2013年10月25日金曜日

幼児が転んで頭を打つのも政治ごと

 向こう側の4件の住宅が立ち上がって、最後の仕上げにかかっている。一軒はもう入っているが、子供が小学生低学年くらいだから若夫婦だろう。どんな人が入ってくるのかわからないが、所得階層はそんなに低くはない人たちだろう。元は台地の上に2件が家を構えていた。台地と言っても駐車場があるすぐ上に立っていたから、道路からは3mくらい上に普通の何部屋かがある住宅だった。
 取り壊した前の住宅からいえば、「ひしめき」建ったようなスタイルだ。建築中に垣間見える部屋はそう大きくはない。道路上からの3階建てで1階は一様に駐車場が造られている。

 保育園の子供が、転んで頭の怪我をすることが多いとNHKで取り上げていた。転んだ時に先に手を付けられないのは、一つには「這う」運動量が足りないという原因だという内容だった。親が子供の小さい頃にハイハイをさせないですぐに歩かせてしまうという説だ。子供の成長は楽しみだし、「這えば立て」の気持ちは爺婆も輪をかけてしまう。じつはそれが教育上はよろしくないということだ。人類の成長の一環でヒトの成長には外せない時に這わせないという行動をとっているとしたら、「反省」ということになる。

 しかしそれだけでないのは子供の生活環境で、特に住宅だろう。都市部の場合は住宅を建て替えるたびに床面積が狭くなる。希望の広さを持つマンションを手に入れるのは、限られた所得階層の人だ。狭いうえにハイハイを始めた子供が、すぐにつかまれるモノはたくさん部屋にある。これも都市部のリスクとなることではないか。

 番組で取り上げていた保育園は、転んでもすぐに手を付いて頭を守れる「転び方の運動」を取りいれていた。いま保育園は都市部では、非常に足りないということが「社会問題」として浮上している。保育園の設置基準を緩和して民間にやらせるというのが政治の現状だ。こういうところで、転び方運動ができるのだろうか。東京都所有の「保育園建設のための土地」は十分あるという。保育園用地費補助の条例は否決されたということだが、いったい政治とはこういうことでいいのか。転んでも手を付けない子供が、成長してスマホを使いながら歩いて転ぶ…。医療費の赤字がまた増えていく。それでいいはずはない。