組んできた「地震予知情報課」を廃止するとのこと。

 ニュースの範囲で具体的な組織の変更を、うかがい知ることができないが、先日報道された気象庁が「動植物の観測を縮小する」との記事がちょっと気になった。NHKのニュースだったが、動物の初鳴きや植物の開花など70年も続けてきた動植物の観測のおよそ9割をことしいっぱいで廃止するとの記事だった。気象台周辺の都市化などが進んで観測が難しくなったためで、「さくら」や「かえで」などは引き続き観測が続けられるとコメントをしている。

 同記事では、例えば「とのさまがえる」は、観測が開始された昭和28年には全国38か所で確認されていが、去年は5か所にとどまって…と見つけることの困難さを理由にあげている。そこで951種の観測を廃止するということにしたとのことだ。例の行政の効率化ということのかもしれないが、都市化によって失われてしまった環境・自然を「なくなってしまった」ということで始末してよいのだろうか疑問に思う。

 逆から考えれば、なにがしかの対策で、例えば公園を増やすとか緑地を広げるとかの政策が実施されたとしたら、動植物は回帰するのでは?

 SDGs=「持続的な発展目標」にもそんな視点はおよんでいないが、あまりにも急激な都市変容は日本が外国に比べてそれだけ異様なのかもしれない。SDGsの目標の一つとされる「急速な都市化がもたらす課題は、都市の繁栄と成長を継続しながら、資源利用を改善し、汚染と貧困を削減できる方法で克服できます。」よりはもっとダイナミックな対策が必要なのではないかと思う。

 高層ビルの電源が豪雨洪水で破壊されるとか、道路のために「大深度掘削合法化」で掘ったがための住宅地地盤沈下などをみるにつけ、やりすぎ感が否めない。環境や自然に意思はないから「報い」とはいえないが、人類がしかけていることに「従順」に存在できるわけではない。

 SDGs目標11:   住み続けられるまちづくりを

1110NHKニュース


2020年11月20日金曜日

ハマグリは文化を綴った

 九十九里で多量に打ち上げられたハマグリが、地震の前触れかという説の報道がされている。これも海水温上昇などの気候変動の影響かと推測してしまうが、本当の理由は、千葉の水産総合研究センターが、これから調査をすることになっているとのこと。

 しかし、東京湾では絶滅危惧種、相模湾でも漁でとれたということはないとされるハマグリが、大量に生息しているとの状況を聞いて、ちょっと嬉しい気もしてくる。ハマグリの漁獲量では99%が輸入というところまで、生息環境が変容をせまられてしまった海の環境は、もはや東京湾の潮干狩りではシナハマグリをばら撒いて、ようやく体裁を保っているだけだ。

 まだ浅瀬があったころの浜辺で、海水に足だけ浸って足先で砂をほじくって、ハマグリを獲ったことを思い出す。もう豊饒の海という言葉も絶滅してしまうのだろうか。つるつるした貝の表面は上品で、味はもちろんとてもいい。殻を捨ててしまうのがもったいないほどのものだった。

 平安時代にはハマグリを使った遊びがあったという。ハマグリの殻がしっかりしているので、元の殻同士でないと合わないことから、「貝合わせ」の遊びがカルタの原型になったのだといわれる。合わないことをもって、「貝合わせ」でハマグリの殻が上手く合わずしっくりいかない様子を「ぐりはま」(つまり「はまぐり」をひっくり返した)と呼んでいた。

 江戸時代初期から使われていた漢字辞書「大言海」には、「蛤」の文字をひっくり返した文字を使っていたとの記録があるとか。現在の「グレる」との言葉もこのグリハマからきているらしい。

広辞苑にも「ぐりはま」が載っていた。

―(蛤の倒語)物事の食い違うこと。物事の逆になること。ぐれはま。―

「ぐれはま」…ズレてるまったくずれてる、なんだこの国の政府のこと! 

2020年11月17日火曜日

新宿御苑に秋はもうちょっとでも雰囲気あり

 あんまり気にしない大雑把な人間でも、連日のように「自己責任」ばかりが強調されると、この折出かけるのもちょっと逡巡がある。とはいえ籠りっぱなしでは身体に良くない。どうするかは、むろん自己責任でやる以外はない。影響を考えすぎると精神状態にいいことはない。

 それなりの人格者(??(*^^*))としては、人に当たり散らすという短兵急なことをするわけにもいかない。ちょうど新宿三丁目で写真展があるので出かけることにした10月24日。

 ついでに新宿御苑で秋の装いでも撮れればなと廻ってみた。この時期の人出がどんなものかは知らなかったが、わさわさと人がいるというほどのことはなくて、わりとさっぱり目の、写真撮り出回るにはちょうど良いかげんの人波のようだった。










2020年11月11日水曜日

山女魚の発がん卵埋設に行く

 参加メンバーは、高齢化して渓流に入る山道も、気をつけて行かなくてはいけない。充分注意をするようにと、念おしの言葉が挨拶の中で強調される。

 前年渓流に埋めたカゴは、目印のビニール紐がつけられ、掲示板も木に括り付けてある。その場所に行きついて回収を試みても、渓相が変わっていてさっぱり見つからない。少し流れを下ったところで、カゴに結びつけてあった紐がようやくみつかった。紐は刷りきれて、ボロボロの状態だ。重なった石の間に食い込んでいる。

 カゴの方は大きい石の下敷きなったのか、みつからない。近くの木の根っこの部分が1メートルも露出しているから、おそらく増水した流れに飛ばされたようになったのだろう。今は水量が少なくて、今回の放流場所を定めるのが難儀だったが、ほぼ同様の場所を選んで、慎重に発がん卵カゴを流れに沈めた。

 2ヶ所に無事埋めて、林道に上って戻りながら崩落した箇所を複数眺めた。高いところから渓流を除くと、時折見える型の良いヤマメが気配を察して急いで逃げる姿が見える。その姿を気にしながら坂を下るうちに車止め着いた。事前の雨の予報は当たることはなくて、終了時にはすっかり晴れていた。10日後には孵るだろうと「東京都・魚センター」の担当者の話だった。









2020年11月9日月曜日

月と日の出を窓から撮るぜいたく三昧

 久しぶりに海を眺めようと思っただけのことだったのに、望外の撮影対象に恵まれた。犬も歩けば棒に当たるで、決して狙ったわけでないイワキのホテル宿泊だった。なにせ移動中はあちこち雨がちらつき、良くても曇りがちの天気だったのに、ホテル到着時にはすばらしい晴れに変わって、夕日から始まる「競演」を楽しむことができた。

 朝陽、夕陽を狙って撮るということはほとんどなかったので、撮影方法を考えながら一時夢中になった。この手の写真は、やっぱり「専門家」が素敵な写真撮影をしているだろうから、比べてどうこうするわけにもいかない。狙って撮るという場所としてはいいところだと思えた。

 窓から撮る「太陽と月」はぜいたくの極みというか、「ぐうたら撮影」というほうが正解かも。ただし、「gotoキャン」でないとするとこのホテル料金は懐にちょっと響く。

















 

2020年11月7日土曜日

7月豪雨の爪痕か その2

 10月の山形「墓参り」は、紅葉の楽しみが加わる。新庄の墓に参ってから向かった肘折温泉。途中の紅葉は素晴らしいだろうなと思っていたのに、それなりの程度と見えたのは、何回も通ってきたせいもある。肘折温泉はすぐ脇を流れ下る銅山川の氾濫で、護岸が壊されていて、修復している橋は工事中。ふもとに下る片方の道が使えず、温泉街への出入りにも障害がありそうだ。

 温泉旅館がみな営業をしている様子だったのはなによりだった。宿泊予約はいつもの旅館が一杯で、ほかの旅館を利用することになった。初めての宿だったが、お人よし老夫婦のもてなしぶりは、さすがわが田舎という気分になった。食事中壁を隔てたグループの山形弁にも和ませてもらって、豪華さでは味わえない「ひなびた湯治」の雰囲気に浸った。そうか、その気分を写真に撮らなければいけなかったなと後で反省した。

 翌日山形県内を南下する中、カーナビには通行止め表示がたくさんある。集中豪雨の被害は東京で報道されるだけの認識ではすまない。全国ではどのくらいの被害が出ているのか、山形県内の被害状況を調べてみたら9月末で25件あった。温暖化対策を急がないと大変なことになっていくと実感した。









 





2020年11月5日木曜日

7月豪雨の爪痕か その1

  鹿沢の旅館を出て小諸方面に抜ける国道を走り、湯の丸池の平湿原に行ってみる。時期もこのときには期待するのは無理だったようで、何を見るでもなく高い位置からの上田方面を見下ろしただけのことで、盛りを過ぎて秋へと変わっていく草木の姿を見ただけだった。二泊目の旅館はまた戻って妻恋村の北まで向かいうことになっていた。その往復の道路は、山崩れと河川の決壊がすさまじいところがあった。なぜか工事している様子はなくて、近づいてみることができた。おそらく7月の豪雨によるものだろう。池の平湿原には一滴の水も見えなかったが、集中豪雨のすさまじさゆえだったのかもしれない。












2020年11月3日火曜日

撮影目標は妻恋のキャベツ畑

 妻恋村のキャベツ畑を撮ろうかと出かけた9月。天気が定まらないなかでも車で行く気楽さでわりあい軽い気分な旅だった。古い記憶で、東京都とキャベツの供給の「販売協定(?)」があった。安定供給するための協定だったと思う。今NETで調べても記録が出てこない。もう半世紀も前のことだったからもう忘れ去られたのだろうか。そして確かキャベツ畑の間の小川でイワナが釣れるという情報もあった。それだけのことだったけれど…。行ってみたいところになっていた。

 あいにくの雨模様だったから一日目はじっくりとるというわけにはいかなかった。雨模様であっても、写真のバリエーションになるから、翌日の晴れと合わせてなんとか纏まった。キャベツ畑の遠景は想像した以上に良かった。