2022年5月27日金曜日

写真展開催へどうにかたどり着きそう

 もともとなんでもマーペースでやるたちなので、あまり急かされるのは身体がなじまない。その上に退化がかぶさって、その重みで次のことに取り掛かるのに「どっこいしょ」と声をかけるのが習いになった。膝の痛さを「克服」はできないけれども、必要に迫られて動き回るのも、一面では膝周りの筋肉には悪いことではないかもしれない。写真展開催のための、オンラインでの相談や作品プリント、額装をこなしてどうやら開催日に近づいてきた。数日前、医者へのリハビリ通院でいつも通る道端で、アジサイが元気に咲き始めていた。








2022年5月14日土曜日

写真展中止を開催に転ずる霹靂

  中止するはずだった写真展を開催することに転じた。新型コロナの感染拡大が漸減傾向にあることが、考え直すきっかにもなった。連休後の感染拡大がまた広がるのだろうことも言われていたとおりに、ここ数日はまた上昇する気配。しかし、でも…政府がというか、社会全体が行動再開へ、雨後の川の流れのごとく進んでいく状況に、取り残されていくという思いがないではない。率直にそう思うが、本当に大丈夫かと問われて胸を叩ける人は存在しないだろう。周囲の動向に責任を被せるわけにもいかないが、万全な感染拡大対策をしてやるという以外にはない。相談がまとまったところで、突然忙しくなる事態になった。「あいさつ文」の相談をオンラインで済ませ、日曜から作品のプリント作業、来週には「パンフレット」の最終点検など、…に鞭打って頑張らなくてはならない。

膝の具合を確かめながら公園に鯉のぼりを撮りに行く








2022年5月9日月曜日

忘れるのも自然の摂理?

 寝る前にマスクがないのに気付いて、懸命に探したがみあたらない。無呼吸症候群の治療ということで、毎晩寝る前に着用しているものなのに、どこへやってしまったのか。床はもちろんベランダをみても見当たらない。やむを得ず今回は装着しないで寝ることにした。

 翌朝になって明るく見えるのを幸い、もう一度見まわしてみた昨夜とおなじところを探したら、ベランダ出入り口脇に置いてある、竿たての束の上にちょこんと鎮座しているのを見つけた。シーパップのパイプとマスク部は毎日洗浄して、風通しがいい出入り口のカーテンに、洗濯バザミで止めて乾かしていた。布団を運び出すときにカーテンにぶつかって、飛んでしまったようだ。

 ぶつかってなにか飛んだなという気がしたのに、布団を手すりに掛けたあとは、そのまま忘れていた記憶が今頃蘇った。記憶がよみがえるだけまだいいか。でも、翌日に整形外科へ行って、「マスクしていない」と指摘された。「ああいけねエ」とハンカチで顔を覆って、マイクロ波の治療にかかっていたら、看護師さんがマスクをもってきてくれた。こんなに、注意力が散漫になるのは脳の働きなんでしょうね。どうしたって起きてしまうのだから、自然の摂理だよなどと言い訳をして、あまり突き詰めてないことに。笑うのが効果的かもしれない。

これをパイプをつけてし器具から空気を取り入れる



2022年5月2日月曜日

能登の間垣は重要文化的景観だったっけ

 今年の写真展も、ついに3回目の中止になってしまった。月一の例会をオンラインでやってきて、撮影した写真の披露交流と、現像技法を中心にした勉強することが、ある程度できた。ただ、自分の写真の取捨選択をすることが、十分にできないことで物足りなさが残っている。

 それはやっぱり顔を合わせた例会でないと、解決できないようだ。自分の撮った写真の思いやりとこだわりがあって、次に撮っていく動機にもなるのだから、なんらかの批評のコメントに出くわして、整理がついていくものであるのに、肝心なところが解決できない状況だ。

 3年になろうとする新型コロナ蔓延社会で、苦労を被る人をさしおいて言うこともできないが、先を考えたときに、この環境を変えて動かすことができるだろうか。ともかく愛好家としての範疇、「趣味プラスアルファ」=楽しみから逸脱したままで、みっともなく鎮座をするだけのことになるかもしれない。

 写真展作品をと、以前に撮ったの写真を見直して、能登の写真を引っ張り出してみながら、通ったころを思い出した。また行くことは難しいかな。