2013年1月11日金曜日

高齢化社会まっただ中

 昨日は中野労釣の常会。常会とは古い言葉だが、言葉のイメージは「寄り合い」みたいな、会議というものより柔らかさを感じていい。96歳の会長が、いつも出てくれて、相談にのってくれる。とはいっても、耳がだいぶ遠くなったから補聴器を利用していても、意思の疎通はなかなか苦労がいる。主要な結論はメモを書き込んで、了解を求める。長い間の会長職であり、こうした活動の熟達者なので、言葉が直接つうじなくても大概のことは意志が通じる。

 家の義母の場合も耳が遠くなっているが、少し大きい声なら聞こえるからよい。それを忘れてしまうことがよくあるから、そのときは言い直すハメになる。聞こえなくとも聞こえるふりをするときもあるから、話す方が気を遣わなくてはならない。でも話が通じている時は、生き生きとして見える。

 岩手山麓の親父の場合は、不幸にして言葉のやり取りが少なくて、というより話が通じる話題が少なくて、口数が減ってしまう。聞こえないとなると、なにかすこし面倒なことを、やり取りするのが大変だから、ついさけたりしてしまう。見得もあるからこちらには本音を言わなかったりすることもあるようだ。電話にでるときは、キチンと補聴器を使っているらしく、やりとりはちゃんとしている。それなら…と思うこともある。いずれ自分もそうなっていくと思いつつ、「高齢化社会」の構成員として毎日を、仲良く暮らす生活を送ることになる。