2014年4月10日木曜日

小保方さんの記者会見を見た

 知識も能力が生きていないことは確かなことだと、昨日の小保方さんの記者会見を見て思った。実際のところSTAP細胞の有り無しの判断を今はだれもできない。今は検証できない話ばかりが先行しているから、あるいはあることに確信をもって推定している人もいるのではないか。いないなら、もう壊滅的に判断が迫られる。周辺の事情から面白がってあれこれ考えることしかできないが、研究内容への目標接近については一人で責を負うものなのだろうか。「大丈夫かと止める」指導がかかることはないのか。STAP細胞があるという確信に周囲の共薯者も至っていたことではなかったのか。研究スタイルがユニットリーダーに責任をもたせることに理研組織としてどういう援助と関与がされているのかなど疑問は多い。

 小保方さんの雇用契約が1年更新されたという事情で、理研がそんなことになっているのか?と思って調べたら、1年契約がほとんどだというから驚いた。理研で手柄をたてて次の就職先に高処遇で渡っていくということらしい。ここにも非正規雇用だ。処遇の浅薄さをすべての原因とは言えないにしても、手柄を立てることへの執念を持たされることには違いはない。

 「理研優遇の法人指定法案が見送られて、今国会で成立断念」という朝日新聞。「一連の問題にメドがたたないうちは難しい」と官房長官が記者会見で表明した。手柄待望論が実在するわけだ。手柄を発表して際立たせないと処遇改善していけないのか、そういうあり方にも疑問がわく。

 記者会見の記者の質問も様々だったが、「STAP細胞はあるんですか、ないんですか?」という質問があった。本人の話を聞いていれば、あるとしていることは質問しなくてもわかることだ。このことに関してキチンと研究して質問していたのは少なかったように思えた。記者とて「おいしい発言」を引き出すことが手柄という側面もあるわけだ。