2013年8月26日月曜日

「いいね!」をクリックする意味

 「イイネ」と言ってもらいたいのはヒトが誰も持つ要求だろう。共調された時はうれしく感じるということがあるから。実生活で協調や共調を感じるということが少ないと言えば、あまったれという反論もあるかもしれないが、SNSの広がりはここに意味を持っているような気がする。投稿されたものに共感できたとき「いいね」をクリックすることで展開していく効果を、考えてみるのもおもしろい。


 一昨日Facebookの写真サイトに投稿した「トップグループ」のマンホールのふたを移したものには目下9人の「いいね」クリックがある。投稿された写真をほかのグループ参加者が見て、「素敵なもの、いいもの」にクリックをするが、20人くらいからクリックされたときが、多いときのようだ。その尺度でいけば、自分の投稿した写真は、まあそんなものかというところだろうか。クリックする人が10人を超えればまあいいのかなという物差しをあてていると、「そんな程度のもの」というのが現段階だ。

 投稿されたものの中には見た人(写真を見た人の数も表示される)の約半数からクリックされることもある。それだけクリックされた写真は確かに良い写真だ。新しくこの投稿グループに加入してきた人がこのところ多くて、挨拶がてらすぐに投稿する。そのときに思ったが、新しい人なのだから儀祝儀相場というのもあってもいいのではないかということ。しかしそうなるとそこで悩みがでてくる。クリックすると「いいね」は違う意味を含んでしまうことになる。写真投稿するという目的のグループだからそれでいいのかなとも思う。

 グループの塊でない、通常のFacebookの投稿のほうは、「付き合い」の性質が違っているからどうなのだろうか。つまり付き合いが進化していることも想定することになるし、「おはよう」とか、「今日もまた雨だ」とかの挨拶投稿も「いいね」ということになるが、それは、良し悪し的な「いいね」という意味合いとは違って、投稿を見たことの表示となる。これにはコメントを書き込むことがよくある。話のネタになるその投稿で、話が盛り上がっていくことになる。