暮れになると感傷めいた気持ちになるわけでもないだろうが、来年に向けての覚悟みたいのものを考えさせられる。そんな大仰なことでないのだが、それだけに余計、重みと格好をつけようということなのかもしれない。ものごとは始まりがあって終わりがあるとよく言われるが、始まりの方は理解できるとしても、終わりがあるものという点はよくわからない。だいたいズルズルとひっぱって続いている。なにかに手を染めて、一定の時間を費やして、それがすっきり終わりを迎えるということが、できるものなのだろうか。
なにをやってもさしたることがなく、だから感慨もなくパタパタかバタバタかわからない「ものごと」にとらわれて、満足感の置き所を探さなければならない。
22日はつりの会の例会で、三浦半島の三崎まで行くことになった。昨年港で大きなハゼが釣れたという場所だが、6人が参加できることになった。昨年そこへでかけた会員さんが先日急逝してしまった。いつも暮れの納竿(一年最後の釣り)のときには、うどんの煮込みを作ってくれて、寒さで冷えたときでも暖かくなることができた。釣りも上手で会にとっても貴重だったから、会の存続にも影響するかという存在だった。
例会で「うどんを作ろう」ということになったので、うどんを食べながら楽しむことができそうだ。ハマちゃんをしのびながら温まることができそうだ。