2015年6月12日金曜日

写真のテーマ「共生」意味するところ

 写真のゼミでテーマを考えることになった。どんなテーマであれ、最後は自分が感じて咀嚼しなくてはならないので、ちょっとググッてみた。(「ググる」とは、Googleで検索をすることだそうで)

広辞苑(昭和44年発行)では、「共生、共棲」と記されている。その意味は
「①ともにところを同じくして生活すること②別種の生物が共同生活を営むと考えられる状態」とあり、イソギンチャクとヤドカリ、菌類と藻類の関係が例示されている。

ウィキペディアでは
「…理解が進むにつれて共生が普遍的な現象であり、生態系を形成する基本的で重要な種間関係の一つであることが認識されてきた。また、かつては共生と寄生は別の現象とみなされたが、関係する生物相互のバランスによって双方が利益を得る状態(相利共生)から片方が利益を得てもう片方が被害を受ける状態(寄生)まで連続して移行しうる例が多く検出され、互いにはっきりと分離できないことがわかってきた。そのため現在では、共生という種間関係は相利共生や寄生といった関係をすべて含む上位概念として捉えられている。
…企業と企業、企業と消費者、自国と他国、人間と自然が共に生き、信頼を最優先するマーケティングである。キヤノン企業理念にも「共生」が使われており、また、かつて福田康夫氏も「共生」を旗印に使った。価値観の多様化が進む社会情勢を反映し、政党の中でも「社会的共生」を訴える団体も出てきている(生活の党みどりの風など)。これは企業と企業、企業と消費者、自国と他国、人間と自然が共に生き、信頼を最優先するマーケティングである。キヤノンの企業理念にも「共生」が使われており、また、かつて福田康夫氏も「共生」を旗印に使った。価値観の多様化が進む社会情勢を反映し、政党の中でも「社会的共生」を訴える団体も出てきている(生活の党、みどりの風など)。」

私の思いですが…
社会の推移とともに、共生の概念が「進展」しているということなのでしょう。歴史の上では、1922年「哲学」として仏教運動に取り入れたとも記されています。(ウィキペディア)社会運動のなかにも使われてきたのはそう古くないことのようで、政党のスローガンとして使用されています。たしかに、公害のまき散らしからダム、港湾建設、道路、都市再開発などによる自然破壊が、「自然との共生」にどれだけの害悪を与えてきたのかを考えると、企業理念として使われる「共生」がきれいごとに違和感を覚えないでもないし、政党のスローガンとしても出現するのは成り行きなのでしょう。
釣り活動を通じてどうしても自然へのダメージを考えてしまうのですが、食の分野でも魚貝類はすべてと言っていいほど、今は「養殖」に頼っています。最近のテレビで、東京湾のハマグリが絶滅危惧種で、現在は有明海から取り寄せているとの報道をしていました。本来自然が持っていた再生産能力がなくなってしまった。ある意味「死亡」したといえるほどです。
「自然との共生」は一見格好がいいワードですが、実は人間が「自然界」を上から目線でみているという不遜な弱点があると思えます。リニア新幹線も強引に建設にむかっていますが、これまででもいったいどれだけのことをしてきたか。川の砂利を採り、山を削ることで与えたダメージは計り知れないことと感じます。そんな思いで「写真としての作品」には少し距離がありますが、着想点として撮り集めたものが私のホームページにあります。

      →「山を削って」
      →「海との共生がごく当たり前の暮らし」