2019年4月28日日曜日

「いくつになったら運転免許を返納するか」だけでは事故はなくせない

 常識的というモノサシでは、己の危険さを自覚して適当なときに返納というのがフツーの判断にされる。高齢社会に起こるべきこととわかってもいたはずが、最近の交通事故が現実に問題の解決を迫っている。

 認知症検査の年齢に到達して検査を受けて、不適とされても、講習を受ければ更新ができるという制度も、やむなく運転をせざるを得ない環境の人には恵みにはなっても、起きてくる自動車事故、事象からは効用とは言い切れない面を持っている。

 「就職有利」「花嫁道具」といわば煽り立て、車を持つことを夢にしてきた社会の必然として起きたことだ。車を利用してきた利便さを否定できないが、車使用の利便さにどっぷりつかってきた過去を、いま顧みることは大切なことと思う。

 「車がなければ」生活が成り立たないとまで追い込まれている高齢者に、「車社会」からの離脱対策を早急にとらなくてはならないと思う。「赤字路線」としてバスでもローカル列車でも廃止にしてきたこともその要因として見なくてはならないことではないか。

 北海道でも新幹線建設は具体的に促進させるが、在来線は廃止にしてしまうというこれまでの手法を続けるらしいが、それではやはり「車だより」社会から抜け出すことができない。高齢化社会が来ることをわかっていながら、その対策が取られないことでは、見識がないことになる。運転免許の自主返納をいつにするのかの議論では、解決にならない。