2019年11月28日木曜日

秋の味わい、高尾山の場合は


 秋の紅葉を撮りたいと思っているときに、今年の場合は狙いを定めてという具合にはならなかった。それでもそれなりにと、高尾山に登った時に撮った写真を眺めていたら、その雰囲気が映っていた。登る道に突き出す不思議な格好の木の根や、神社に参る人波と少し斜め指す光が、秋のコントラストを醸し出している気がした。










2019年11月24日日曜日

上に飛びぬける10階建て

 環状7号線の内側は、住宅建築規制を緩和して、高いビルを建てることができるようになった。不動産業界の事業拡大のため、かつての住宅専用地域内でも、相当な緩和を与えられた。近所はここ何年かの間はせいぜい3階建ての住宅が建ちすすんだ。20年程度の間に新しい住宅がとってかわった。

 その「低層」なかに突如10階建てのマンションが立ち上がった。ここばかりでない高層のマンションがどこの道筋でも建築中だ。近所のウォーキングではいたるところが工事中だ。人口が増え、住民税の収入も上がるのかもしれない。しかし、駅の混雑、上下水道や電気ガス供給に圧力になることだろう。

 なにより地域のコミュニティが、今でさえ希薄になりがちなのに、どういうことになるのだろう。ゴミ集積時のトラブルが目に浮かぶようだ。不動産屋が家を売らないかとしきりにチラシを入れているが、土地を確保してこういった開発をしているわけだ。

 東京一極集中への批判は、今は声が聞こえないくらいだ。年数が経つうち3階建ての住宅の「地上げ」などということになるのだろうか。奈良公園の木々を次々と伐採して、富裕層を対象にした高級リゾートホテル建設が2020年開業めざして、工事がすすめられているとのことだが、京都の下賀茂神社内に高級レジデンス…との宣伝もでてきた。もう日本中にこんなことが起きているのかと、うしろ寒くなってきた。






2019年11月21日木曜日

インフルエンザにかかるかもしれません


 「インフルエンザにはかかるかもしれません。」はだれでもありうることで、部外者でいられることは難しいことだ。でも、いままでかかったことがない。(かかって軽く済んだということもあるのかな?)最近喉の痛みはよくあるが、少なくともここ十年以上は、医者でそれとは診断はされていない。

 それが予防接種をしていないでのこととなると、ワクチン接種すべき論をどう理解したらいいのかわからない。インフルエンザワクチンの予防接種効果はないのだ、という主張も納得する部分もあるし、そうなるとだいたいそんなものはアタリハズレみたいなものだというくくりにという気もしてくる。

 ワクチンを接種してインフルエンザに見舞われなかった時を過ごせば、それは健康に過ごせて「効果があったうち」とみなさなければならないのか?同様にメタボの基準にしろ、血圧の基準にしろ「中途変更」の歴史を見ると、頭から信じるという気にはならない。茶の間のワイドショーだけでない「適切で丁寧な説明」が欲しい。

 製薬会社の売り上げの対象にされるのはごめんだとはいえ、高齢の域に入ってきた折もしかしたらなどと、保険会社の脅しと同様に「精神的安心感」を手に入れることもありそうだ。

身と心清めて帰る高尾山

2019年11月20日水曜日

高尾山で癒し、風邪を追い出せるか


 合唱発表会の少し前から喉と鼻の状態が悪くて、マスクを使い始めた。寒暖の揺れが大きくなって、身体がついていかないのだろうか。血圧が高いこともあるので、体重を下げなければと思いながらも、出かけた先でまた「飲む」ということの繰り返しで、ちっともよくならない。

 涼しくなって汗かきにとっては、絶好の時期なったので、しばらくぶりに娘と高尾山に行くことになった。火曜日だったがこの時期は紅葉を期待してか、たくさんのお客がきていた。紅葉はあまり見られず少し残念だったが、主要なポイントではスマホで撮影する人で賑やかだった。

 ゆっくりめの出発だったため、山頂で昼時になった。山を下りてからではちょっと遅くなるかと、初めてみそ田楽とソバを食べてみた。温かいみそ田楽はなかなか旨かった。山頂に押し寄せている人々はこれまでになく多かったが、店では席に余裕があった。帰りはケーブルカーにして15114歩。







2019年11月19日火曜日

銀座の魅力だから…

 歌謡曲で銀座を謳うものは多い。ロスプリモスの「黄昏の銀座」なんか好きだった。下手なウクレレを引きながら、あの調子で軽やかなリズムで歌うのは楽しい。カラオケ定番の「銀座の恋の物語」は昭和時代の輩には知らない人はいない。その華やかさの中でも様々な変遷があった。

 廃れてしまったことも物も数多あったことだろう。合唱団の練習の帰りに夜の銀座を通りかかったら、海外の旅行者風の人たちがあちこちで歩いている。銀座の煌びやかさへのことか、はたまた銀座の歴史を垣間みるためだろうか?






2019年11月10日日曜日

歌い踊るのは人間の本性?

 ゼイム職場の合唱発表会が終わった。同一職場グループの18団体が集った。この合唱祭が56回も続いているのは特異と言っていいかもしれない。歴史を重ねているところはたくさんあるが、散らばっている職場がそのとき集中して継続してやっているのは、おそらくはそうはないだろう。

 難しいことは専門家に任せるとして、「歌ったり踊ったりする」のは人間が身に着けた本性なのではないかと思う。自分も「やってみたい」と思うのは、その表現への共感にある。自己表現への共感とは実は相当高い価値を含んでいるものと感じる。「商業主義」にはない、なにか珠玉な文化価値がある気がする。

 言葉では伝えられなかった時代に意志と思いを伝えたる手法として編み出された。現代に適応するなら、言葉で伝えられることが、できるはずが内実は相手には十分に伝えられないことはままある。言葉や動作で伝えられたとしても、そのうえに機微を盛り込む、昇華作用となっているのかとも思う。

 どちらにしても人間の文化的素養に文化としての期待が込められる。「歌い踊る」ことの誘惑的磁石はこうしたものを引っ張り込む力がある。歌いたいという気の発揚と動機はこんなことにあるのではないだろうか。少々鷹揚な解釈だけれども、56年も一つの職場の別部から集まって組み立てられる「合唱祭」は、「歌い踊る」というDNAとでもいうか、人間が持っているものだと考えるのが、これまで続けられた理由として順当と考えられる。続いた合唱祭の歴史は、元にそんな事情があったのだろうと推測する。当たり前だのことだが、「やろう」という声掛けが丹念に重ねられてきたことは疑いない。

2019年11月4日月曜日

「ハゼを釣って唐揚げで食おう」の顛末記

 112日、江戸川でハゼを釣って食べようという催しがあった。今は夏場とは違ってハゼは釣れなくなっている時期なので、いっぱしの「釣り愛好者」としては、どうだろうかと少々の不安もあった。引き船に乗って下流へ運んでもらってボートに移ってやるのは、楽なつりでもあり数人でやるのは賑やかだろうと、勇んで出かけたところまではよかった。

 待ち合わせの駅で降り、時間が早めだったので駅前のバス停の椅子に腰かけて、おにぎりを頬張った。なにか居心地が悪かったのは、虫の知らせだったか何気なく駅名を確かめると、なんと待ち合わせの「妙典」の一つ手前の駅だった。

 最近「勘違い的誤り」が増えて、「ブレーキとアクセルの踏み違い」が目の先にもちらついてきているので、慎重にやっているつもりではあっても、起きてしまうのだ。治らなければ「年ですから」という医者のセリフもどこからか聞こえてくるようだ。一つ目の事件は、あわてて次の駅に向かい、ほぼ約束時間通りに間に合ったことで落着した。

 5人集まるところ、車の渋滞で二人組が遅れてくるとのことで3人が先にボートに乗り込んだ。そこで二つ目の事件が起きた。ボートが浸水している!足元の水は最初に少したまっていたが、多分雨水が残っているものだろうと判断した。ところがじわじわと水かさが増えてくる。やむなく水をかい出し始めた。ペットボトル(小水用で口部分を切り取ってある)を使って懸命にやるが、止めるとジワジワと増えてくる。船宿に携帯で助けを呼んだ。

 別のボートに移ってようやくハゼつりに取り掛かれた。釣りはハゼの反応が少なめで、やはり盛期を過ぎてのことだろうという感じだった。それでも時々上がるハゼを騒ぎながら楽しめた。周りでは穏やかな青空の元、たくさんのボートが同じようにボートで釣りを楽しんでいた。

 二度あることは…に出会ってしまったのは、釣ったハゼの針を外すときに針が折れて、そのままバケツの釣られた仲間のところに飛び込んだときだ。なにせ、唐揚げにして丸ごと食べるご馳走として、口に入れるものだから、しばらく探したものの見つけられない。頭だけ残して食べることもできるが、唐揚げでそれはつまらない。

 Sさん宅で唐揚げができあがって、食べる段になり頭からそっと噛んでみたり、頭の部分を開いてみたりしてやってみた。強力な磁石で頭の部分に近づけたのが、効果的だったのかどうかは不明だった。総計99尾の魚をきれいに平らげたが、奮闘努力の結果は、ついに報われなかった。バケツに入っているときにはずれたのか?…ともかく胃袋に入って出てくる可能性もあるよと、好き勝手な予想を言い合っただけだった。かくして読書会の課外授業は、愉快な一日を過ごして勉強疲れの頭を癒すことになったのだった。