2014年4月27日日曜日

観光も「資源」とすることで脚色される富岡製糸場の歴史

冨岡製糸場の保存展示や世界遺産登録運動では「女工哀史」はここにはなかったこととして扱われてきたらしい。地元のガイドの話は一様に、待遇はよかったということになっている。が、これは富岡製糸場117年のうちの一部だった。

 創業時こそ一日8時間労働で週休一日だったが、初期の富岡製糸場を「寄宿制の専門学校」として国営で操業開始した当時のみだった。生産量が伸びずに、21年後の明治26年に民間に払い下げられてまもなく工女のストライキが打たれた。国策事業として採算を度外視していたことからの民営化で、労働条件は一気に悪化したものだ。重工業化の先駆けとして貴重な遺産には違いないが、マイナスイメージとして消してしまうことでは遺構が薄まってしまうことにならないか。

 繊維産業の衰退の歴史の証拠として貴重なものであることも事実で、そうした歴史の総体としてみれば価値がより厚いものになる。観光にはいい話はつきものにしても、都合の悪そうなものを除いてしまうことでいいのだろうか。工業化によって、富国強兵の道を進んだ歴史がまた、日本の今のあり様ともダブって見えてくる。

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