2012年8月3日金曜日

「無気力試合」で失格


 オリンピックがスポーツの最高の祭典であることが問われる。というと偉そうだけれども、金メダルを取りたいあまりの「無気力」試合態度は誰がみてもおかしい。

 出場者は、スポーツ種目の先端記録を目指してどれだけの力を発揮できるかということに意義と楽しみを求めているわけだから、「無気力」(というより「手抜き」)の競技が楽しいわけがない。見ている方にとっても影響大だ。これからやってみたいと考える子供たちにも影響する。

 スポーツの一角を占めようというわが釣り大会も、その精神を念頭に置いてと戒めながら実施している。さる釣り名人が、これまで何回も好成績だから、今回はまあ適当にやっておこうなどとしたらどうだろうか。

 その時優勝したものにとっては、「手抜きの人が存在したうえで」の勝利となる。これはスポーツとしての釣りになるだろうか。やっぱりだれもが全力で競技にあたるということでの評価とならなければおかしい。努力の積み重ねがあり、公平なルールにのっとった環境下で勝利が実現されるのが、本当の喜びとなるのではないだろうか。

 オリンピックとて、「市場原理」からの影響があったり、国威高揚に利用されたりして、自主的で公正な運営が捻じ曲げられることが多々ある。オリンピックに限らず、スポーツの発展にむけてはまだまだ課題があるということだろう。