2021年10月10日日曜日

「差別」という言葉は最近聞かないけど、なくなったわけでない。

 =格差とは、同類のものの間における、程度(水準・資格・等級・価格・格付け、レベル)などの差や違いである。 また、社会問題の一つとしての意味合いを込めても用いられる語であり、貧富の差(経済格差)などを意味しても用いられる。

 =差別とは、特定の集団や属性に属する個人に対して、その属性を理由にして特別な扱いをする行為である。それが優遇か冷遇かは立場によって異なるが、通常は冷遇、つまり正当な理由なく不利益を生じさせる行為に注目する。国際連合は、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である。」としている。

↑ウィキペディアから

 格差は主に違いを図式的に表現しているようであり、なんらかの「差別」を含んだものと受け取れる。差別は、特別扱いをして除外、拒否をするという行為で、格差と似ていながら、社会の規範としてあってはならないこと、なくさなければならないことと言える。格差も最近は差別的処遇として批判的みる場合が増えているように思う。平等や人権を重んじるという観点もまた身につけることは易しくない。こんな状況はまだ続くようように思うが、今だからこそ問い直すチャンスだという気もする。

 ところで、「ワクチン接種」で副反応の状況がニュースで使えられているが、ワクチン接種へのある意味「のめりこみ」のような状況で、政府も3回目以降のワクチン確保との報道がされている。モデルナの副反応の状況を見てスウェーデンは若者への接種を一時止めたとのこと。国内でワクチンの副反応での死亡者はいないことになっているが、接種後死亡者について「因果関係が評価できない」となっている。「ワクチン接種の影響ではない」とする評価はされていない。今の関係機関(政府)の様々なことへの対応を見て、率直に大丈夫なんだろうかと思ってしまう。それは杞憂なんだよという言葉はちっとも聞こえてこない。

 そんなときに、地方の実証実験ということで「ワクチン接種証明」「陰性証明」
を「通行手形」にするという動きが出てきた。おいおい、ワクチンの接種は強制されないという議論はどうしたのだ。通行手形がないとダメという括りで簡単に運ぶのはまずいのではないか。方法も十分に検討してしかるべきで、それを踏まえてのことにしなければ、「差別」のレッテルをはることになり、社会的な「除外」「拒否」で差別になってしまはないか。

 また、このときとばかり、これまで抗原キットの販売にブレーキをかけていた厚生省が、一転しての販売を公認した。3月には「医療販売業者に十分留意」の監視通知をしていたのに…。社会的感染検査をやるべきとの声にほとんど応えることなく、「有料で買え」とまさに惨事商法の慮りがまた進められる。

ワクチンと死亡との因果関係が評価できない
スウェーデンが若者接種中断でも

厚生省、検査キット監視通知

民間では「儲け口」でどんどんやってる


ワクチン、マイナンバーカード両方安心できる?