2018年7月6日金曜日

岩手山麓の仙人逝く

 移り住んで15年、彷徨の終焉がきた。温泉が出ぬかと採掘の手出し、山ブドウの養殖はと夢を追いつつ、岩手山麓に岩魚つりで遊んだ親父がついに身罷った。

 90歳を過ぎてからも、暖炉用の薪割りをものともせず、大雪にもひるむことなくシャベルをふるった元気さは、いつまで続くのかと周りの人たちは一様に驚いていた。今になって思えば、転んでも転ばなかったフリをする自尊心の高さも、これまでの糧になったのかもしれない。

 それでも着々と近づく終焉のときを想定して、自分の写真を撮れと言い出したことが思い起こされる。仙人とはいえ聖人にはなりきれなかったのは、今は過去の場面としてしまっておくことになるだろう。残された写真を整理しながら、親戚への思いがあったことがわかった。それは十分伝わらないこともあったやもしれない。

 その先どこへ行くのか、海への散骨を言いだし「‐家」の墓にという話にも答えずのまま、旅立ちをしてしまった。後は頼むということなのだろう。そう解釈するしかない。家族と言う単位の姿には恵まれなかったが、それだからこその山麓暮らしへの入れ込みだったように思う。

 好きだった釣りは一番の思い入れがあった。これを通じて甥姪とその子供たちへのかかわりが、温められていった。それは救いだった。80歳を過ぎてからもナンプレに挑戦し、数えきれないほどのジグゾーパズルを完成させ、家じゅう隙間のないくらい掲げた。ここに生きてきたと思うに十二分な足跡だった。