2017年1月3日火曜日

抑圧政治打破、ヨハンシュトラウスが応援しているかな。

 ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートをチラ見した。元旦の番組で、見始めたのがコンサートの終わりころになってしまった。テレビ番組を見るというクセがないものだから、いつもこんな具合に途中からみるということは多い。が、これは見るべきだったと少々悔やまれる。指揮者のグスターボ・ドゥダメル氏は気鋭の指揮者(35歳)で、にこやかな表情で素晴らしい振りをしていた。

 ニューイヤーコンサートは小澤征爾氏が指揮したとき(2008年)のCDをもっていて、時たま演奏を聴いている。その定番の行進曲である「ラデツキー行進曲」は明るくてテンポが快くて好きだった。その行進曲をアンコールに応えて演奏したところをうまい具合に見られた。シンフォニーは自ら演奏会にということはめったにない。ただじっと味わい聴くというような生活に恵まれていないだけで、けっしてきらいなわけではない。だから今回は幸運だったのかも。この行進曲は手拍子で演奏に参加できるという特典があるから、余計親しみやすいのだろう。聴きながら自分も指揮を真似したくなるような気分に囚われて、気持ちも軽やかになる。

 シュトラウスはウィーンの宮廷舞踏会音楽監督を務めていたが、革命運動に与してオーストラリア帝国のクレメンス・フォン・メッテルニヒ宰相の抑圧政治を打破しようとし、『学生軍団行進曲』(作品223)や『自由行進曲』(作品226)、『ドイツ統一行進曲』(作品227)を作曲した。しかし、フランスから発した「ドイツ民族からの独立」を目指して激しい闘争が繰り広げられていた「革命運動」には加わらなかった。

 18487月、ヨーゼフ・ラデツキー将軍の率いるオーストリア陸軍がこれの北イタリアの民族統一運動の鎮圧に成功した。この勝利を記念するために、「イタリアで戦った勇敢なる将兵の賞賛と傷病兵への募金を兼ね、寓意的、象徴的表現と格別な啓蒙を意図した大勝利感謝祭」が開かれることになった。この時作曲したのがラデツキー行進曲だった。

 この行進曲のおかげで政府軍の士気は大いに高揚し、のちに政府側の人々から、=ウィーンを革命から救ったのは、ヨハン・シュトラウスである=と称賛された。しかしこの『ラデツキー行進曲』が初演後たちまちシュトラウスの既存のすべての作品の影を、薄くしてしまったとも言われているとか。

1987年、カラヤン氏が指揮している。現在の演奏とは迫力が違うが、音響技術の発展による違いだろうか。



(作曲の経緯はウィキペディアから)