2012年12月27日木曜日

釣りをきままにやりたいが、そうはいかない事情が。


 釣りが好きだからと、自分の思うままに出かけていくのが自由で、争いもなくていい。だいたい、なにをやるにしても面倒に感じるようでは人様にかかわり合わない方がいいのだろう。頭の中でそんなことを考えながら、でもまてよと一方でまた考える。思うままにやっていて、すべてがうまくいっているのかどうか。やった始末が思う通りの結果になったのかどうか。

 昔使っていたようなタライに、水を入れてかき回して洗濯機のように回す。そこにハヤ(ウグイ)を入れると、ハヤは川で泳ぐように流れに向かって泳ぐという実験があった。数尾のハヤは、相前後しながら泳ぐ。ところがその泳ぐ位置が定まらない。ようするにブレて泳ぐ。そこで、タライに棒をたてると、その直後にハヤは定位置で泳ぐようになる。ハヤが棒を見て、「立ち位置」を決めるわけだ。

 押すも引くも、自分が好きなようにできて、一見大きな自由を手に入れているとおもいきや、よそから見たら、その所作がブレまくっているとしたら…。

 ものごとの様々な処方は、身の回りや少し離れた所にはいやというほど存在している。それから隔離されることになっては、知っておいた方がいいことも、解らないまま過ぎていくことになる。とはいえ、そういう選択をしても犯罪と言うわけではないし、人に迷惑を及ぼすことでもない。否定しつくすのも理に合わない。それなら多少なりともかかわりがあって、触れてみたり引っ込んだりしながらやるというのも手かと、頭の中で「自由、勝手気まま」に思う。