2014年10月19日日曜日

自然の脅威は生き物の存在にかかわる

 渓流釣りが9月末でほぼ禁漁になる。魚の再生に配慮してのことだから、人間のかかわりあい方として、守らければならないことだ。Bさんはちゃんと9月末に村上の方へ釣りに行ったらしい。5尾のイワナを釣ってきて今年の釣り納めにしたとか。渓流好きの人の締めくくりができることは、出かけることがままならないものにとっては、うらやましい限りだ。
 
 渓流魚に限らずだが、釣れる数は年を追うごとに少なくなってきている。釣人が多くて、釣ってしまうために魚がいなくなるということがよく言われるが、それだけではない。イワナやマメを釣ろうと思うと関東周辺ではまず釣果を上げることは望めない。宮城県や新潟県まで行かないと釣れないというのが実感だ。最近はマメにいくことが無くなったから、確かさは欠けるが少し昔の記憶でもおおむね変わらない傾向だろう。体験では専用道(高速道路)の延長が、釣果に影響していると感じている。釣り場へ短時間で到着できることで、「場荒れ」が起きているということは現実にあるだろう。

 漁協が増殖事業として放流する魚を釣るというやりかたが、当たり前のようになってきたのは、漁業を営む人ばかりの責任ではない。ここまで川を痛めてきた国のあり方のほうがずっと重い責任を持っている。何より大きいには川の流れの改変だ。言葉でいうと優しいが、川の生成の歴史からみたら破壊というほうがふさわしいかもしれない。いわば積極的に破壊行為に及んでいるわけで、川底を掘り崩して砂利を採ってしまうということが、高度経済成長期から進められた。あとは野となれ山となれと言う言葉がピッタリはまる。ダムの建設も相当な打撃になっている。流れが寸断されたり、川底の石がなくなってしまうことで、魚が再生できる環境と生態系をどれだけ奪ってしまったことか。そのうえ最近気になっているのが、どこの川も流量が減って見えることだ。あちこちで見える川の水量はとっても貧相な状況が目立つ。針葉樹林による原因はよく言われるが、温暖化による植物への影響や田圃の減少などがあるのだろうか。雨が降っても、山も含む陸地が水を保全しておく条件が減っているのだろう。

 東京でもつりの会、グループや漁協で、ヤマメの発眼卵の埋設放流を秋川水系と奥多摩水系に実施している。自然保護活動として貴重な活動になっている。東京でやっているのだからなおさらのことだ。
 この4月に東京労釣連がヤマメの卵を沢の流れに埋めて、放流した際に使った籠の回収作業をした。2月の大雪でどこの沢でも放流籠の回収をするのが大変だった。落石よる林道の通行止めがあり、沢には倒木の流れ込みが随所にあって、渓流が荒れ果てていることが報告された。雪渓が残っている状態では、籠の回収ができないところもあった。したがって埋めたカゴから出られずに、籠の中で死んでしまった卵や、孵っても籠からでられなかった稚魚もあった。この数は多分これまでには聞いたことがないものだった。


 台風や集中豪雨による被害が際立って多くなってきているが、当然ながら自然界そのものへの影響も大きい。つりの会も高齢化で、足元もやや怪しくなってきているが、「自然保護」への努力が大波にのみこまれてしまうような有様だ。地球温暖化の影響も「作り上げた」なの環境だから、環境NGOだけでない見識と取り組みが求められているに違いないが、日本のかじ取り連中は一顧だにしないという態度だ。