2012年7月2日月曜日

山に雲がかかっても、雨がさほど降らない日


 歯医者治療のつきそいで、盛岡市郊外の新住宅地まで行った。待っている間、ウォーキングをと歩き始める。つい川が気になって、橋から川伝いに歩いてみた。小さな川ながら、水量から見て、魚が棲めるなと思えた。

 小砂利が底にあって、ちょっと変化が少ない気もした。でも川の造りは、「都会」と同じように排水溝としての作り方のようだ。脇から流れ込んでいる支流のほうも水量は確かにあるが、直立した壁で流れを囲んでいる。本流のも、見栄えは川をきれいに見せるように気を使っているようだが、川に降りて流れと触れあえるようには作っていない。

 出雲に行ったとき、同じように流れている川があった。川は昔(相当昔)は生活にとって必要で大事なものだったから、川沿いには、どこからも川に降りていく階段が作られていた。その古めかしい階段が気になって何箇所か見て回ったが、川と見事に融合していた。

 今日見たところは違っている。川と生活が対立関係になっているように思えた。その上、川を渡る道路の橋には「名前」がなかった。新興住宅地にとって、川が、必要のないただ水を流すものだけになっている。金をかけて、護岸を整備したのだろうから、生活の場と川との融合にもうちょっと工夫があっていいのではないか。

 などと、余計なことを考えながら歩いていたら、治療が終わったとの携帯電話がかかってきた。