2012年1月16日月曜日

「君が代」は過去もの


 官房長官が記者会見をするときに壇上に向い、日の丸の旗にお辞儀する。その姿を見るたび、あの人方は日の丸には頭をさげるが、国民には頭を下げていないなと思う。

 福島原発問題に関しての記者会見では特にそう思えた。自分が生まれたところを嫌いな人はいない。ずっとそこで暮らしたいとおもっているのが圧倒的だろう。

 それは震災で一層はっきりした。言い換えればそれが国に対する愛情というものではないのか。

 なのに、愛する相手が縁遠いわけ。わが近所の商店街はやっぱり寂れる一方。駅近くは商業化策に誘導されて、小売り商店は成り立たず、飲食店が入れ替わり、コンビニが幅を利かす。

 住宅街といえば、昔からの家が減り、歯が抜けた後のように黄色のカラーの「時間駐車場」が」増え続ける。身の回りがこれ。これは政治のせい。

 政治の処遇といえば、まるで社会保障のやりすぎで財政赤字になったと言わんばかりのやりかた。

 ユーロの信用が下がったと「格付け会社」が国の順番を発表しているが、日本はスペイン、中国と並んでいる。だいたい国債の信用で云々などということは、「大金」を持って投機に走っている連中の心配ではないのか。

 賃金をつましく得たり、年金でくらしている向きには直接関係がない。マネーゲームに左右される政治など願い下げ。こういう国を「愛せ」、直立して「君が代」を歌えというわけだ。

 最高裁の判決は「減給、停職は具体的事情がなければ許されない」とした。大阪でも不起立3回で免職という条例を決めようとしている。東京といい大阪といい、時代遅れの「過去もの」に縋っている政治は似ている。