2013年6月25日火曜日

三保の松原、消波ブロック投入は安倍川の砂利採取が原因と。

20071231日中日新聞)の記事があった。
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 三保半島で浸食が目立ち始めたのは1980年代。
市内を流れる安倍川で砂利採取が盛んに行われた結果,65年ごろから河口東側の海岸で浸食が発生。浸食域が年平均270メートル幅で進み,約10キロ先の三保の松原に消滅の危機が浮上した。
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 安倍川は山梨県との県境をなす山間部から、静岡市内までおよそ50キロを一気に南下してくる一級河川。安倍川は三保の松原の西南にある。ここから砂利が供給されたことで、できた三保の松原。黒潮に流されて長い間にこの海岸ができあがった。清水港もその結果できたものではないだろうか。

 安倍川の砂利は、おそらくビル建設や道路など、大型の公共事業に利用された。上流部は、崩落しやすい地質で、砂防ダムが多数ある。大雨のときは、常に上流から大量の土砂が流されてくるため、平野部は川底がどんどん上がってしまい、いわゆる天井川状態になっている。それほどの砂利や砂が海に流れ込んでいた。

 砂利の利用はある意味「合理的、効果的な」利用だったのだろうか。だが、海岸を保全することはできなくなった。当時は日本全国の河川がこの憂き目にあった。国民の共有財産である自然が、さる特定の意図=内需拡大のために破壊された。自然がバランスを崩されたがゆえに、そこから起こることは、当然人間の側が引き取らなくてはならない。

 富士山をめぐる文化の内容からは、十分その価値があるとしても、ここにきて三保の松原を、対象から除けとされたことは、一面では自然の仕返しかもしれない。「説得が功を奏して」この地も世界遺産にということは歓迎するにしても、認定されればその荷物を負うことになる。それは当然のことだ。

しかし、中日新聞は、続けて書いている。
…静岡県は消波堤を設置して砂を補給するなどの対策を講じ,砂浜の回復に見通しがついたとしているが,現状は名勝と呼ぶには悲しいありさまである。対策の成果が表れるのは20年先の話になりそうで,地元は松枯れの心配も追い打ちをかけて苦悩している。
「せっかく補給した砂が,大波に削られたこともある。地道な対策が必」。200712月下旬,羽衣の松近くの波打ち際で,浸食対策工事の監督を務めていた杉山博康さん(32)が話した。
 海岸線は,消波堤などを置いた部分に砂が堆積し,のこぎり歯のようにギザギザしている。付近では1日に大型ダンプ60杯分の砂をブロックの上に投入するといい,杉山さんは『羽衣の松の前で、ブロックが見えてはまずいという事情がある』と説明した。

 補給した砂が流出して漁場を荒らすなどの問題が起きた。NPO法人「三保松原・羽衣村」(宮城島史人理事長)が07年10月、国や県、市などに提言書を提出した。「名勝というにはあまりに無残な工事現場さながらのありさまになってしまった。
静岡県の浸食対策費は89年度から2007年度までだけでも71億円に上る。…

安倍川の様子



 (2013/5/25 8:35)Yahooニュース(現在は削除されている。ちょうど一カ月で削除するらしい)
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富士山を望む三保松原の浜辺で野外学習をする高校生=静岡市清水区の三保海岸
 富士山の世界文化遺産登録に関連し、諮問機関のイコモスが構成資産からの除外を勧告した「三保松原」を見つめ直そうと、静岡市清水区の東海大翔洋高の2、3年生35人が24日、地学の総合学習の一環で現地でフィールドワークを行った。
 同校は三保松原に最も近い高校。生徒は学校東側の海岸を「羽衣の松」に向かって約1キロ歩いた。大迫崇史、加藤忠義両教諭の案内で海岸の石や崖の様子を観察し、地質学的な特徴を確認した。
 
 イコモス勧告が除外理由の一つに挙げた消波ブロックにも着目した。汀線(ていせん)の形状から、ブロックは海岸を浸食から守る半面、海流による岩石の運搬を妨げる副作用があることを学んだ。
 生徒は浜辺にごみをみつけると、その都度拾い集めた。三保の海岸をじっくり見たのは初めてという3年生の中谷翔太君は「三保松原も含めて世界遺産になってほしい。僕たちにできることとして、この海岸と松林の美化に取り組みたい」と言い、2年生の石橋健志君は「海岸の浸食を抑えながら美しい景観を守る手だてを見つけたい」と話した。
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自然を元に戻すことはできない。それほどダメージを与えることだと、つくづく思う。