2012年3月11日日曜日

絆その2


 109日に見た被災地の現状。宮古から結局釜石まで通り抜けた。道路は障害なく車が行き交っていた。動いていたのは車だけだった。
穴の開いたような集合アパート
きれいに積まれたガレキの塊
地盤沈下してところに被っている透明な海水
無くなった駅
岸壁を乗り越えて道路に飛び込んだ船







 どういう言葉で表せばいいのかわからない。見たことも聞いたこともなかった情景をともかく撮るしかなかった。目的だった行く先の、何回かハゼ釣りに行った山田湾の織笠川、山田線の駅は跡形もなかった。

 川の橋で釣りをしていた人、船を2艘流されたと言っていた。釣り仲間が後から来て、どこそこでは釣れているという話を交わしていた。救われた思いがした。釣りどころではないという感情という、われわれの勝手な思いは、地元とは違った一面的な感情だったと思い知らされた。川と海の境目に作りかけていた大きな水門の白いコンクリートが光って見えた。脇の港は破壊されていた。

 川の南にある高台の「道の駅やまだ」は今回も、休憩地だった。「絆」の文字入りTシャツ。衆議一決買うことに決めた。「絆」は現地で生まれた言葉だ。