2014年5月21日水曜日

デジタル社会の犠牲にならないように

 パソコンの遠隔操作ウイルス事件の片山氏が、犯人であることを認めた。弁護士も予想外のことだったのだろう。犯行を否認するということは、弁護をする上での「戦術」でもあるのだろうが、本人が持った真実の経緯を、強制や余念抜きに表していることが尊重されて扱われるのは、人権を重んじるうえで大事なことだ。時によっては「引っかけられる」ことのある事実がある以上はそこから出発することははずせない。

 片山氏・被告が、自殺をしようとしたが死にきれずに…と弁護士に連絡した。保釈を取り消されて召喚されたことで、事件の大筋が決着したようだ。全部を認めたということで、そこが事実として扱われることになるが、本人が抱える闇の部分は相当深いものではないかと思う。闇に陥ってしまった様々な経験も影響を与えたことだろう。

 生活に深く食い込んでいるパソコン、スマートフォンなどが、犯罪に一役買っていることが多くなった。それに「依存する症状」も社会問題化している。しかし病理はそれだけではなくて、人が置かれている社会がもつ軋轢が動機になっていることにあるのではないか。日常の暮らしでも意に染まないこと、解決できないことは非常に多くなっているし、希薄な人間関係が出来上がっている。それゆえ「キレる」ことに連動する。一昔前の「我慢しなさい」では、現在は説得力を欠く。ならば…そこから先がおおきな問題なのだろう。

 ところでこのブログは201129日から始めて3年を過ぎた。このところちょっと疲労気味で、書く時間が少し重荷になってきた。そんなことで、書く内容にも反映しているような気がしている。家にいることが多いと頭の中でこね回すようなことばかりで、面白くないだろうと思っている。写真を中心にするとか釣りにするとか、絞っていくこともいいのかもしれないなどと思いながら、ブログの手法に対しての飽きもあるのかと休養することにした。

 これまでの掲載したブログを読み直してみようかとも思っている。先はどうなるかわからないが、止めることで手に入れられる2時間ほどの時間を他に振り向けてみたい。それが次の糧になるかもしれない。パソコン前に座る時間を減らして「依存症」に陥らないようにと(笑)。

 余計な感想を付け加えると、反応のないことについて書き続けるのはなかなかしんどいことだ。それでも続けるだけのエネルギーが湧くうちはいいが、底の浅い頭脳では限界を感じるところだ。ブログを書くための作業はとても勉強になった。多分脳の活性化にも役立っただろうと思う。
拙文にお付き合いくださった方々には感謝のみ申し上げたい。

 最後に現在の局面を切り取った「面白いもの」を。