2016年10月15日土曜日

随分と早い終息ではありませんか?トヨス。

豊洲の問題は、もう火消しパターンに入ったのか?都議会が終えたら昼の朝顔みたいにすっかりしぼんでいきそうだ。「職員を懲戒処分」という穏やかでない言葉で、ああそこまでと思った人もいるだろう。この先どうするのかは未確定ではあるものの、現市場長の更迭という、よくわからない「お仕置き」で終息することに?と。

 そりゃ「更迭」なんて次の機会を別のところで活躍してよと頼むことと違わない。収まらないのは、都議会の「百条委員会で」という提案がまたぞろ舛添前知事と同じ轍を見事に踏んで、自民党公明党の主張でお構いなしと、豊洲市場ゴーへの方向へ切り替えを図ったことだろう。それはだめですよ。

 こういうことを重ねて伏魔殿が見事に花開いたのですから。マッチポンプという言葉が「ふるーい昔」にあったが、今も死語になるわけにはいけない事情がある。東京10区の補欠選挙に小池知事がでかけ、二階堂幹事長が「呉越同舟」と評されてそろい踏みをした。呉越同舟よりは同舟(床)異夢と言うほうが当たっているのではないか。

 291万票を乗せたバスは道のないところを走るわけではなくて、おそらくは確信的に、行く先に運転されていくと想定できることだ。少々の客の振り落としがあっても分母の大きさからは驚くに当たらないと想定してと思えること。一票の重さと軽さ、それも一世紀に近い歴史の積み重ねをかみしめながら、また繰り返すのかと思うと癪に触る。

 でもそれは変わっていくだろうと期待を持たせたのが今回の「騒動」だった。およそ「15年前」に問題の事柄は十分に提起されていた。遡ってその時の知事の責任やら受注業者と都の関係やらが、表に出てくるというところまできた。「政治と企業との癒着」とは古くて新しいことで、ずっとその癒着体質が保全されてきている。それが漸次強固な結びつきになっていると言えるだろう。

 都庁の幹部の天下り先が、企業の誘致と結びついて、ナアナアの体制を造る。それが互いの利益やら「退職後保障」となるなら、それを負担する納税者はどういう立場に置かれるのかということを、もう一度考えようというのが今の局面と言えないか。都議会議長と小池知事との「握手劇騒動」を見て、ああ今そのときかと寂しく感じ、コメなら収穫の喜びの時なのにと重ねてみて思う。

事務所の壁に「地図に残る仕事」と書いてある。地図の仕事のうえに記憶に残る仕事になった。2015年7月12日撮影。