2019年12月31日火曜日

酔っぱらいと正気のせめぎあいの一年でした



 ことしもよく飲みました。酔った勢いで、こないだ何か約束したよなと、あとから確かめあうこともありました。身体への影響を気にしないではないけど、ちょっとだけ対策。
 飲んだ日の記録をとることにして日記の最後に「飲酒」「休酒」と書き込んで、二日続けて飲んでいれば「飲酒2」と記することにした。すると一年間どれだけ飲んだかと言うことが調査できる。日記はGoogleドキュメントを使い、〈検索と置き換え〉という機能があるのでここで「休酒」を検索するとその数がでてくる。今年は182だった。逆算して183日となって、一日だけ飲む日が多かったのが今年の決算だった。

今時目珍しい、4段重ね!

コンビニで「特産品」

 旅行けば



2019年12月26日木曜日

「ホタルイカの身投げ」と称する文化


 溜まっているビデオを見ている。「ニッポンの里山」、「新日本風土記」は各地の自然と人の活動の姿を映している。綺麗ごとみたいな側面もあるが、日本にある素晴らしい自然や豊かな文化を取り上げている。できればいつかは写真を撮りに訪れてみたいと、思うところがたくさんでてくる。
 とはいえ、北海道のなどの自然といわれても、なかなかいかれるものではない。とりあえず「夢」にして頭の隅に置いておくしかない。

 ビデオのうち、富山湾のホタルイカの漁を取り上げたものは印象的だった。3月から5月にかけてホタルイカが産卵のために浅場にやってきて、産卵後深場に戻るホタルイカを定置網で捕獲するという内容だった。漁師は稲わらで編み上げた網を、定置網にして追い込む。ホタルイカは網の目が体の数倍もあるのにくぐることはなく、誘導されて袋の部分に入り込んでいく…。漁のあと残された藁製の網には、海藻が付着して繁殖し小魚などの棲み処にもなる。藁はやがて海に溶け込んでいく。

 プラスチックの投棄、海洋汚染が大問題になっているとき、自然との共存が考えられていたことに驚いた。稲が機械で収穫されることで、藁が手に入らなくなっているとのこと。自然との循環がどこかでボタンを掛け違えている気がした。

 NETで富山湾のホタルイカ情報を補足したところ、この時期の観光や、4月の祭りやらが紹介されていた。闇夜でホタルイカが産卵した後に方向を見失って、波に押されて浜に乗り上げることを「身投げ」と紹介している。観光のひとつの目玉としているらしい。ホタルイカの「目」を口で飛ばして「競技する」という催しもある。これが現代の娯楽、笑いの文化なのだろうか。茶碗に残った米粒を「ちゃんと食べろ」と怒られた世代からは、そこまでやるかという気がする。

 富山県農林水産総合技術センター水産研究所の調査では、2019年の予測で漁獲量減少となっている。水温の上昇が大きい年は漁獲期が短くなると…。温暖化の影響が自然界に圧をかけている様子がうかがえる。





2019年12月21日土曜日

退け時の寂しさこれあり


 10月にあった60周年記念演奏会、11月の合唱祭が無事に済んで、気分のうえでは一区切りになった。それよりグータラな身がそれ以上に休みたいと声を上げている。先週の男性コーラスの新しい曲で、「高音」の部分があった。高音部を他の人に被してもらうことができれば、とりあえずは何とかなるのだが、それはできずかすれてしまって音にならない。
 
 それで思い出したことがある。千…合唱発表会と合唱祭の演奏の際に、演奏した曲の講評を受けた際、「高音部が惜しい」旨の評価をうけた。それは思い当たることで、どうにかしなくてはと言う思いはあった。しかし自分の努力を超えてのことで、それ以上どうするかの方策は持つことはできない。

 「写真」をはじめて15年になるが、写真は作品を発表するまでの過程(「人目に晒す」まで)で、一様でない相克や葛藤がある。撮った写真がいいと思うことが絶対でないということが往々にしてあり、しかも人によってそれが異なる。ここが反面面白いところでもある。写真の表現は解釈まで含めて〈100通り〉もあるかもしれない。そういう意味では生き物のようでもある。画面に表す明暗、色彩、コントラスト、切り取ったドキュメント性など、わかってくると一層味わい深いものがある。

 合唱も重なるところはあるだろうと思う。表現力と受け手側の共生とでもいうか、曲の表現で共感を生むところは、同様の性質を持っている文化と言えるものかもしれない。極めることに近づけず残念に思うところだけれども、両方ともやりこなすには、ちょっと無理なところにきている気がする。

2019年12月17日火曜日

もれなく買い物できた(^_^;)

 最近は買い物に行ったときに、複数の品物を購入しようとして、一つ二つは忘れて帰ってくる。別に今日明日の命にかかわるものでないのだから、構うことはないのだが、だんだんその事件が多くなると、いささかの心配事になる。

 歯磨きをしようとしたら、コップが見当たらい。よくみればいつもと違う場所にある。まさか「誰か」の仕業ではないと思うところは、まだ正常の内と慰める。今朝はご飯を窯から盛ったのに、ふたを閉め忘れて「指導」を食らってしまった。

=くつかの生活必需品を買いにでかけた
リステリン…
電動歯磨きの歯ブラシと歯間ブラシを、消毒すために、先日から使い始めた。
キープポアA
包帯を固定するのに使うらしいが、セロハンテープより剥がれやすいので、ゴミ箱に使うビニール袋を固定するのに便利で手でカットできる。写真展作品の額装にも使うことができる。NETで調べたが多量でないと高くつく。
南京豆と粉茶…
お茶屋さんに、この時期に千葉の南京豆が入るので、ちょうどなくなった粉茶も一緒に購入。粉茶は冷やしたペットボトルに溶かして使う。小さなスプーンに4杯入れる。相当数作れる。ペットボトルの低減に少しでも貢献。
牛乳…
粉末コーヒーに入れている。自家製のカフェラテ用。

 以上ちゃんと買って家に戻った。ただ、「南京豆と粉茶」は店を間違えて飛び込んでしまったが、「南京豆」また入れておきますとやさしい?対応(お店もこまったろう)。気が付いて2軒先のいつもの店で購入。

2019年12月13日金曜日

自衛隊が中東に送り込まれる


<12NHK NEWS WEB> 
~中東地域への自衛隊派遣をめぐり、政府は12日午後、NSC=国家安全保障会議の4大臣会合を開催し、終了後、菅官房長官は記者会見で、「具体的なスケジュールなどは、まだいろいろなプロセスがあるので、現時点では差し控えたい」と述べ、自民・公明両党の議論も踏まえて正式に決定する考えを示しました。~

 「調査・研究」の一環でやるのだと説明している。調査と言う便法は捕鯨でも使われている。早い話がちょろまかし。およそ記者会見でも国会でも「しゃべらない、説明しない」のをモットーとしているとしか思えないが、しゃべってもこの程度の見え透いたやり方をする。一色触発の地へ武器をもっていくのだから、余計に緊張を高めることになるのはだれでもわかる。万一事が起きたとしても「日誌改竄、破棄」という「研究結果」でまた隠し通すつもりだろうか。











2019年12月4日水曜日

「認知症」がやってくる

 またゴミ集積場が「いたずら」された。今日はプラゴミの日だったが、集積場のすぐ近くに、食品パック、空などが丁寧に並べられて置いてある。先週には生ごみで、同様に少し離れた場所に散らかされていた。このところ散らかしは収まっていたが、またはじまった。

 やむを得ず家からビニール袋を持ち出して、置いてあるプラゴミを詰め込んで、所定の場所に置いた。それを見ていた向かい側の住人が、散らかしを監視カメラで確認していると話しかけてきた。傘を持っていかれたこともあり、警察と区役所へ通報したとのこと。ちょっと先に住んでいるその「該当者」のことも知っていた。通りかかっている時間も特定しているらしい。

 前回のときには、何ヵ所かで散らかしをしていたので、朝方一時間以上も歩き回ってみた。区民活動センターに通報したしたが、町会へ連絡すると返事があっただけだった。

 その後収まったようだったが、今度は「きちんと並べて」散らかしている。親族と同居していて、ケアーセンターなどへも対応もしているということだが、是非の判断ができない状況で難しいことになっているのだろうか。

 立ち話しながら、履いていたトレーナーに違和感があり、触ると後ろ前反対に履いていた。連れ合いに「もうすぐ認知症になる人が認知症の人話をして」と言われて大笑い。まさに、他人事でない笑えないことなのに。

2019年12月3日火曜日

おおらかな自然に取り込まれて…といきたいもの


 CP25で気候変動の条約を議論する。「努力が足りない」と叫ばれている。叫んでいるのは「人」でも、ほんとうは「自然」の方だ。台風でも台風がなくても重大な自然災害が日本でも多発している。そこから考えれば、自然そのものへの重い負荷を急いで解消することが求められている。

 のしかかっているのが経済成長という怪獣。そこから抜け出ることができなければ、地球の滅亡につながる。サクラを楽しまずに集めた人に権勢を誇る輩が政治の中心にいるのでは、気候変動への「行動」に期待はできない。せっかく咲いた花も怒っていることだろう。

高尾山の自然はなごむ










2019年11月28日木曜日

秋の味わい、高尾山の場合は


 秋の紅葉を撮りたいと思っているときに、今年の場合は狙いを定めてという具合にはならなかった。それでもそれなりにと、高尾山に登った時に撮った写真を眺めていたら、その雰囲気が映っていた。登る道に突き出す不思議な格好の木の根や、神社に参る人波と少し斜め指す光が、秋のコントラストを醸し出している気がした。










2019年11月24日日曜日

上に飛びぬける10階建て

 環状7号線の内側は、住宅建築規制を緩和して、高いビルを建てることができるようになった。不動産業界の事業拡大のため、かつての住宅専用地域内でも、相当な緩和を与えられた。近所はここ何年かの間はせいぜい3階建ての住宅が建ちすすんだ。20年程度の間に新しい住宅がとってかわった。

 その「低層」なかに突如10階建てのマンションが立ち上がった。ここばかりでない高層のマンションがどこの道筋でも建築中だ。近所のウォーキングではいたるところが工事中だ。人口が増え、住民税の収入も上がるのかもしれない。しかし、駅の混雑、上下水道や電気ガス供給に圧力になることだろう。

 なにより地域のコミュニティが、今でさえ希薄になりがちなのに、どういうことになるのだろう。ゴミ集積時のトラブルが目に浮かぶようだ。不動産屋が家を売らないかとしきりにチラシを入れているが、土地を確保してこういった開発をしているわけだ。

 東京一極集中への批判は、今は声が聞こえないくらいだ。年数が経つうち3階建ての住宅の「地上げ」などということになるのだろうか。奈良公園の木々を次々と伐採して、富裕層を対象にした高級リゾートホテル建設が2020年開業めざして、工事がすすめられているとのことだが、京都の下賀茂神社内に高級レジデンス…との宣伝もでてきた。もう日本中にこんなことが起きているのかと、うしろ寒くなってきた。






2019年11月21日木曜日

インフルエンザにかかるかもしれません


 「インフルエンザにはかかるかもしれません。」はだれでもありうることで、部外者でいられることは難しいことだ。でも、いままでかかったことがない。(かかって軽く済んだということもあるのかな?)最近喉の痛みはよくあるが、少なくともここ十年以上は、医者でそれとは診断はされていない。

 それが予防接種をしていないでのこととなると、ワクチン接種すべき論をどう理解したらいいのかわからない。インフルエンザワクチンの予防接種効果はないのだ、という主張も納得する部分もあるし、そうなるとだいたいそんなものはアタリハズレみたいなものだというくくりにという気もしてくる。

 ワクチンを接種してインフルエンザに見舞われなかった時を過ごせば、それは健康に過ごせて「効果があったうち」とみなさなければならないのか?同様にメタボの基準にしろ、血圧の基準にしろ「中途変更」の歴史を見ると、頭から信じるという気にはならない。茶の間のワイドショーだけでない「適切で丁寧な説明」が欲しい。

 製薬会社の売り上げの対象にされるのはごめんだとはいえ、高齢の域に入ってきた折もしかしたらなどと、保険会社の脅しと同様に「精神的安心感」を手に入れることもありそうだ。

身と心清めて帰る高尾山

2019年11月20日水曜日

高尾山で癒し、風邪を追い出せるか


 合唱発表会の少し前から喉と鼻の状態が悪くて、マスクを使い始めた。寒暖の揺れが大きくなって、身体がついていかないのだろうか。血圧が高いこともあるので、体重を下げなければと思いながらも、出かけた先でまた「飲む」ということの繰り返しで、ちっともよくならない。

 涼しくなって汗かきにとっては、絶好の時期なったので、しばらくぶりに娘と高尾山に行くことになった。火曜日だったがこの時期は紅葉を期待してか、たくさんのお客がきていた。紅葉はあまり見られず少し残念だったが、主要なポイントではスマホで撮影する人で賑やかだった。

 ゆっくりめの出発だったため、山頂で昼時になった。山を下りてからではちょっと遅くなるかと、初めてみそ田楽とソバを食べてみた。温かいみそ田楽はなかなか旨かった。山頂に押し寄せている人々はこれまでになく多かったが、店では席に余裕があった。帰りはケーブルカーにして15114歩。







2019年11月19日火曜日

銀座の魅力だから…

 歌謡曲で銀座を謳うものは多い。ロスプリモスの「黄昏の銀座」なんか好きだった。下手なウクレレを引きながら、あの調子で軽やかなリズムで歌うのは楽しい。カラオケ定番の「銀座の恋の物語」は昭和時代の輩には知らない人はいない。その華やかさの中でも様々な変遷があった。

 廃れてしまったことも物も数多あったことだろう。合唱団の練習の帰りに夜の銀座を通りかかったら、海外の旅行者風の人たちがあちこちで歩いている。銀座の煌びやかさへのことか、はたまた銀座の歴史を垣間みるためだろうか?






2019年11月10日日曜日

歌い踊るのは人間の本性?

 ゼイム職場の合唱発表会が終わった。同一職場グループの18団体が集った。この合唱祭が56回も続いているのは特異と言っていいかもしれない。歴史を重ねているところはたくさんあるが、散らばっている職場がそのとき集中して継続してやっているのは、おそらくはそうはないだろう。

 難しいことは専門家に任せるとして、「歌ったり踊ったりする」のは人間が身に着けた本性なのではないかと思う。自分も「やってみたい」と思うのは、その表現への共感にある。自己表現への共感とは実は相当高い価値を含んでいるものと感じる。「商業主義」にはない、なにか珠玉な文化価値がある気がする。

 言葉では伝えられなかった時代に意志と思いを伝えたる手法として編み出された。現代に適応するなら、言葉で伝えられることが、できるはずが内実は相手には十分に伝えられないことはままある。言葉や動作で伝えられたとしても、そのうえに機微を盛り込む、昇華作用となっているのかとも思う。

 どちらにしても人間の文化的素養に文化としての期待が込められる。「歌い踊る」ことの誘惑的磁石はこうしたものを引っ張り込む力がある。歌いたいという気の発揚と動機はこんなことにあるのではないだろうか。少々鷹揚な解釈だけれども、56年も一つの職場の別部から集まって組み立てられる「合唱祭」は、「歌い踊る」というDNAとでもいうか、人間が持っているものだと考えるのが、これまで続けられた理由として順当と考えられる。続いた合唱祭の歴史は、元にそんな事情があったのだろうと推測する。当たり前だのことだが、「やろう」という声掛けが丹念に重ねられてきたことは疑いない。

2019年11月4日月曜日

「ハゼを釣って唐揚げで食おう」の顛末記

 112日、江戸川でハゼを釣って食べようという催しがあった。今は夏場とは違ってハゼは釣れなくなっている時期なので、いっぱしの「釣り愛好者」としては、どうだろうかと少々の不安もあった。引き船に乗って下流へ運んでもらってボートに移ってやるのは、楽なつりでもあり数人でやるのは賑やかだろうと、勇んで出かけたところまではよかった。

 待ち合わせの駅で降り、時間が早めだったので駅前のバス停の椅子に腰かけて、おにぎりを頬張った。なにか居心地が悪かったのは、虫の知らせだったか何気なく駅名を確かめると、なんと待ち合わせの「妙典」の一つ手前の駅だった。

 最近「勘違い的誤り」が増えて、「ブレーキとアクセルの踏み違い」が目の先にもちらついてきているので、慎重にやっているつもりではあっても、起きてしまうのだ。治らなければ「年ですから」という医者のセリフもどこからか聞こえてくるようだ。一つ目の事件は、あわてて次の駅に向かい、ほぼ約束時間通りに間に合ったことで落着した。

 5人集まるところ、車の渋滞で二人組が遅れてくるとのことで3人が先にボートに乗り込んだ。そこで二つ目の事件が起きた。ボートが浸水している!足元の水は最初に少したまっていたが、多分雨水が残っているものだろうと判断した。ところがじわじわと水かさが増えてくる。やむなく水をかい出し始めた。ペットボトル(小水用で口部分を切り取ってある)を使って懸命にやるが、止めるとジワジワと増えてくる。船宿に携帯で助けを呼んだ。

 別のボートに移ってようやくハゼつりに取り掛かれた。釣りはハゼの反応が少なめで、やはり盛期を過ぎてのことだろうという感じだった。それでも時々上がるハゼを騒ぎながら楽しめた。周りでは穏やかな青空の元、たくさんのボートが同じようにボートで釣りを楽しんでいた。

 二度あることは…に出会ってしまったのは、釣ったハゼの針を外すときに針が折れて、そのままバケツの釣られた仲間のところに飛び込んだときだ。なにせ、唐揚げにして丸ごと食べるご馳走として、口に入れるものだから、しばらく探したものの見つけられない。頭だけ残して食べることもできるが、唐揚げでそれはつまらない。

 Sさん宅で唐揚げができあがって、食べる段になり頭からそっと噛んでみたり、頭の部分を開いてみたりしてやってみた。強力な磁石で頭の部分に近づけたのが、効果的だったのかどうかは不明だった。総計99尾の魚をきれいに平らげたが、奮闘努力の結果は、ついに報われなかった。バケツに入っているときにはずれたのか?…ともかく胃袋に入って出てくる可能性もあるよと、好き勝手な予想を言い合っただけだった。かくして読書会の課外授業は、愉快な一日を過ごして勉強疲れの頭を癒すことになったのだった。


 





2019年10月31日木曜日

利根川における八ッ場ダムの「洪水調節効果は小さい」


台風19号、利根川における八ッ場ダムの洪水調節効果 ( 八ッ場(やんば)あしたの会)が「八ッ場ダムの治水効果は小さい」と発表している。(1013日)

 内容を読んでみた。
 治水のための指標について担保されれば洪水被害はかなりの程度効果を上げると考えられる。現状は河床の掘削、堤防造成などの対策が進んでいないことが報道でも指摘されている。温暖化の影響は大きいものに違いないが、その前に対策がとられていないとなると、「想定外」との言い訳は通じないものと思える。

内容書きだし→
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〈注1〉計画高水位・・・河川の水位は、ダムなどの洪水調節施設をつくる計画により、一定程度下がることが想定されています。堤防を整備する際には、計画高水位まで川の水が流れても耐えうるよう設計することになっています。
〈注2〉計画堤防高・・・計画高水位に余裕高を加算した堤防の高さ。
〈注3〉河川整備計画・・・河川管理者(利根川の場合は国土交通大臣)が定める具体的な河川整備に関する計画。

 今回の洪水で利根川の水位が計画高水位(注1)に近づきましたが、利根川本川は堤防の余裕高が2mあって、計画堤防高(注2)にはまだ十分な余裕がありました。
 したがって今回の台風では、八ッ場ダムの洪水貯留がなく、水位が多少上がったとしても、利根川が氾濫することは考えられませんでした。
 また、「国交省による八ッ場ダムの治水効果の計算結果(国交省の計算による八ッ場ダムの洪水ピーク流量削減率)」は以下の図とおりです。この図が示すように、八ッ場ダムの治水効果は下流に行くほど減衰していきますので、今回の八ッ場ダムの洪水貯留がなくても、利根川の中流下流の水位はそれほど上昇しなかったと考えられます。

 今回の洪水の最高水位は9.67mで、計画高水位9.9mに近い値になっています。栗橋地点の最近8年間の水位流量データから水位流量関係式をつくり(下記の図「栗橋の水位と流量の関係(利根川・栗橋地点の年最高水位と年最大流量の関係)」参照)、これを使って今回の最高水位から今回の最大流量を推測すると、約11,700/秒となります。
 利根川河川整備計画では、計画高水位9.9mに対応する河道目標流量は14,000/秒です。すなわち、今回の洪水は、水位は計画高水位に近いのですが、流量は河道目標流量より約2,300/秒も小さいのです。このことは河床掘削作業が十分に行われず、そのために利根川中流部の河床が上昇して、流下能力が低下してきていることを意味します。
 下記の栗橋地点における水位と流量の関係図を見ると、河川整備計画に沿って河道の維持がされていれば、今回の洪水ピーク水位は70㎝程度下がっていたと推測されます。

 一方、八ッ場ダムの治水効果は「国交省による八ッ場ダムの治水効果の計算結果」を使うと、栗橋地点に近い江戸川上流端のピーク流量削減率は1/501/100洪水では3%前後です。
 今回の最大流量の推測値、約11,700㎥/秒を97%で割ると、12,060㎥/秒です。八ッ場ダムの効果がなければ、この程度のピーク流量になっていたことになります。
 12,060㎥/秒に対応する栗橋地点の水位を、上の図「栗橋の水位と流量の関係」から求めると9.84mになり、実績の9.67mより17㎝高くなりますが、大きな数字ではありません。
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10月29日の八ッ場ダム






2019年10月28日月曜日

「自然災害」「自己責任」の時代遅れなキーワード

 台風の被害がすさまじい様子が連日伝えられている。被害に合ったらどうするだろうと、自分に重ねてみると言葉にならない。車で避難行動をとろうとして水流に巻き込まれたとのことをみて、自分で避難しろと言うだけが強調されているばかりに見えて仕方がない。非難するにしても、避難先の情報や高齢者世帯への声掛け、誘導避難や避難の方法など具体的な対策が事前に用意されるべきではないかと思う。

 何かといえば「自己責任」ばかりが強調されて、情報はNET調べろ!という 言葉しか聞こえない。原発事故が発生した際の避難も自治体にまかせられて、事実上避難ができないということも伝えられる。こうしたありえない不条理が「自己責任」で捨てられるのは全く腹立たしい。果ては「自然災害」だからと、国や自治体の責任を軽んじる風潮さえ作り上げる。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が日本には存在しないということになる。

 メロンやカニを配って議員になった者やそれを庇いたてる連中の顔をみると腹の虫がおさまらない。家の近所の神田川では、昔は水がよく上がっていたが、嵩上げ工事や一時貯留施設のおかげだろうか(使ったという情報は聞いていないが)あるいはという心配が杞憂になってよかった。防災地図によると、我が家は水没する場所になっていると受け取れる。不正確であれば判断を誤ることにつながるので、改めた方がいいと感じた。確かめなくてはならない。

 避難地域や避難場所をNETで確認してといわれているが、なかなかつながらないのも改善してもらいたいところだ。第一高齢者のNET使用はどれだけ可能なのかもある。テレビで各地の被害状況、河川の状況が報道されたがこれが実に遅い。河川の監視カメラが少ないのだろうか。報道の調整があるのか?それにしても、盛んな人気スポーツ報道のような、丁寧な熱心さはみあたらない。

 神田川であれば、昔は有線放送で水位が上がっていることをアナウンスしたが、最近は危険が少ないとみてかやらなくなった。この間の「想定外」の状況ではそれでは済まないだろう。今日は、がけ崩れの被害が「指定地域」になっていなかった傾斜20度程度のところで発生したことを伝えていた。政府の対応も実にのんびりしていたものだったが、想定外を放っておくことは人間の知性として放置しておいてはならないことだ。

2019年10月21日月曜日

台風19号で各地のダムの放水は検証が必要

 小河内ダムでは12日(土)18時以降に放水量を増加させた。「余水吐放流」についてプレスでの発表が14時にあり、当初の見込み、毎秒600立方メートルが750立方メートルとなるというものだった。午後10時過ぎに世田谷区玉川で浸水被害が発生しているので、小河内ダムの放水が影響をしていることは考えられる。放水が決定的だったのかどうかは即断はできないが、この検証が必要なのではないだろうか。


 神奈川県の城山ダムは放水をいつするかで、いくたびか変更した。県の放流開始の判断が変更されたことで結果的に混乱を招くことになった。氾濫などの大きな被害にはつながらなかったとされるが、相模川支流の串川では同日午後10時半ごろ、家族4人が乗った車が転落し、全員が遺体となって発見される事故が起きた。放流開始と同時に市町への通知ということになったのは、行政の稚拙とでもいう大きな問題を残した。水位上昇の想定をつかむのは難しかったと神奈川県河川課がコメントした。

 「緊急放流が始まったころ、ダムへの流入量が以上に跳ね上がった数値を示したままデータの更新が滞っていた」とまでなると、ダムがあれば安全という見解も神話としか言えない。城山ダムが「逡巡」している間に、複数のダムで緊急放流するとの発表があった。「赤信号…」みたいにというと軽薄と言われそうだが、放流したダムと堤防決壊した箇所との関連性を検証する必要がありそうだ。放流を実施した6ダムでは「事前放流」はしていなかったのニュースもあった